太陽光発電シニア

太陽光発電一筋、40年をはるかに過ぎたが何時までも興味のつきない厄介なものに関わってしまった。

潮の変わり目での模索

2018-11-14 22:11:35 | 仕事に関すること

業界団体主催の太陽光発電シンポジウムの傍聴に出掛けた。特に最近は夢や希望を与えるような明るい話題がない、少々委縮ムードの業界で入りを心配していたが会場はほぼ定員で埋まっていた。流石に講演者や傍聴席に知り合いの姿は少なくなり、賞味期限は定年後3年までと思っていたがその通りになって来た。それでも古い顔なじみも残っており声を掛けてくれたり、新入社員の頃面倒を見ていた者が立派に一人前の発表をしているのを聞くと嬉しくも思い、老兵は死なず何とかの心境にもならざるを得ない感もあった。

シンポの内容は一言で表すと、閉塞感の漂うこの頃だが新しいビジネススタイルの模索をする時代に入った言える。新電力に代表されるように新しい太陽電池の価値観を持って何とかビジネスに繋げようとそれぞれのスタイルで行動を起こしていることである。未だ大きな潮流とはなっていないが、混沌の中に何か新しいものが生まれそうな気がする。コストダウンや技術開発の焦点が当てられた時代からそれを使って何をするかの時代、ハードからソフトへの移行期間と言う事も出来る。喩えは悪いがお経のように意味はよく分からないが全体として何か有難い、価値観の多様化の中に何か珠玉が含まれているのではないか、次代への協力なメッセージがあるのではないかと思う。何かが否定されても全体を否定することなど簡単にはできないだろういう期待である。

ただ、残念なことは相変わらず地球環境をトッププライオリティとした業界の動きや、それを紹介する官や先生方の旧態依然とした姿である。確かにパリ協定は世界共通の命題であり否定は出来ないが、その緒についたばかりの時、これを金科玉条として扱うのはどうであろうか。もし今地球が寒冷化に向かっていたら全く逆の行動を起こすのだろうか、もっとGHGを排出して温度を2℃最低でも1.5℃あげなければならないという動きになるのだろうか。また今後データが積み重ねられて温度上昇が想定外に低く抑えられていたら温暖化対策は緩めるという動きにはならないだろうかという心配もある。意地悪な言い方をすれば、温暖化であろうと寒冷化であろうと目標を定めることによって政治も産業も経済を動くから良いではないかという考えもなり立たないわけではない。

世界共通の地球環境という命題は否定はしないが、日本に限定すればトッププライオリティにはエネルギー自給、再生可能、持続可能性を据えるべきである。太陽光発電の価値はここにあると思う。政策の大義もここに重点をおいて普及促進を図るべきである。未稼働案件の買取価格変更、言わば法の遡及を省令の変更によって為そうとしている今の政策には相当市場からの反発が予想されている。特にファイナンスの信頼が根底から崩れる懸念さえ出ている。国民負担の問題っを前面に押し出すことが、どのようにしたら最大限の導入ができるか、障害を如何に取り払うかに力点を置いて来たドイツと真逆の動きを市場に与えていることを審議会の先生方はどの程度理解しているだろう。制度の欠点を対処療法で抑え込むやり方はどのようにして最大限の導入を図るかというコンセプトとは真逆の潮流にならないとも限らない。エネルギー基本計画の2030年目標よりはるか手前で出力抑制が掛けられるというのはおかしな話である。いやいや2030年には抑制などしないで目標量が導入できるインフラは整備される、それまで待ってくれと言うなら分からないでもないが。

シンポジウムで多様な価値観が発表されることは勿論悪いことではない。しかし、この多様な流れの中で本流に収束させて行くのはやはり政府の役割である。エネルギー問題で貴方(市場)任せということはあり得ない。個々の事業者、導入者が日本のエネルギー自給のために動くということは無い。彼らが思い切って行動すればそれが自ずとエネルギー自給、再生可能、持続可能に繋がって行くというグランドデザインを提供するのは国の責任であると思う。特に民間は自由奔放にすると直ぐにお金儲けだけに走ってしまう傾向があるからエネルギー問題で理想と違う社会を作り兼ねない。勿論悪いと思ってしている事ではなく経済社会の持つダークサイドマターの一つであるが上手く使えば大きな原動力にもなる。エネルギー関連では誘導政策は未だに必要だと思う。