ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

鴻巣御殿御参行列 鴻巣市

2015年11月20日 15時26分16秒 | 市町村の話題


江戸に接する江戸時代の埼玉県は、田や畑に原野が広がり、鷹狩りに絶好の場所だった。

徳川家康は、鷹狩りが大好きで、健康維持と民情視察のため、たびたびこの地を訪れた。このため宿泊や休養に使った鷹狩御殿が何か所かあった。

鴻巣市にも、JR鴻巣駅近くの本町4丁目に鷹狩り用の鴻巣御殿があった。その跡にはいま鳥居が立ち、「東照宮」と呼ばれている。

御殿は1.4haで、国立歴史民俗博物館所蔵の江戸図屏風に描かれている。

合併10周年を迎えた鴻巣市は15年11月14日(土)、この御殿にちなんで中山道を歩行者天国にして「鴻巣御殿御参行列」を行った。

御参といっても行列そのものに関わる著名な関係者が家康と伊那忠次しかいないので、「鴻巣ゆかりの歴史人」に枠を広げ、「8傑1姫」の行列があるというので、見物に出かけた。

あいにくの小雨で参加者はビニールの雨よけ姿で、行列を先導するつきものの鼓笛隊の音も聞こえなかった。

古い順に

市の笠原にその名を残し、天神に生出塚がある奈良古墳時代の武蔵国埼玉郡笠原郷の武蔵国造家にいた豪族・笠原直使小主(かさはらのあたいおみ)

大間に城山跡が残る、清和源氏で最も栄えた流れの祖である源経基(みなもとのつねもと)

源頼光四天王の筆頭。全国100万余の渡辺姓の祖とされ、箕田の宝持寺などに史跡が残る渡辺綱(わたなべのつな)

鴻巣御殿建築時の作事奉行を務め、勝願寺に墓がある伊那忠次(いなただつぐ)

家康の直参で、勝願寺に歴代の墓が残る牧野康成(やすしげ)

袋に忍城攻めの石田堤の遺構の一部が残る石田三成

徳川家康

家康の家臣の剛将本田忠勝の長女で、沼田城主・真田信幸(之)の正室。病にかかり草津温泉に向かう途中、鴻巣で死亡、勝願寺に三男信重夫妻とともに眠る真田小松姫

である。

家康には原口和久市長(写真中央)が扮し、小松姫らは公募した。

この9人に関係のある長野県上田市の「信州真田鉄砲隊」、群馬県沼田市の「小松姫プロジェクト」、行田市の「忍城おもてなし甲冑隊」が特別出演した。

必ずしも仮装姿ではない「町衆隊」として、「コウノトリを鴻巣のそらへ飛ばそう」、「鴻巣びっくりひな祭り2016」、「鴻巣空手道スポーツ少年団」、「登戸獅子舞保存会」など20数団体も行列に加わり、合わせて約600人が行列した。

市役所や会社、工場勤務の外国人の姿も目立った。

鴻巣東小では、「楽市楽座」と称するマーケットも店開きした。鴻巣市はこの日、総出で昔をしのんだ。