太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

もう8年か

2019-03-11 08:53:51 | 思い出話

東日本大震災から8年が経った。感覚的には3,4年前のような気がする。震災当日は東京のど真ん中、細長いビルの8階に居た。地震というより細い竿先に摑まっているように大きくゆらゆらと揺られ、揺れが収まるとTVではまるで映画の特撮シーンとしか思えない津波の映像が流されていた。郊外の自宅に戻るには電車が動かず、ビルで1夜を過ごし、帰宅したのは間引き運転が始まった翌日の夜である。何時も乗る電車ではあるが沿線は計画停電で真っ暗闇で何処を走っているかも分からない状態だった。幸い自宅にも家族にも被害は無かったが各地の甚大な被害は次々TVに映し出されることになった。

津波が街を飲み込む様子や大型船が流される様子は衝撃的であったが、原発事故は特にショックだった。MHKはいち早くメルトダウンの可能性を報じたが、某国立大学の教授(助教だったか)は盛んにメルトダウンは起こっていない、そもそもメルトダウンの定義などないと詭弁を奮っていた。当時は東電も政府も不安を煽るからかメルトダウンが起こったかどうかの判断は慎重で寧ろ抑制的に報じていた。この先生はお先棒を担いだのだろうが、今頃になって時々TVで原発のコメントをしているが信用できない。あの大災害は記憶から消してしまいたい被災者も多いだろうが、社会として忘れてはならない、後世に伝える義務がある。未だに個人に何の落ち度もない自然災害から立ち直れない避難者や生活再建が困難な人も居る。これでも文明国と言えるのか。何のための文明なのか。被災したら被災前より遥かに生活が良くなったくらいの高度な文明社会はできないのか。だからといって自然災害は被災しようと思ってできるものではない。先生に一言。核の専門家ならその優秀な頭脳を燃料デブリの取り出しに半生かけても生かすのも手である。あの頃のTV出演の記憶を自分自身あるいは視聴者の頭から消し去るためにも。