聖書66巻中、最も適応が難しい書。
と言うか、そもそも何故、この書巻が聖典に入っているのか?アタシにとっては長い間の謎だった。
アタシと同じようなことを考えている人は、どうやら他にもいるらしく、
彼らが到達した答えは、「プリム祭の起源を聖書に記しておくため」だと言う。
「それってどう考えても逆だろ!?」と、思うのだが、9章31-32節からすると、確かにそう取れる。
いずれにせよ、プリム祭とエステル記が一体であることは確か。
となると、プリム祭を知らない日本人に、本書の意味を理解するには無理があるとアタシは思っている。
ところが、このプリム祭りと縁(えん)も縁(ゆかり)もないはずの日本に、な、な、なんと、プリム祭りと似た祭りがあると言うではないか!?(メッセージより抜粋)
(これがハマンの耳クッキー 割と美味しそうである・・)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます