エンジェル田中のホボ毎日記

☆私たちは何を知り、何を祈り、何を伝えるべきなのか? 大衆伝導師“エンジェル田中”が語るレアな聖書メッセージ!

ヨナとニネベとイスラム国

2017年06月28日 | 日記

さて次週は、子供達もよく知っている、最もポピュラーな預言書 “ヨナ”である。本書が有名なのは、預言書と言うより、魚に飲み込まれたヨナという人物に焦点を当てた、どこか滑稽な寓話的物語として捉えられているからである。

そもそもこの話しは事実なのか? それとも寓話なのか? もし、ヨナ書が何かの例え話しとか、聖書昔話しであったとしたら、「昔々、ある男(預言者)が・」で始まれば良いのである。ところが聖書は、ヨナがどの時代の人で、何処で、何をしていたのか、また、どの部族出身であったのかさえ、詳しく書いている。

北王国が、最も繁栄したヤロブアム二世(BC783~743)の統治時代、イスラエルは一度失った領土を回復している事が文献上判明している。そのアイデアを提言したのが誰あろうヨナ。つまり彼は、北王国政府お抱えの、ゼブルン族出身の預言者兼官房長官だったのである。

前回、イザヤ書の学びの時に、“サルゴン”と言う、古代文献の何処にもなく、聖書にも一度しか登場していない王の名前が記載されているという話しをした。その為に、イザヤ書は勿論、聖書自体の信憑性が疑われていた。と..。

しかし、実はサルゴンどころか、アッシリアという国自体が、幻の帝国であった。つまり、イザヤもダニエルも、特にヨナなどは「こんな荒唐無稽な話しは、聖書が寓話であることの証明じゃん!」的状況だったのだ。

  19世紀にアッシリアの遺跡が発掘されるまでは

この発見によって、サルゴンはイスラエルを滅ぼした時の王で、 次に王になったセナケリブが、ユダ王国に攻め入り、エルサレムを包囲したが失敗。それから遡る事6代前の王、アダト・二ラーリ(BC808-783)が、様々な改革を行ない。彼の死後、3人の王までは、内政中心で征服政策は中断されていた事が判明した。

ヨナがニネベに行ったのは、このアダト・二ラーリの治世下であった。これが、ヨナによって、約150年間、当時の100万人都市・ニネベの存続が赦されたという歴史的証拠である。

ちなみに、その遺跡の中から、ニネベで二番目に大きな“ユナスの丘”という名の跡が発見された。ユナスとはアッシリア語でヨナ。このユナスの丘が、ヨナの墓ではないかと言われているのだが、だとすると、ヨナはあんなに嫌っていたニネベから離れることなく、そこに住んだという事になるのだが・・それはともかく、聖書にある通り、ヨナがアッシリアに行った事は事実なのである。 ところが・・

先週、な、なんと、このアッシリアの遺跡が、あのイスラム国にメチャクチャに破壊されてしまったのだ 

             

歴史の流れとは言え、残念と言うか、やり切れないと言うか、腹立たしいと言うか・・日本の政治家は相変わらずバカな事しかやってないし、メディアは全く取り合上げないし、こうした情報を聖書と結び付けて考えられるクリスチャンはいないし、それ以前に、問題意識が希薄と言うか、時代感覚が全くないと言うか、自分の周りの事しか考えてないお花畑な人々ばっかしだし...

とにかく、以前ヨナ書を読んだ時とは、もはや時代も状況も変わっているという事を覚えつつ、ヨナ書をもう一度、読んで来ていただきたい。ちなみに、ヨナのレポートは、ユカピー担当の予定です。 Newsはこちら! Good News Ministry  http://blog.goo.ne.jp/jesus107


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