太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

美しくも残酷

2018-11-11 08:21:16 | 日記

紅葉の季節となった。山の中で育ったから紅葉を美しいと思ったことはない。寒い冬の到来を告げる季節の変わり目くらいに思っていた。しかし今思えば山の中とはいえ、低い丘陵地の中で様々な落葉樹が茂っており秋は鮮やかな景色だったと思う。最近はドローン撮影が簡単になり映像も美しい。紅葉の季節に山を縫うように飛び、旅情を誘う。ああこんなに紅葉は美しいものかと感じ出したのは山を出て半世紀以上が経ったせいだろうか。確かに都会の公園の木々も紅葉は美しいがよく手入れされた人工的美しさである。日比谷公園も仕事の途中で通ることが多かったが兎に角清潔で手入れされた木々の紅葉は落ち着いた美しさはあったがそれは創られた美である。育った所は必ずしも同じ配色にはならない。雑木が自然に枯れたり芽吹いたりするからだ。あの銀杏が色づいたから実を採りに行こうとかもみじが赤くなるとアケビは終わったけど松茸採りに出掛けようとか野生の柿も食べごろだとか一瞬で変わってしまう自然のシグナルであった。

新聞に地震による土砂崩れにより多くの死傷者を出した北海道厚真町の現場をドローンで撮影した写真が掲載された。辛うじて崩れ残った木々の紅葉が始まっている。新聞の粗い写真でも美しさは充分伝わる。傍の土砂崩れさえなければと思う残酷で美しい景色である。恐らく福島の帰還困難区域である浪江町周辺も見事な紅葉が始まっているだろう。ただしこちらは放射能という写真には映らない残酷な災害である。人的災害は法規制という方法もあるが多くの土砂崩れはそこに住むなとも言えない場所で起こる。厚真は約4万年前カルデラの支笏湖を作った巨大噴火で降り積もった火山灰、その後さらに恵庭岳、樽前山の噴火でも火山灰が積もり軽石層になった所で起きたという。その下部の岩盤は崩れていない。似たような軽石層が崩れたのは熊本地震でも400箇所以上の土砂崩れがあったという。木が生えている山は保水力があり安全であるというのはあまりに単純な発想である。日本には火山は至る所にある。4万年も前の巨大噴火でできた軽石層は危険だから住んではならないという法律はできないだろう。

唯一活火山近くでは活動による入山制限ができるくらいだろうか。桜島を初めて見た時麓に街があることに大変驚いた。よくまあ活火山の麓でと思ったが火山の場合ある程度噴火の予知も出来、住人も非難の術をしっているのだろう。しかし4万年前に支笏湖を作った大噴火に思いを馳せる人はいなかっただろう。さらに豪雨や地震は予知ができないだけに如何ともし難い。軽石層は火山国日本には至る所にあり、何時崩れてもおかしくはない。だからと言って昨日ブログのメガソーラーと景観や治水の関係を正当化しようというものではない。法があろうが無かろうが、権利関係に関与しようがしまいが、例え災害との因果関係は立証出来なくとも真っ先に疑われることは覚悟して開発すべきである。

海外ではあるが結構凹凸の激しい広大な傾斜地で太陽光発電システムの設置を検討したことがある。難しかったのは整地である。何処を削って排水路を巡らし、調整池を何処に設けて最後は近隣の河川まで排水溝を建設するというものだった。勿論専門家に設計は依頼するが測量を含めて大変な作業である。敷地内に降った雨は敷地内で処理するか安全な場所まで誘導しなければならない。第一の目的は土砂崩れや地盤沈下でシステムが破損することを防ぐためだ。次はコンクリートで地面を固めると雨は敷地外に流れてしまい周辺に損害を与える可能性だ。唯一免れたのは荒廃地で近隣に人の生活圏が無かったから景観の問題は問われなかった。残念ながら入札で失注したが、メガソーラーは大規模な宅地開発などの不動産開発と似ている。上モノである住宅に問題があるのではなく土地開発の問題である。紅葉が美しいかソーラーが美しいかと問われれば勿論紅葉である。ソーラーは誰が何の為にそれを必要としているかを問われる時代となった。金儲けは大義には成り得ない。