パオと高床

あこがれの移動と定住

平谷美樹『賢治と妖精琥珀』(集英社文庫 2023年8月30日)

2023-12-03 09:42:27 | 国内・小説

大正12年7月31日から8月12日までの宮沢賢治の樺太への旅を取り入れたファンタジー。
なんとなんと、宮沢賢治とラスプーチンが対決するというお話だ。
しかも妖精を封じ込めた琥珀をめぐる争奪戦。
石への蘊蓄も高い宮沢賢治を持ってきて、しかも前年の妹トシの死からの賢治の心の動きを織り込んでいく。
しかもしかも、その心の変化が賢治の宗教観、宇宙観と繋がっていく。
あの絶唱「永訣の朝」から「青森挽歌」や「宗谷挽歌」「鈴谷平原」「噴火湾(ノクターン)」などの詩とも絡ませながら物語は展開する。
で、その物語は幻視や呪法も駆使した活劇なのだ。
二つに割れた妖精琥珀。一つは賢治のもとにあり、もう一つはロシアの怪僧ラスプーチンが持っている。
この二つを出会わせ絶対的な力を持とうとするラスプーチン。奪われまいとする日本の特殊グループ。
そして、妖精琥珀はお互いを求め合う。
花巻から青森を経て北海道を縦断し、稚内から樺太へ。
一気読みの一冊。

読後、宮沢賢治の詩を読みたくなった。
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パク・ソルメ『未来散歩練習帳』斎藤真理子訳(白水社 2023年7月10日)

2023-10-07 05:14:46 | 海外・小説

韓国の小説家で一推しになるかも知れない作家に出会ったような。
現在を未来への散歩の練習ととらえる。
それは過去もすでに現在への迷うような散歩であったのかもしれないし、
現在も散歩することで、
未来へとつながっていく。
過去の中に未来を見る。変な言い方だけど未来を記憶する。
それが私たちにできることであり、私たちがすることであるというより、
していることじゃないのだろうかと
なんだか散歩しながらつぶやいてくるような。
小説は二つの流れで進む。
ひとつは現在と覚しき作家の「私」とチェ・ミョンファンの釜山での交流。
もうひとつは82年に釜山で暮らしていたスミと服役を終えて現れるユンミ姉さん、
それにスミの友人ジョンスンとの82年から現在までの物語。
つながっているのは1982年に起きた「アメリカ文化院放火事件」。
そして、この放火事件は光州事件からつながってきていて、
つまり、現在の韓国社会へと流れてくる民主化運動が
現在から振り返られる。
現在は過去によってあらかじめ夢みられた未来になっている。
その時間のスパンを、そんな時の流れを、小説は独特の距離感で描きだす。
果敢だが無理矢理感がない。
そこにある距離を距離として真摯に見つめる。
迷うようで、明確ではなく断固としたものでなくても、日々に夢みられることを
歩んでいく散歩。
それが釜山をよく歩く登場人物たちの日々の描写から伝わってくる。
龍頭山公園界隈がみごとに立ち現れてくる。また、散歩の文体、散歩の思索が
私たちの毎日の暮らしとやさしく重なってくる。
なんだろう、この読後感は。強く勇気づけられるわけではないのに、
何だか視界がほんのり晴れるような感じがする。
小説は冒頭から結末へ、その結末が冒頭へ繋がるという構成になっている。
小説の中に小説がある入れ子構造かなとも思わせる。
訳者も書いているが原文は独特の文体を持っているのだろう。
訳者が書いている「逡巡」という言葉を遣えば、逡巡しながら文章がリズミカルに進む。
迷いや行き場の予想つかなさが何だか癖になるような心地よさを持っていた。
もう一冊翻訳されている、短編集『もう死んでいる十二人の女たちと』も面白かった。
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坂本龍一

2023-04-03 00:34:52 | 雑感
えっ、
坂本龍一が死んじゃった。
大江健三郎の死もショックだったけれど。
春は、
残酷な月なのかな。
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斎藤真理子『韓国文学の中心にあるもの』(イースト・プレス 2022年7月176日)

2023-04-01 08:51:48 | 国内・エッセイ・評論

斎藤真理子は韓国文学の翻訳家でライターである。
あっ、翻訳ってここまでその国と付き合いながら行っていく作業なのだと思った。
韓国の作家が自分たちの現状や歴史とどう向き合い、その中でいかにそれを内面化し、
なにを考え、なにを伝え発信し、どうそれを形にしていったのかが伝わってくる一冊。
そして、紹介されたこの小説を読んでみたいと思わせてくれる手引き書にもなっている。

