イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

KEYと、邂逅

2009年02月06日 21時05分31秒 | Weblog
昨日、20年ぶりに中学校のときの友達と会った。ずっと連絡をとっていなかったのだけど、彼が最近このブログを通じて僕を見つけてくれ、しかもものすごく近所に住んでいることがわかり、ぜひ会おうということになったのだ。

8時に武蔵境のすきっぷ通りにある本屋で待ち合わせて居酒屋に行き、その後彼の家にお邪魔させてもらって、朝3時まで話し込んだ。あまりにも懐かしすぎて、何から話せばいいのかわからなかったけど、思いつく限りの昔話に花が咲いた。7時間も話をしていたのに、話題が途切れることはなかった。会う前はちょっと緊張もしたけど、不思議なもので少し話したら、あっという間に中学生だったときとほとんど同じノリに戻ることができた。

彼と仲良くなったのは、北陸地方の某市に住んでいた中学校一年生のとき。僕が『戦場のメリークリスマス』を観て、YMOが好きだと言っていた彼に話しかけたのがきっかけだ。映画を観て、坂本龍一ってなんだかすごい人だなと思った僕が、彼に教えてもらったYMOの虜になってしまうまでにはほとんど時間がかからなかった。

マンガが上手で、独特のユーモアのセンスが抜群だった彼とは波長が合い、一緒に遊ぶ機会もどんどんと増えていった。当時『サウンドール』っていう音楽雑誌があったのだけど、毎号熟読しては音楽の知識を増やし、情熱を燃やしていった。3年生になったとき、同じく彼の影響でYMOに目覚めた友達2人と一緒に、4人でYMOのコピーバンドを作って、文化祭に出ようということになった。休み時間になると4人集まって、どの曲をどの順番でやるかとか、楽器はどうやって調達するかとか、いろいろと作戦を練ったりした。何度もスタジオに入って練習した。ほかの音楽好きの友達もデュランデュランのコピーバンドを結成し、ライバル意識も芽生えたりした。そんなすべてがとても楽しかった。

文化祭の本番は、まあ大成功といっていいものだったと思う。僕は小さい頃からピアノを習っていたので、キーボード担当。曲は『君に胸キュン』、『KEY』、『ライディーン』だった。全校生徒の前に立つのは緊張したけど、3年間の総決算みたいな感じて、夢中になって演奏した。舞台の上いた自分たち4人が、とても誇らしかった。客観的に見たら、中学3年生の演奏は、それほど素晴らしいものではなかったのかもしれないけど。

昨日会った友達の担当は、ドラムだった。ドラムがめちゃくちゃ上手かっただけでなく、キーボードを使ってオリジナル曲をいくつも作っていた彼には、天性の音楽の才能が備わっていた。僕はどうやっても音楽では彼には勝てないと思ったこともあって、文化祭が終わるとバンドもやらなくなった。彼によれば、僕は「音楽から足を洗う」宣言をしたらしい。足を洗うというほど大したものではなかったのだけど。

...ということを、彼と話していてかなり鮮明に思いだした。かなり誤って記憶していたこともあった。演奏した曲も『邂逅』だと思ってたし、登場の順番も、当然自分たちのバンドがトリだと思っていた(実際は、じゃんけんで負けて3組中の1番目だったらしい)。他にも、彼に言われて初めて思い出すことの多いこと。


他のバンドも含め、文化祭でステージに上がった友達は、まだ音楽を続けている人が多かった。彼の家で、他の友達のライブを収めたDVDを見せてもらった。あれから20年以上がたった今でも、音楽を続けているなんて、すごい。やっぱりみんな、音楽が好きだったんだなとあらためて思った。

そんなわけで、彼とは単なる友達であるだけではなく、音楽を通じていろんな思い出を作ってきた。記憶をたどりながらお互い「あのとき、こう言ってたよね」って確認し合ったのだけど、僕はかなり昔の自分の発言を忘れていた。僕は、昔は今よりずっとストレートで、思っていたことをズバズバ口にする奴だったようだ。中学生ってそんなものなのかもしれないけど。お調子もので、突拍子もないことをいうのは今と同じ。それにしても、記憶というのは怖い。自分が何年生のとき誰と同じクラスだったとか、そういう事実がかなり欠落している。彼を頼りに、いろんなことを思い出した。

そもそも、その某市にはこの20年、一度も訪れていない。だから、地理的な記憶もかなり薄らいでいる。今日、Googleマップで調べてみたら、だいぶ思い出したけど、やっぱりこれは昔の友達に会いに、実際に行かなければと激しく思った。小学校5年から高校1年までを過ごしたその街を、もういちど歩いて、この目で見てみたい。

