日本シリーズはソフトバックが優勝した。ペナント、CSを見ていて今年の広島は強いと思っていたが残念である。MVPはホークス捕手の甲斐選手だった。打つ方は駄目だったが盗塁阻止が凄かった。守備でMVPになるのは珍しいと思うがスロー再生を見てなるほどと思ってしまう。ピッチャーの投球をミットで掴んでいない。ミットに当てて弾いている。その弾いた球を空中で掴んでそのまま2塁に送球する。勿論投げるための握り直しはしていない。お手玉を掴んでそのまま投げる感じである。これぞプロの送球術と言うべきだろう。野球の累間距離は良く出来たもので、盗塁は攻撃側、守備側どちらが有利とも言えない。累間がもうちょっと長ければキャッチャーは楽にアウトに出来るし、短ければ走者有利である。別の話だがバスケットのゴールはバレーのネットは低すぎるように思う。選手の身長が意外と早くのびたからかも知れない。
多分甲斐選手は日常生活でもボールを握りしめて感覚を掴んでいるのではないだろうか。先日TVで盲目のカーディシャン(カードマジックを得意とする)リチャード・ターナーの技が紹介された。異常に発達した手の触覚でカードの凹凸や微妙な裁断サイズの違いが瞬時に分かるそうである。発達しているのではなく発達させたというエピソードが語られた。盲目になってからは日常生活でも肌身離さずカードを握って手に馴染ませその特徴を掴んだとのこと。そう言えば昔ロッテの村田投手があのフォークを完成させるために常にボールを握って人差し指と中指を開く訓練をしていたと聞いた。これも余談だが阪急に居た上田監督はピッチャーが振りかぶった時グローブから僅かにのぞく手首の曲がり具合を見て球腫を読んだと聞いたことがある。プロと言われる人達は弛まぬ努力を続けているのだろうと単純に感激してしまう。
さて、物を書くという作業の訓練は何だろうと考えると読む事だと言う事が出来る。読み書きというのはカードの裏表で不可分である。日頃読む訓練をしないと決して物は書けない。B級読書ばかりでは練習にならないと言う人も居るだろうが偶にとんでもない名文を見つけることがある。「名文」と言うより短い「表現」の方が適切かも知れないが。古今東西の名文ばかりに親しめば良いように思うが、そこには経済性が絡んで来る。娯楽本主体の古本屋では中々見つからない。今読んでいる推理小説は登場人物がやたら多く、ここでそれ言うと思う必然性に欠けるところが随所にある。名文と言えるのは裏表紙に書かれた推薦文くらいのものだ。それでも1円も無駄にしないために読み切るつもりだ。太陽電池に関してはセミプロと自負しているが、ブログ書きとしてもセミプロくらいにはならないとと思っている。セミがつくところがおくゆかしい、というよりそれでは飯が食えないからだ。
プロフェッショナルと言えば何も凄腕の達人である必要はない。サラリーマンであっても平社員であってもこれで飯を食っていると言えばプロである。アマチュアや趣味の世界とは厳しさが違う。工場で毎日製品の数だけ数えてたとしても、誰にも負けない速さと正確さを日々念頭に入れて工夫をしているような人はプロと言える。例え機械やAIに置きかえられても次の仕事でプロを目指せばよい。
今国会では外国人労働者の受け入れが法改正され対象が単純労働者にも拡大されようとしている。人手不足対策とのことだが受け入れ側の責任も問われて然るべきである。何故だか最近近所にも随分中東の人が増えてきた。しかも家族連れが多い。残念なことに言葉が通じない。隣近所との付き合いも不自由し、行事への参加などまずあり得ない。何処が雇っているのか知らないが働く時間内だけの訓練ではなく、日本語の習得や習慣を学ぶ社内研修制度くらいは必要である。それよりも人手不足と訴える雇用主が如何ほどの工夫をしているのだろうか。日本は人口が減って行くのは分かっている。旧態依然とした作業だけでは無制限に海外からの労働力を受け入れることはできないだろう。人手だけに頼る産業は何時までもは続かない。急場しのぎの受け入れであっても少なくともその道のプロを育成するくらいの訓練は必要である。さらに提案するなら、学生が社会に出る前に最低1年間の労働力提供のインターン制度を作る。高級官僚を目指す人も工場で製品検査をする。若者はエネルギーを発散する機会がない。つい渋谷に行ってしまう。北海道でジャガイモ掘りをすれば農家も助かる。渋谷の商店街は単にハロウィン前に戻るだけである。労働力確保にはまず日本人を嫌というほど使うべきである。輸入依存では何事も長続きしない。自給自足のためのあらゆる知恵を出す時である。