昨日はワイドショーを含めてTVは日産のゴ―ン逮捕一色であった。ゴ―ン氏の生い立ちから経歴までよく資料準備ができたなあと思うものばかりである。解説やらコメントを聞いているとやはりちょっと納得のいかないものがある。ある番組で解説を弁護士がやっていたが(あまり有名な方ではない)コメンテーターの某大学教授(元TV局の政治部部長)が、ゴ―ン氏の過去の実績を挙げながら後継者選びが問題ですねえ(ゴ―ン氏程の有能な人は中々居ないという文脈)と言うと、問題のすり替えに気づいた解説者がすかさず、ええでも功罪は別問題ですからとピシャリと切り捨てた。その通りである。幾ら立派な経歴であろうと罪が減じられるわけがない。情状酌量とは意味が違う。このコメンテーターの大学教授は以前も別の話を持ち出しMCにそれ関係ないことですねと諌められた。MCが降板してこの大学教授残っているのが不思議だ。
また別の局ではゴ―ン氏は主導権争いで日産グループに刺されたのではという憶測まで出ていた。これも問題のすり替えである。刺されるようなことはしてはならないというべきだろう。被害者では無い筈だ。この手のコメントは他の問題でもよくある。何か不祥事を起こした人が居た場合、いや立派にやっている人は沢山居るとかである。このコメントが意味を持つのは張本人に対してだけである。他の人は真っ当に暮らしているのだからと。TVの場合、聞くのは視聴者である善良な市民である。そうなると、だから許してあげてと言っているとしか思えない。今度の事件を過去の例と比較してみると、数年前市営バスの運転手が300円着服で懲戒免職になった事件があった。同様な手口で毎日着服していたとしても報酬の誤魔化しと同じ50億円着服するには45000年以上着服を続ければ地検も動かないことになる。規模感が分かるというものだ。
「蜘蛛の糸」のように功罪に差し引きがあって許されるとしたら世の中善良な市民の方が多いから全ての犯罪者は許されてしまう。そうなれば俺もこんな善い事をしたことがあると言って次から次へと蜘蛛の糸にぶら下ってくる。如何にお釈迦さまでも全員を助けるわけにもいかないだろう。犍陀多もろとも糸を切る。アレッ結果は同じだがストーリーが変わってしまったが。
それにしても地検が世界トップクラスの車メーカー束ね、しかも名経営者の誉れ高いゴ―ン氏を逮捕するというのは相当確証がなければ出来ることではない。世界に与える衝撃は田中角栄以上かも知れない。言いそびれたが被害者は株主や従業員だけとは限らない。あなたの車のビス1本くらいはゴ―ン氏のために使われたかも知れない。今大阪地検は何をしているだろう。