父親の仕事の都合で何度も引っ越しを繰りかえしたので、僕にはこれといった故郷がない。幼馴染の友達もいない。生まれ育った街や、母校や、友達を常に身近に感じながら生きていくことは、どんなものなんだろう? そう考えて、故郷を持つ人を羨ましく思うこともある。だけど、今でもあの街に住んでいる友達のことを思うと、そしてそんな彼らとまた会える日がくるのかと思うと、やっぱり僕にも故郷はあったのだと感じたし、なんだかとても嬉しかったのだ。

僕を見つけてくれた彼にはとても感謝しているけど、インターネットにも感謝しないと。このブログがなければ、今回の彼との再会もなかった。自転車で10分の距離に住んでいたにもかかわらず、一生会わなかったかもしれないのだから。というわけで、なんだかいろんな意味で、人生の第2章が始まったのかな~なんてことを思わずにはいられないのだった。BOB、ヒロ、ありがとう!






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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
今日はタイトルだけで\(^0^)/ (Natsume)
2009-02-06 23:58:30
黙ってはいられません。
\(^0^)/

KEYとか、邂逅とか...タイトルを見ているだけで興奮してしまいます。今、邂逅のイントロ部分がガンガン頭に流れています。ほそのさーん。
(^0^)/
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うれしー。 (hiro)
2009-02-07 00:36:19
ヒロです。昨日二人がお会いしたことは連絡をいただきました。僕自身その当事者のように「うれしー」気持ちになりました。20年も顔を合わせていない人に会ったり話をしたりすることは誰でもビビる。でも彼らは勇気を出して会って話をした。正直僕はこのような理由から二人が会うのはもっと後のことだと思っていたからこんなに早く再開が実現するとは意外だった。
事実、僕はここのブログからiwashi君に呼びかけているだけで、まだiwashi君と生声で話をしていないんだ。顔を合わせて話をしたいというのは建前で本音は「びびってる」かも。
さて僕達とYMOへの思いはこの記事の通りです。(今でも僕は彼らから当時ダビングしてもらったYMOフリーク垂涎!?のレアトラックスをもっているが、25年後の現在は再発売やYoutubeなどで聴くことが可能になった・・・。)
私とiwashi君とはもうひとつ共通のカテゴリがあってそれは「プロレス」。
ココの過去記事でもその関連の表現がある。当時YMOと並行して新日タイガーマスクブームがあり、そこから入った人はたくさんいるが、僕は全日の鶴龍コンビのハンセン、ブロディ組に対するツープラトン攻撃をみて「なんて格好悪いダブル延髄をする人たちなんだ」と妙な関心から入った遅い入門だった。iwashi君はもっとマニアックでレネ・グレイとかネタで出していた。ぼくはそいつを知らないけど笑えた。マニアックで知らないレスラーなどの名前が出るだけで腹かかえて笑ってたなー。昔は現代のようにPCや携帯電話のメールなんか皆無だったから僕はしばしばiwashi君から「手紙」をもらっている。実はそんな手紙の一部をまだ持っているんだ!
文章のはしばしに「テーズばりの・・・」とか「ゴッチばりの・・・。」など出てくる。
あげくの果てには「ペロ・アグアーヨより」って平気で差出人のところに住所も書かずに郵送してくる。これを郵政省が配達していたんだからばからしいよね。
僕はiwashi君の現在の職業を知って最初はとまどいさえ覚えたが、良く考えてみれば昔からこんな手紙の文章表現をしていた彼の今は納得できる。天職だね。がんばってほしい。
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ニューサンキュー (BOB)
2009-02-07 06:21:47
この間はありがとう、とても楽しく過ごす事ができました。OSAMUに逢ってみて僕自身、何だか飛躍出来たようなきがしたよ。何だか文章にすると不慣れなせいか言葉が出て来ないけど、it,s gonna walk out   テヘッ
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邂逅のイントロ! (iwashi)
2009-02-07 11:03:07
夏目さん

ありがとうございます!夏目さんのブログのことは、彼との会話でも話題になりましたよ~。夏目さんの音楽Loveは本物です! 邂逅のイントロ最高ですよね~。ちなみに、彼は夏目さんと同じくユキヒロLoveです!
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さらにうれし― (iwashi)
2009-02-07 11:15:16
ヒロありがとう!
いや~たしかにあまりにもブランクがありすぎて、やっぱり実際に会うのは照れるよね~。でも会ってしまえばきっとすぐに昔のようにギャグを楽しめると思います! 
それにしても、よく覚えてるね~! テープも手紙もまだ持っていてくれてるなんて、感激の至りです。ありがとね!!
レネ・グレイとかペロ・アグアーヨなんて、もうホントに懐かしい。それにしても、僕は聞く側のことをまったく考えないひとりよがりのマニアックなギャグを連発してたんだね~笑。そのあたりの迷走ぶりは今と変わってない。
しかし、「全日の鶴龍コンビのハンセン、ブロディ組に対するツープラトン攻撃をみて『なんて格好悪いダブル延髄をする人たちなんだ』と妙な関心から入った遅い入門だった」ってすごい(^^)。ヒロも相当マニアックだね。
ヒロも僕が想像していたとおり、昔とかわらずヒロのままで、素敵な人生を歩んでいるようで、本当にうれしい。ドリーのスピニング・トーフォールドのように、これからも何回転でも回りつづけて周りの人たちを幸せにしてください!

