みづからが飛べざる高さを空と呼び夕陽の先へ鳥もゆくのか
光森裕樹『山椒魚が飛んだ日』(書肆侃侃房 2016年12月21日)から「空と呼ぶ」の中の一首。
作者は1979年兵庫県生まれ。沖縄県石垣市(石垣島)在住と紹介されている。
「空」を名づける。名前があるものをもう一度名づけなおすことは詩歌の持つ大切な役割だ。
それが一冊の詩集や歌集になったときは、詩や短歌を問うことが、そのまま一冊の本の魅力になる。
そういえば、かつてボードレールは『悪の華』一冊に詩の歴史を封じ込めようとした。
そんなことも連想させるこの歌集、短歌の歴史への静かで緻密な挑戦が感じられる。反復や歴史的仮名遣い、
話体やフォントの実験、本歌取りや文学的素養の組み込みなどなどが、突っかかったり、とがったりせずに歌の
中に織り込まれている。本人が雑誌「短歌」で遣っている言葉を借りれば、それらの技法が「万別のリズム」と
なって表れている。
そうすると、この一首の「空」をそのまま「歌」にすれば、鳥は作者自身になる。「みづからが飛べざる高さ
を歌と呼び夕陽の先へ吾もゆくのか」。彼は石垣島に移住する。だが、彼は住民であるよりも移住者である。定
住者よりも旅人である。そんな彼が広大な「歌」の世界、飛べざる高さである「空」を飛ぶ。夕陽の先、西の
石垣島を目差して。「空」や「鳥」を比喩とすることで生まれる頭の中の情景と現実の作者の状態が重なり合う。
だが、もちろん、この歌の魅力は、そんなうがった解釈よりもきちんと刻まれた夕陽と飛ぶ鳥の像である。
戦後すぐの時期に田村隆一は、鳥と空を遣って「空は小鳥のためにあり 小鳥は空からしか墜ちてこない」や
「小鳥が墜ちてくるからには高さがあるわけだ 閉ざされたものがあるわけだ」(「幻を見る人」)という詩
句を書いた。飛ぶことの不可能性、空からの放擲を時代精神として描きだした。垂直に向かった田村に対して
光森は空間を平行に移動する。そこには、彼が旅したマダガスカルや台湾、そして移り住む石垣がある。時間は
絶対的なものではない。時間はことがらの推移によって相対的に流れる。彼は、場所がそれぞれに持つ時間の流
れの中で、自身が出合う刹那のことがらを紡いでいく。
この歌集は、「Madagascar2012」や、山椒魚(?)が生息地から飛びたつ(?)「山椒魚が飛んだ日」、
子の誕生までの一連の連作「其のひとを」などやプトレマイオスの48星座に色を乗せる連作「トレミーの四十八色」
から編まれていて、そこから立ち現れた歌たちは魅力的に共鳴しあうのだが、それは、またの機会に、別の一首で。