やっと読了。といってもこの小説のせいではなく、たんにボクの時間の問題。一気読みできる人は、一段ぐみ800ページのこの小説も一気に読める。
矢吹駆シリーズはやはり面白い。
今回の思想はラカン。ジャック・ラカンとおぼしき(というか、直でラカン)、ジャック・シャブロルという精神分析家が登場する。彼は、「フロイト回帰派」の指導者で、鏡像段階、想像界・象徴界・現実界、享楽と去勢などなど、ラカンの理論をめぐる議論が展開される。これに多重人格と解離の問題、ラカン批判としての父性と母性、父神と母神の葛藤などが加わる。
探偵小説についての文で、「今回はラカン」というところが、すでに笠井潔のシリーズの面白いところで、現代思想への考察と批判が小説の背景という以上のヴォリュームを占めていて、それが魅力なのだ。
これに、さらに、肯定神学と否定神学をめぐる神学論議、シニフィアンとシニフイエの逆転現象やシーニュ(記号)がシニフィアンとして、内容を指し示さずに次のシニフィアンとなるシニフィアンの連鎖、吸血の意味論、現象学と精神分析の戦い(?)、なども絡まり合って、当然のように、ページ数は増していく。
で、探偵小説のストーリーは、本のデータベースによる紹介文を引用すれば、
「パリ市東部に位置するヴァンセンヌの森で女性の焼屍体が発見された。奇妙なことに、その躰からはすべての血が抜かれていた。続いて、第二、第三の殺人が起こり、世間では「吸血鬼」事件として注目される。一方、体調不良に悩まされていた女子大生ナディアは友人の勧めで精神医のもとを訪れる。そこでタチアナと いう女性に遭遇し、奇妙な依頼を受ける。各々の出来事が、一つの線としてつながったときに見えてくる真実とは…。ナディアの友人である日本人青年が連続殺 人の謎に挑む。本格探偵小説『矢吹駆』シリーズ第6作。」
となる。
タチアナは、ルーマニアから亡命した元体操選手。チャウシェスクの政治体制がもたらす諜報活動も事件の流れのひとつにあり、駆の宿敵イリイチも登場する。
本質直観を駆使する駆の推理は論理的で、それを記述する笠井潔の文も執拗に論理性を重視しながら、事件の問題点を整理しながら進んでいく。そこにおかれた記号の多義性を丹念に読み解きながら、現象が指し示すものを記述していく。それが、そのまま読者の推理を誘い出していく。その現象に向けての考察が、小説をぶ厚くする。どこまでも作者の誘導や独善的な推理の道筋ではないという姿を示しながら、そのこと自体が推理小説自体への批判にもつながるメタ・フィクションの要素も持っている。批評家でもある作者ならではなのかもしれない。
また、ナディアの視線で書かれたところと物語作者笠井潔の視線で書かれた章や警視の心理で記述されたところなど語りの縦横さもある。
細部が織りなし、構築される物語世界をじゅうぶん楽しむことができた。
あとは、ウーム、シリーズの中で何番目ぐらいの作品かな。
矢吹駆シリーズはやはり面白い。
今回の思想はラカン。ジャック・ラカンとおぼしき(というか、直でラカン)、ジャック・シャブロルという精神分析家が登場する。彼は、「フロイト回帰派」の指導者で、鏡像段階、想像界・象徴界・現実界、享楽と去勢などなど、ラカンの理論をめぐる議論が展開される。これに多重人格と解離の問題、ラカン批判としての父性と母性、父神と母神の葛藤などが加わる。
探偵小説についての文で、「今回はラカン」というところが、すでに笠井潔のシリーズの面白いところで、現代思想への考察と批判が小説の背景という以上のヴォリュームを占めていて、それが魅力なのだ。
これに、さらに、肯定神学と否定神学をめぐる神学論議、シニフィアンとシニフイエの逆転現象やシーニュ(記号)がシニフィアンとして、内容を指し示さずに次のシニフィアンとなるシニフィアンの連鎖、吸血の意味論、現象学と精神分析の戦い(?)、なども絡まり合って、当然のように、ページ数は増していく。
で、探偵小説のストーリーは、本のデータベースによる紹介文を引用すれば、
「パリ市東部に位置するヴァンセンヌの森で女性の焼屍体が発見された。奇妙なことに、その躰からはすべての血が抜かれていた。続いて、第二、第三の殺人が起こり、世間では「吸血鬼」事件として注目される。一方、体調不良に悩まされていた女子大生ナディアは友人の勧めで精神医のもとを訪れる。そこでタチアナと いう女性に遭遇し、奇妙な依頼を受ける。各々の出来事が、一つの線としてつながったときに見えてくる真実とは…。ナディアの友人である日本人青年が連続殺 人の謎に挑む。本格探偵小説『矢吹駆』シリーズ第6作。」
となる。
タチアナは、ルーマニアから亡命した元体操選手。チャウシェスクの政治体制がもたらす諜報活動も事件の流れのひとつにあり、駆の宿敵イリイチも登場する。
本質直観を駆使する駆の推理は論理的で、それを記述する笠井潔の文も執拗に論理性を重視しながら、事件の問題点を整理しながら進んでいく。そこにおかれた記号の多義性を丹念に読み解きながら、現象が指し示すものを記述していく。それが、そのまま読者の推理を誘い出していく。その現象に向けての考察が、小説をぶ厚くする。どこまでも作者の誘導や独善的な推理の道筋ではないという姿を示しながら、そのこと自体が推理小説自体への批判にもつながるメタ・フィクションの要素も持っている。批評家でもある作者ならではなのかもしれない。
また、ナディアの視線で書かれたところと物語作者笠井潔の視線で書かれた章や警視の心理で記述されたところなど語りの縦横さもある。
細部が織りなし、構築される物語世界をじゅうぶん楽しむことができた。
あとは、ウーム、シリーズの中で何番目ぐらいの作品かな。