太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

卑しき食べ放題

2017-08-27 08:25:22 | 思い出話

秋の行楽シーズン近し。日曜の新聞には秋の味覚食べ放題のチラシが入る。どれも格安で驚く。しかし、行って見たいとは思わない。どんなに高価で美味しいものでも死ぬほど食べると大概嫌いになるか、興味を失うことが分かっているからである。

途上国へ、しかも僻地への出張が多かったせいで、特に食べ物の思い出は多い。食べられなければ気力、体力は衰え仕事どころではない。中でも最も食べ物に苦労した国がモンゴルである。民主化直後から足掛け15年くらい色んな仕事で出掛けたが、冬のマイナス30℃には耐えられても食事はそうは行かない。特に初期の頃は街に食堂らしきものは無く、ホテルの食事も前日予約しなければ用意されない時代であった。後半は韓国料理店とか出店し、それほど苦労は無かったが初期の頃の話である。

突然日本の焼き肉店がウランバートルに出店することになった。それまではジャガイモのスープ、目玉焼きはマトンの油で焼く為マトンの独特の臭いがし、肉類はマトンオンリー。テーブルから椅子、店内全体がマトンの臭いが充満していた。日本のジンギスカンのように油が下に落ちる工夫もないし、子羊でもないから、固さと臭いは半端ない。当然日本の焼き肉店が出来てからは、出張に出掛ける度に利用した。羊以外の肉もあり、中華マンや白米、生野菜、スープなど食べる楽しみも出て来た。

ある日アルミのボールに黒い粒粒が山盛り出てきた。バイキング形式なので料理は自由にとれる。現地の者に聞くと、バイカルからやってきたキャビアだという。まさかと思い少量口にとると本物である。日本では女優がクラッカーの上に少量乗せてホームパーティーを開くCMがあったが、もはやそれはクラッカーでは無く上物に焦点があたる代物である。

ここぞとばかりに丼椀に少しご飯を敷き、その上にご飯が見えないくらいキャビアを乗せる。さらにご飯を盛り最上部にやはりご飯が見えないくらいキャビアを敷く。超豪華なキャビアの2重盛り丼である。しかも2回お変わりした。現地のものはそんなショッパイものが美味しいのかと訝る。こちらは値段のことを考えるとこの先一生食えないと思い死ぬほど食べた。その日ホテルに帰ると猛烈な腹痛となった。以前単身赴任していた時親戚の祝い事に呼ばれ、一人で出席した時土産にメロンが丸マル1個出た。赴任先だから他に食べる人は居なかった。勿体ないから無理して詰め込んだ。それなにに美味しかったが直後猛烈な医痛になった。どんあに美味しいものでも死ぬほど食べたら駄目だと思い知ったのはメロンとキャビアの経験からである。

そのモンゴルで何が一番美味しかったか。マトンに疲れてからはインスタントラーメン用の電気ポットを持って行き、ホテルで食べることが多かった。その電気ポットでおかゆを作ることを試みた。当時新入社員だった部下を連れて行っていたが、彼がその役目を引き受けた。殆ど毎晩、もう一人の部下と私の部屋に集まり、先輩風邪をふかしながらよもやま話をするのが日課となった。おかゆは適度に箸で混ぜないと底に焼けつく。新入の彼は、無口だったが、熱心に話に耳を傾ける。合間絶妙に箸でかき混ぜる。出来あがりが中国のホテルにあるおかゆと遜色が無い。これにキューリのキューちゃんをトッピングする。キャビア丼より遥かに美味い。時々サンマの蒲焼の缶詰など頬張ると多分生涯ベスト3くらいの美味しい料理となる。名コックを演じた彼は今年の正月、難病で亡くなってしまった。私より20も下だったのに。何もかもが遠い昔の出来ごとだったような気がする。



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