あまり尾を引かないで話題は沈静化したがトランプ大統領のノーベル平和賞。安倍首相が推薦人になったと言うが、これをおべんちゃらと取るか深謀遠慮と見るかは難しい。平和賞片手に再選を有利にしたいと思うトランプ氏の思いは分からぬでもないが結構大変なことになる。大1回の米朝会談開催はノーベル平和賞受賞理由に相応しい内容だった。
もしトランプ氏が平和賞を受賞したら今後はどうなるか。滅多なことで戦争など起こせない。挑発に簡単に乗ることもできない。実に重い十字架を背負うことになる。名誉だけが人生最後の望みなら別だが再選を目指すなら足枷になるだろう。政治色が強すぎる平和賞と言われるが政治色がない平和の方があり得ない。日本でも国民栄誉賞を辞退する人が時々居るが、これからの長い人生を考えた時相当な覚悟が必要だろう。何かあれば××賞のあの人がと曝されることになる。
もし私がノーベル平和賞を貰ったらどうなるか。多分コンビニには行けない。100円コーヒーなどもっての外、銀座で1000円のコーヒーを飲まなければならないだろう。昨日と同じ服、近所の人に恥ずかしいだろう。賞金を貰ったくせに何をケチっていると思われる。授賞式に着る礼服がない。
勿論救われる部分もある。春が近くなり暖かいだけでもありがたいことだが同時に物入りの季節でもある。4月に車券があり5月は税金、保険と一気に押し寄せて来る。勤めていた頃はそれなりに収入があったので贅沢さえしなければお金のことを考える必要は無かった。しかし年金生活に入ると入るが限られているので多少は工夫をしなければならない。足りないからと言って子供に頼ることなど論外である。最近特に節約できているのは衣服と外食である。衣服は実に長持ちするし流行とかオシャレには全く興味がない。10年以上着ているセーターや上着はざらにある。体型があまり変わっていないのも幸いしている。ズボンは若いころはGパンだったが今は楽なチノパンである。時々膝の部分が裂けたりするが自分で繕う。これがまた充実感がある。小学生の頃家庭科があったが裁縫は得意だった。若い人はわざと破ってビンテージ感を出すくらいだから修繕の見栄えは多少悪くても気にならない。ブラブラしておやじ狩りに会っても膝小僧を見たら諦めるだろう。昨日は自転車でブラブラしていたら畦道に土筆が相当生えていた。こんあこともあろうかとポケットにビニール袋を入れていた。こどもの頃は田舎だったので土筆やワラビ、ゼンマイ、筍は当たり前のように食べていた。もし海の傍で育っていたらアワビやサザエが食べたいと贅沢な気持ちになっていたであろう。幸いである。賞金が入れば何の心配も要らない。失われるのは細やかな庶民の楽しみである。
ノーベル平和賞は虎に強力なリードをつけるようなもので世界の首脳に相応しい賞である。