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村岡桃佳選手がパラリンピックでメダル5個

2018年03月30日 11時08分21秒 | スポーツ・自転車・ウォーキング


平昌冬季パラリンピックのアルペンスキー女子座位

村岡選手(21)は、1977年3月3日、桃の節句に生まれたので桃佳と名付けられた。4歳で急性の脊髄炎症で下半身が麻痺、両足が動かなくなり、車いすに乗っているパラ(障害者)アスリート。

身長1m50、体重37kgと小柄だ。深谷市立・川本中、私立・正智深谷高を卒業、早稲田大3年生だった。

早稲田には15年春、パラリンピアンとして初めてトップアスリート入試に合格、スポーツ科学部に属し、早大スキー部に入部した。

出場5種目全てでメダルを手にした。1大会で5個のメダル(金1、銀2、銅2)は冬季パラリンピックの日本選手では男女を通じて最多。平昌で日本のメダル第1号は村岡の滑降だった。平昌で日本が得た10個のメダルのうち半数を村岡が手にした勘定だ。

メダルを獲得したのは、アルペンスキー座位の大回転で金、滑降と回転で銀、スーパー大回転とスーパー複合で銅だった。

金を得た大回転は、前回のソチ大会で5位に入賞したほか、他の大会でも優勝経験があり、得意の種目だった。

村岡選手は日本選手団の旗手の役割を十二分に果たした。日本の“パラアスリートの女王“と呼んでも恥ずかしくない活躍ぶりだった。 村岡選手の活躍は、深谷市民を歓喜の渦に巻き込んだ。地元の市役所のパブリックビューイング会場は1位が決まると、クラッカーが鳴らされ、「ばんざーい」の声が響き渡った。

 現地に応援に出かけた小島進市長は、深谷初の五輪パラリンピックのメダリストとあって、新たに創設した「市民栄誉賞」を贈ることを決めるとともに、市のイメージキャラクター「ふっかちゃん」とともにミニ凱旋パレードを開いた。

また、第2、第3の桃佳ちゃんを育てようと「ガバメント・クラウドファンディング」を近くスタートさせることを明らかにした。

障害者が必要とする補助器具の購入支援などを目的に、インターネットを通じてふるさと納税の形で寄付を募集、集まった資金は12年に設立した「ふっかちゃん福祉基金」に繰り入れ、希望者の申請に基づいて助成する。

この基金は、村岡選手も5回に渡り支援を受け、チェアとスキーを繋ぐ高速系のフレームを購入するのに役立った。

県体育協会(会長・上田知事)は功績をたたえ、県体育賞会長特別賞を贈った。