パオと高床

あこがれの移動と定住

ミラン・クンデラ『無知』西永良成訳(集英社)

2005-12-09 22:55:52 | 海外・小説
やっぱりクンデラは面白い。この作家の作品は多声的な構成があり、登場人物の行為への分析、解析があり、時代への痛烈な批判があり、普遍的なものと時代的なものへの絶えざる批評があり、過去の精神への、そして現在の精神への言及があり、人間性への問いがある。小説家として思想家なのだというようなことを、クンデラはドストエフスキーに対して語っていたように記憶しているが、まさにクンデラ自身が小説家として時代の思想家である。

亡命からの帰還を「大いなる帰還」として『オデュッセイア』になぞらえていく。パロディー化といえるのかもしれない。そこには祖国を喪失するという悲劇がある。帰還する場所のない帰還の悲劇がある。そして、常に現在のその時点では「無知」である人間の状況が描かれる。しかし、この悲劇はスタイナーが『悲劇の死』でも書いたようにすでに「喜劇」への「滑稽」と「猥雑さ」への表現に変わらざるをえなくなる。そこに、より悲惨な現況が現れる。表紙裏に書かれた「人間は何も知らない存在であり、無知こそが人間の根源的な状況である」が痛烈に哀切をたたえる。

自身が亡命者であるクンデラが書かなければならなかった小説は、やはり時代への様々なトゲと視線を見せてくれた。あとがき解説のサルトルとの比較も僕には面白かった。


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