章立ては、第1章「キム・ジヨンが私たちにくれたもの」から始まり、
「セウォル号以後文学とキャンドル革命」「IMF危機という未曾有の体験」「光州事件は生きている」
「維新の時代と『こびとが打ち上げた小さなボール』」「「分断文学」の代表『広場』」
「朝鮮戦争は韓国文学の背骨である」「「解放空間」を生きた文学者たち」「ある日本の小説を読み直しながら」の全9章。
章立てを見ただけで、韓国の現代史が見えてくるようだ。

『82年生まれ、キム・ジヨン』は「降臨」したと表現されている。
うん、確かに、この小説は視界と地平を転換させる発火装置だった。自身の価値観が何によって築かれ、
それが変わるものかを日常の隅々に到るまで問うてくる。
当然だろう、価値観は日常の些細なことまで決定しているのだから。その土台をしっかりと揺らした。揺らし続けている。

セウォル号事件が韓国の人々に、作家に与えた影響はこんなにも大きいのだと思った。
この事件を経て、小説にきざす気配が代わった作家たちを、読んでみたいと思った。
キム・エランのこの事件以降の作品を読んでいない。
キム・へスンの『死の自叙伝』は圧倒されたが重さを受けとめられなかった気がする。

「光州事件」では、テレビドラマ「砂時計」「第五共和国」に衝撃を受けた。
が、ハン・ガンの『少年が来る』は圧倒的だった。今でも、ボクの中の一押しの小説の一つだ。
ハン・ガンは『菜食主義者』で驚かされ、『ギリシャ語の時間』や『すべての、白いものたちの』
などなど多分翻訳されているものは読んでるんじゃないかなと思う
。今、詩集『引き出しに夕方を仕舞っておいた』を読んでいる。この書名がすでにいいよ。
韓国の作家でノーベル賞をとるとしたら多分、ハン・ガンではと思っている。

廉想渉(ヨムサンソプ)の『驟雨』については、そうか、こんな風に歴史の文脈の中で読めばいいのだと思った。

多くの書籍一覧もついていて、この本読んでみようと思える紹介書でありながら、読み方も示してくれる。
たびたび手に取ることになるだろうと思う本だった。
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斉藤倫『Poetry Dogs』(講談社2022年10月27日刊)

2023-03-07 14:56:48 | 詩・戯曲その他

いぬがバーテンダーのバーに「ぼく」がふらりと入ったのは、「すぎゆく夏のうしろ姿が見えた」季節。
三軒目に選んだ店だった。
頼んだお酒はジンリッキー。お通しはバーテンダーが選んだ詩だった。
そうやって、詩をめぐる会話が交わされる。
「ぼく」のちょっとした思いつきや最近の悩み、生活の中の鬱屈や何げない感想などがちょろりっと語られる。
それが浅かったり深かったり、ふふと笑ってしまえたり、うんうんとうなずけたり。
で、さまざまに読める詩を読む愉しさがそっとカウンターに置かれるように、本の文字に重なっておかれる。
この詩はこう読むのですなんて迫ってはこない。
こうかもしれないし、ああかもしれないし、どうでも読めるし、わかるなんていらないので、と差しだされる。
今の気持ちに合う一篇の詩が。すると、その詩に誘われてしまうのだ。
で、なんだか詩っていいよなと思えてくる。

訪れる夜は全部で15夜。31篇の詩がお通しで出される。
エリオットやエズラ・パウンド、ランボーにボードレール、ガートルード・スタインもいればアメリカ・インディアンの口承詩もある。
大岡信に吉岡実、北村太郎、萩原朔太郎や室生犀星、富岡多惠子、川田絢音、石牟礼道子に高橋順子などなど、
あっ、草野心平と宮沢賢治もあるしで、このバー、なかなかの品揃えだ。
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エリザ・スア・デュサパン『ソクチョの冬』原正人訳(早川書房2023年1月25日刊)

2023-03-01 15:32:25 | 海外・小説

韓国人の母、フランス人の父を持つ今年31歳になるスイス在住作家のデビュー作。
舞台は韓国の北朝鮮との国境の町ソクチョ。
ソクチョというと「冬のソナタ」を撮ったユン・ソクホ監督の四季シリーズ「秋の童話」を思い浮かべる。
あのドラマ、子供時代の風景が美しかった。

