業界団体が主催するシンポジウムは情報交換会という懇親会が開催される。総会後に行われるのも恒例だ。団体の経済的理由から有料で催されるが何れも立食形式で振舞われる料理も家庭料理より少し手が込んでいるがそれほど豪華というものではない。それでもスーツ姿の人で溢れ人気がある。もう少し参加費を安くできたらと思うが赤字ギリギリのため已むを得ない。懇親会やパーティと言った名称を避けたのは多くはカンパニーペイで参加している人達に対する精一杯のサービスである。
実体はどうか。これが実に面白い。まず参加者に会社名とか肩書きによる序列は無い。町内会よりフラットな集まりである。来賓を役所の肩書きで選別することは無い。向こう任せである。総会の時は所管部局の部長さん、シンポの時は課長さんが通例である。天下りを受け入れていない団体なので気楽なものである。参加者も現役第一線の方が多く、ライバル会社であっても抱えている悩みや望みは共通のようで結構話は弾んでいる。積極的に話掛ければ結構他社情報は集まる筈である。狙い撃ちして食べるような料理が並ばないことも話が弾む理由かも知れない。会員企業同士がライバルという垣根を超えて気楽に語り合える和やかな会である。
だからと言って偉い人が居ないと言うわけではない。代表理事は超一流会社の会長か社長が代々務めていたためご当人が参加される。それ以外は理事も含めて一線で働いている人ばかりなので妙な形式ばったところはない。スタッフでやっていた時は三菱電機の会長さんが実に気さくな方だったのにちょっとした感動を覚えたことがある。決して偉そうにはしない方でスタッフ連中にも労をねぎらう言葉を掛けられていた。この会長は他の大きな工業会の会長や経団連の要職にも就かれており超有名な方だ。情報交換会の場で時々話し相手が途切れ一人になることがあった。三菱の社員に、会長を一人にしては拙いのでないのと声を掛けたら、大丈夫ですよそんね事で後で叱られることなど有りませんよ、代表として会場の賑わいを見ているだけで楽しんでいますよと言う。この会長には役所への陳情とか、記者発表などで随分お世話になった。地方から来た小さな販売店とか施工業者の多くの方が三菱電機の会長と話しをしたよと土産話を持って帰ったと思う。
正反対の代表も2名居られた。三菱ほど有名でhないが関西の大企業の社長か会長だったが共通しているのは取り巻きというかお小姓というか露払いというかカバン持ちというか何人かついて来て兎に角細かくうるさくスタッフに物を言う。我が社のトップに決して失礼があてっはならないぞという態度である。当然本人もその神輿に乗ってやたら大物然とした勿体をつける。下々のものなど話し相手にならんという態度である。この2社のその後?1社は海外企業の買収され、1社は健在だが自らの太陽電池事業は止めて買収した会社の技術を如何にも独自開発のように謳っている。この2社の代表が団体で何をしたかあまり記憶が無い。
この時期全く正反対の懇親会にも参加したことが何度かある。国がインフラ輸出の旗を掲げた頃、有る協議会が出来てその太陽電池関連の作業会の主査をしていた。この協議会の会長は経団連の会長である。任意団体ではあったが上部団体は天下りも受け入れている有名な団体である。当然そこには国の補助金が入っており、国の委託事業もやっていた。作業会の活動もそのお零れを頂いていて運営していた。立てつけは国―経団連―上部団体―協議会(幾つかの作業会で構成)というものである。作業会には毎回本省から課長か課長補佐が参加するし、メンバーは大手商社、巨大コンサル会社、メガバンク、公共団体などこれも超一流どころの課長か部長が参加していた。最初は小生意気な奴が主査をやっていると思われただろうが4年間も続けると意外と人気が出て多い時は50人くらいの人が集まり喧々諤々の議論を交わしていた。
この団体も年1回の総会の時、懇親会を開催していた。来賓は長官が参加していた。作業会で仲好くなった本省の課長ですら出番はない。課長に出世のためには傍に寄ってヨイショの一つも必要ではと軽口を飛ばすと、冷やかすなよ主役は向こうなんだからと群衆に紛れてぶつぶつ言っていた。民間の参加者も凄い。会員各社の社長や副社長、など重役のお歴々がこの時ばかりと参加する。しかし経団連の会長や長官と名刺交換するのに躍起である。中には如何にも俺は対等だと見せる為に横に立って話す者まで居る。よく政治家や経済団体のパーティでウィスキ―のコップ片手に談笑する姿を見るがそのままの懇親会である。
皺ひとつない上等そうなスーツに身を固め、タ―ブルに並んだ豪華な料理には目もくれず、名刺交換と談笑だけで群がっている政財界のお偉方を遠目にに見ながら、子供の頃に出会っていたら勉強でぼろ負けはしなかただろう、いや負けていたかも、それなら1対1の喧嘩なら負けなかっただろう、いや負けたか、最後は友達の多さでは絶対負けていなかっただろうなどと肩書きでボロ負けしている負け惜しみを心の中で呟きながら一生世話になる事も接点ができることも無い人達よりも兎に角晩飯代わりに豪華な料理を摘まないとと毎回思っていた。それでも4年間も主査が務まったのは参加者が異業種であるが第一線の部課長クラスの知恵者が集まっており多くの事を学ぶことが出来たし、多くの知己を得られたことは財産になった。