ださいたま 埼玉 彩の国  エッセイ 

埼玉県について新聞、本、雑誌、インターネット、TVで得た情報に基づきできるだけ現場を歩いて書くエッセー風百科事典

慈光寺 ときがわ町の桜狩り

2010年11月25日 12時15分43秒 | 寺社
慈光寺の桜狩り ときがわ町

4月9日(11年)、埼玉県の比企郡ときがわ町にある慈光寺の桜を、仲間と見に行った。寺が1986年以来育てている参道の桜並木を見物しようというのである。事前に下見に出かけたリーダーの話だと、「ちょうど見頃かもしれない」というから勇んで出かけた。

この日、「埼玉県も初の夏日だ」という予報もあり、陽気に浮かれた桜が華やいでいるに違いない。

前回、慈光寺を訪ねたのは、有名な9基の板碑(いたび)が立ち並ぶ「青石板碑群」が狙いで、一人で駅から歩いた。その時、パンフレットで、寺と町が「里ざくらの里」づくりを進めているのを知ったので、春にはぜひ再訪したいと思っていた。

仲間たちが住むさいたま市(武蔵浦和駅周辺)では、すでにしだれ桜や染井吉野の盛りは終わっていた。

武蔵野線から東上線に乗り換え、小川町に近づくと、まだ染井吉井が満開。「あれ、さいたま市はやはり南なのね」。桜は、わずかな緯度、高度、温度の変化にも敏感だと実感した。遠出して桜を見るから分かることだ。

小川町駅前からときがわ町のカッコいいバス(昔の田舎のバスと違って新しくモダン)に乗り、ときがわ町の「せせらぎバスセンター」で乗り換え、慈光寺入り口で降りる。ここから2km坂を上り、1300年の歴史を誇る古刹「慈光寺」と関東最古の禅寺「霊山院(りょうぜんいん)に向かうのだ。

釈迦の慈しみの精神から「慈」の字がつく寺は多い。いつも間違うのは岩槻の「慈眼寺」だ。時々、ときがわ町のこの寺はどっちだったのかと迷うほど。

来る度に。こんなすごい寺が、なぜこんな田舎にあるのかと思う。西北の隣には、埼玉県でただ一つ残った「東秩父村」がある。

鉄道やバスが主要な交通機関でなかった時代は、脚だけが頼り。脚を基にした距離感があったのだろう。私の気にかかっているのは、一日40キロ歩いたとされる芭蕉の健脚ぶりである。

今回はリーダーの下調べのおかげで小川町からバスで慈光寺入り口下車。楽をしようと思ったらバスは慈光寺まで登る。

もらったパンフレットによると、ここの里ざくらは1986(昭和61)年、参道の両側に270本の八重咲きの「一葉」と「普賢象」を植えたのが初めてという。だから、登っていくうちにこの二つが多いのに気づく。

里桜は遅咲きなので、残念ながらまだ咲いていないのが多かった。早咲きの染井吉野は満開を過ぎようとしていて、花吹雪が舞っていた。

霊山院の参道にも里ざくらが植えられえていて、慈光寺から霊山院に回ってこの参道を下れば、25年かけて育てた33種の里ざくらが楽しめる。今年は、「陽光」「八重紅枝垂桜」「大山桜」「仙台屋」「稚木(わかき)の桜」の五品種が新規公開された。

この中で「仙台屋」と「稚木の桜」にはお目にかかったことがない。「仙台屋」は、高知市の仙台屋という店にあったもので、有名な植物学者牧野富太郎が発見して名づけた。山桜の栽培品種で、大山桜のような紅色の花を持つと、重宝している学習研究社の「日本の桜」(勝木俊雄著)にあった。

「稚木の桜」は、この図鑑にもなかった。インターネットで調べてみると、これも牧野富太郎博士が出身の高知県佐川町で発見した。山桜の一種で09年に地球に帰ってきた宇宙桜14種類の一つで発芽した、という。

日本人は勉強が好きだ。「美しい」だけでなく「これは何という桜」という疑問を持つ人が多い。ここの桜には一本一本に名前を大書した立て札があり、桜好きにはありがたい。

「鵯(ひよどり)桜」「雲珠(うず)桜」「水晶」「東錦」「永源寺」といったこれまた見たことがない桜もあって、開花期にまた来ようと思った。

立て札で名前を教えてくれる親切心もうれしい。新しい桜の名所が誕生しようとしている。

桜だけではない。ちょうど、この町の町花「ミツバツツジ」が至る所で満開、それに花桃、名物のシャガが加わって、桃源郷と呼びたくなるほどの場所もある。この写真は霊山院前のもの。ときがわ町は花の町である。