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Yes (iwashi)
2009-02-07 11:18:31
BOBありがと!
この前は楽しかったね。まさにタイムトリップだったね。BOBが今でも音楽が好きな様子が伝わってきて、感動したよ。居間にあったドラムセット、二階にあったキーボード、見ただけで君の想いを感じた。これからもよろしく!!!
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YMO (hiro)
2009-02-09 17:30:35
そうだね。テリーファンクみたいにスピニング・トーホールドしすぎて首固めされん様に生きてくわ。
話は変わるがウチの6歳の息子(小1)は今「ジャンボ鶴田」にハマッていて、いつも入場曲の「J」を
口ずさんでいます。そしてyouTubeの「ジャンボ鶴田献花式」を見て涙ぐんでいた。どんな小1やねん!

しかしYMOの崇拝者は結構いていいよね。natsumeさんとiwashiくんは師弟関係とみてとれるが。
邂逅(を好き)ってとこが、素晴らしい。YMO後期の歌謡路線が嫌だっていう人多いもんね。
僕はいまだに散開ライブをMDに落として聞いてます。最近YMO名義で新曲やライブをやっていますが、
「ちょっとなー」って距離置いてます。
僕のキーは
1.ユキヒロが生ドラムを2.細野さんがベースを3.教授がキーボードを(当たり前か)
演奏しているのじゃないと!僕はどっちかと言えば曲よりも3人の演奏力に今ひかれています。
Youtubeなんか各人で検索するとYMO以外で演奏している動画がたくさんあって、
ユキヒロなんかは数年前ユーミンや矢沢永吉や桑田圭祐とやっているし、彼がドラム叩いているとトキメくし。
ユキヒロは昔はスタジオミュージシャンとしても実力があったんだろうな。
でないと年老いた今、これら一流ボーカリストから声が掛かんないだろうなと。
矢野顕子曰く
「YMO以降、彼らと同等の音楽的業績を上げた日本のバンドは存在しない」その理由の一つとして、
「YMOの3人がいずれも演奏家としても超一流である」ことを挙げている。
俺も同感。
YMOの話ならいくらでもしまっせ!!
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良かった (某市のモンキーハウス)
2009-02-09 21:13:28
hiro-BOBーiwasiが3人揃ったね
感激だわ

iwasi君との思い出は...
公表出来ない話が多いからなねぇ~
でも、一つ
ポール・オンドーフのはみ出た...

某市で待っとるよ!
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よく覚えとるね~ (iwashi)
2009-02-09 23:04:56
某市のモンキーハウス君

コメントありがとう!
ポール・オンドーフ事件は、証拠写真があったからね~(^^) しかし、当時は僕たちとんでもないことばっかりやってたんだね。

今後ともよろしくね!

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泣ける! (iwashi)
2009-02-10 00:55:56
ヒロの息子、もう小学校一年生なんだ。きっとヒロに似て、美男子なんだろうな~。ジャンボ鶴田が好きだなんて、親の影響をモロに受けてるんだね(笑)。でもジャンボのどこまでも底が見えない恐るべきポテンシャルの高さは、日本の歴代のレスラーのなかでも比類のないものだったからね。さすがヒロの息子、本物を見極める目をすでに持っている!

YMOの偉大さもジャンボ鶴田に通じるものがあって、あのポテンシャルは無限を感じさせてくれた。音楽的なものにとどまらず、さまざまな意味で既成概念をぶち壊し、あれだけ世の中にカルチャーショックを与えてくれたバンドは、今後出てこないかもしれないよね。考えてみたらたった3人なのに、どこまでも多彩な世界を見せてくれた。ソロでもデュオでもカルテットでもなく、トリオだったからこそ、あそこまで豊かなバンドになれたのかな~と思う。3人のバランスが絶妙だった。散解はあまりにも早くて残念だったけど、だからこそ僕たちの想いも燃え上がったんだよね。僕もたまにYoutubeでYMOの映像、漁って観ています。もちろんジャンボも(笑い)でも、さすがにレネ・グレイのは見つからなかった。
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