ただ、小説は冬。寒さが厳しい。
主人公は作者と同じように韓国人の母とフランス人の父を持つ。ソウルの大学に通っていたのだが、
今は、この町の小さな旅館で働いている。そこに、フランス人のバンド・デシネ作家がやって来る。
バンド・デシネはフランスの漫画と解説されている。
その作家ヤン・ケランは、最終巻になる第10巻の着想を得るためにソクチョに滞在する。
主人公は彼に興味を持ちながら、彼のスケッチブックを覗き見し、やがて彼と交流していく。
ソクチョの冬の閉ざされた風景とその場所にいる主人公の心の動きを、余韻を含む会話や切なさや鬱屈、
さらにさらりと宿るあやうさなどを織り交ぜながら描き出していく。漂う詩情が心地いい。
自らの作品の中の女性をイメージ付け、描き出そうとするケラン。
自らを物語の中で生かしたいと思いながら、物語のない日々がひたひたと迫ってくるヒロインの心の振幅。
足場とする強固な土壌を持ち得ないのに、そこにいる、その場所が足場になっている中での、
ここではない何処かへの思いとその思いの前でたたずむ姿。それが、読者にやさしく差しだされる。

小説の中で名前を与えられていない主人公は、冬から春へと歩きだすのだろうか。
物語は与え、与えられる関係のの中にある。ケランに着想を与える主人公の「わたし」は、
ケランの作品によって物語を与えられるのだろうか。物語は与えられるものではなく、
そこでもやはり歩み出すことから始まるものなのだろうか。

「自分が本当に言いたいことは、いつまでたっても伝えられないんじゃないかって気になるよ」
とケランは言う。主人公はそれに対して、
「たぶんそれでいいんじゃないかしら」と言い、さらに
「だって、さもなきゃ、あなたは絵を描くことをやめてしまうでしょう?」と続ける。
要約されたり語り終えられたりしないから、小説は続いていくのかもしれない。
そう、「決して終わらない物語さ。何もかもが語られる物語。あらゆるものを含んだ。寓話だね。究極の寓話だ」
へと向けて。
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ハン・ジョンウォン『詩と散策』橋本智保訳(書肆侃侃房 2023年2月6日)

2023-02-17 03:02:45 | 海外・エッセイ・評論

散歩を愛す韓国の詩人ハン・ジョンウォンが、詩に出会い、詩を歩き、感じ考えたことを
「澄んだ水晶」(訳者あとがき)のように綴ったエッセイ集。
散歩と詩は、こんなにも素敵な出会い方をするのだと、エッセイを一つ読んでは、
閉じた表紙の、これまた素敵なデザインを見ながら、しみじみ感じた。
そして、詩と散歩と思索は、拾い集めたくなることばをこんなに、はらはらと舞い散らせてくれるのだと、
うれしくなってしまった。

詩をいくらかは読んできたけれど、どれだけ詩との出会いを大切にしてきたのかなとか、
ただ消費するようにことばをなくしてきてしまったとか、そんなことを考えた。
これまで出会った詩に、もう一度、出会い直してみたいという気持ちにさせてくれた。
そう、
「雪は白い色というよりは、白い光と言ったほうがいい。その光は私の愛する人の顔を映しだしてくれる」と、
書かれているように、雪を愛する詩人のことばは、すいと光を差しだしてくれる。
そこに置かれた思いをもったことばたち。
オクタビオ・パス、ボルヘス、ペソア、ウォレス・スティーヴンズ、ヴァルザー、ヴェイユ、
ツェラン、エミリー・ディキンスン、リルケ……。
ロシアの詩人アンナ・アフマートヴァ、イランの詩人フォルーグ・ファッロフザードもいる。
あっ、金子みすゞも。
それらの詩句を口ずさみながら、散歩をし、日々の暮らしを過ごしながら、
思いはゆっくりと自在に歩みを続けていく。
読んでいると、日々の中に木々に囲まれた静謐な場所が現れるような気がしてきた。

最近、詩をめぐる本や、詩を紹介する本に、一緒に連れだしてくれる、誘いだしてくれる本が
多いような気がする。
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『無双の花』葉室麟(文春文庫)

2023-02-12 13:27:16 | 国内・小説

ずるいよ、立花宗茂。かっこよすぎ。
葉室麟、かっこよさをかっこよく描ききっている。
大河ドラマで取り上げて欲しい人物の一人として挙げられる立花宗茂を、
福岡出身の作家葉室麟が描く。
「立花の義」を貫き、義による行動を全うしながら、生き抜いていく宗茂。
そして、武勇にも秀でた妻誾千代。
大坂の陣では敵味方に分かれながらもお互いを認め合う真田信繁。
乱世から泰平の世へとかわる中で、お互いが交差する伊達政宗。
さらに、秀吉、家康、秀忠。と、葉室麟は独自の視点で人物を造型していく。
でてくる人物がなんとも魅力的だ。
そんな中で
「世は努めることを止めぬ凡庸なる力によって成り立っておるかと存じます」
と宗茂に語らせる、人々の日々の営為に注ぐ作者のまなざし。
また、乱世を泰平に導くために、ぶれずに大切にされる「義」という価値への作者の思い。
秀吉の島津攻め、朝鮮出兵、関ヶ原の戦い、大坂の陣という時代の流れも描きながら、
尊敬し合う夫婦の姿や戦いのもたらす非情さも横溢する。一気読み必至の一冊だった。
で、
ドラマ化して欲しい。特に今、この時代に。
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『浄土の帝』安部龍太郎(角川文庫)

2023-02-10 13:49:21 | 国内・小説

後白河上皇の半生を描いた小説。
平清盛とか源頼朝を描く時に、稀代の政治力と裏工作師ぶりを発揮するキイパーソンとして登場する帝を、
正面から主役で描く、珍しい(?)一編。
院と天皇の確執や、それをとりまく摂関家の蠢きがわかって、なかなか面白かった。
今様に打ち興じる姿や、夢物語にテレパシーのように語りかける様子は、
それこそドラマでよく見かけた。
「鎌倉殿の13人」でも頼朝の夢枕に西田敏行はよく立っていた。
それが、この小説では、今様に優れた才能を持ち、人々から尊崇を得るためにその才能を生かした、
としている。
また、語りかける能力も、そんな力を持っていたとして描いている。
なんらかの古文の資料に記述があったのかもしれないし、作者が想像をめぐらしたのかもしれない。
それが崇徳上皇と後白河上皇の心の交流でうまく使われたり、
後白河上皇が庶民をどう捉えようとしていたかを描く時に有効に活用されていた。
実際に
今様が宮中にも浸潤している様子は、文化の動きとしてかなり重要な転機だと
何かの本で読んだことがある。吉本だったかな?

この作者の書いた『等伯』でもそうだったが、
視点を従来の場所から変えることで、違った立ち位置で歴史を見つめることが出来た。
保元の乱や平治の乱といった学校で習った歴史が人々の動きとして表れたのはよかった。

それにしても韓国歴史ドラマの朝鮮時代物でもそうだけれど、
王や帝が親政を行うことは、難しいもので、必ず
とりまく官僚の権力争いが起こるのだな。
で、一方でいかにして相手を朝敵にするかが、すでに古代から生まれていたことに
気づかされた。
幕末に倒幕を狙う薩摩藩が錦の御旗を欲しがった戦略もすでに、
歴史が示しているものだったのだ。

安部龍太郎の小説は比喩が抜群にいいな。
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嶋稟太郎『羽と風鈴』(書肆侃侃房 2022年1月18日)

2022-01-29 19:46:29 | 詩・戯曲その他

迷路の中を彷徨ってしまう。そんなときに突然、いや、突然というほど強くはなく、
でも確かに、すいと現れる一本道があって。

曲線のかたまりのなかに曲線を横断(?)あるいは縦断(?)するような
まっすぐな線が現れて。

どんなに不穏な空気が流れていても、ここにはきっと直線があるのだと思わせてくれて、思い出させてくれて、
と、そんなことを感じた、考えた歌たちがいた。
大辻隆弘は跋文でチェーホフを想起していた。そうか、チェーホフか、確かに。

 しばらくは地上を走る電車から桜並木のある街を見た
 午(ひる)すぎの静かな雨を通り抜け東急ストアでみかんを選ぶ
 透明なボックスティッシュの膜を裂く余震のあとの騒ぐ心で
 開かれて窓の格子に吊り下がるビニール傘が通路に光る

歌集最初の「大きな窓のある部屋に」冒頭四首。
僕は、私は、ここに今いるんだ、で、これって、この一瞬だけれど、ここまでがあって、
これからがあるんだよって感じさせる。
歌が現在形なのだ。一首目が「見た」と終えられていても、この「た」は過去形ではなく
「しばらくは」と呼応して、次の瞬間に移動していくのだ。これが迷路の日常を、迷路の表現を
凜と動かす。
だって、現在は、いまこのときまでを、きっとそのときへ、たぶんそのときへとつなげる、そんな「いま」、だろうから。
それが、裏切られたとしても、いま、このときは、僕が、私がいるいまこそ、そのときなのだ、
と、やさしく感じさせてくれる。
いいよな。それって。

表紙裏にある一首。歌集表題を表す歌だろうか。

 それぞれの羽を揺らして風鈴はひとつの風に音を合わせる

何か、はじまりをやさしく差しだしてくるようだ。もう一首だけ引く。

 乗り過ごして何駅目だろう菱形のひかりの中につま先を置く

歌集の装幀もいい。
歌人は2020年笹井宏之賞の個人賞(染野太朗賞)を受賞。
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