イワシの翻訳LOVE

はしくれトランスレータ「イワシ」が、翻訳への愛をつれづれなるままに記します。

マッコリ・イン・トランスレーション ~オモビニを探してソウルフルな旅~ 8

2008年07月02日 09時01分24秒 | 旅行記
ホテルから程近いところにある、ソウル市庁前にたどり着いた。ここは文字通りに市の中心部にあり、市民の集会場のような役目を果たしている。2002年のワールドカップのときに赤いTシャツを着たサッカーファンで埋め尽くされ、日本でも有名になったところだ。思っていたより広くはないものの、市庁舎前という象徴的な場所にこれだけの広場があれば(いい感じで芝生が生えている)、なるほど人が集まりやすいのかなと思う。考えてみると、日本には、こういう「何かあったときに人が集まる決定的な場所」というのがないような気がする。たしかに代々木公園は集会のメッカだけど、ここが国の中心地、というイメージではない。どちらかというと反体制的フォークソング的な世界の中心という感じがする。つまり、国のど真ん中からは微妙にずれている。逆に皇居はこの国の中心地なのかもしれないけど、政治やスポーツで盛り上がった国民が自然に集まってくるような場としては機能していない。スポーツの試合で応援するチームが勝ち喜びを爆発させたいとき、渋谷のスクランブル交差点に繰り出してすれ違い様にハイタッチしたり、道頓堀川に飛び込んだり、カーネルサンダースを胴上げしたり、そういうことをすることはあるけど、いくら本人たちが「世界の中心でヨッシャー!!と叫ぶ」と思っていても、やはりそれは社会的には世界の周縁で行われているマージナルな逸脱行為として捉えられてしまうだろう。その点、このソウル市庁前なんかは便利である。ポジティブな集会であれネガティブな集会であれ、それをニュートラルにパブリックな場でできるのだから。なんらかの目的や主張を持って人がそこに集合すれば、それだけで清く正しい民主主義的な意識を共有できそうだ。日本にもこういうパブリックな集会場があれば、たとえば阪神タイガースが優勝したときに阪神ファンとカーネルサンダースがそこに集合してどんちゃん騒ぎをしたとしても、なんだかそれはそれでまっとうな行為として国民の目には映るのではないだろうか、という気がする。逆に言えば、国からしたら何かあるたびに国民がのこのこと集合する場所がないだけ、上手く国民感情を「散らす」ことができるのだから便利だと思っているのかもしれない。

今、韓国では米国産牛肉の輸入規制問題などを端緒としたイ・ミョンバク政権への抗議デモが熱い。その日の市庁舎前にもたくさんの人が集まり、ワイワイとやっていた。一角にはステージが作られ、そこでマイクを持ったデモの運動家が入れ替わりたち代わり立ち、大声でアジっている。残念ながら何を言っているのかはよくわからないのだけど、まあ、間違いなくイ・ミョンバク政策の批判をしているのだろう。「イ・ミョンバク」と何度も繰り返しているのがわかる。集まっている人たちは、それほど深刻な顔をしているわけではない(もちろんなかにはそういう人もたくさんいるのだろうけど)、どちらかというとむしろこうしたデモや集会を楽しんでいるという空気を感じる。屋台もたくさん出ていて、一見、音楽のコンサートのような雰囲気すらある。でも、舞台の上にいるのはバンドではなく、抗議演説をしている人だ。ピリピリした空気も随所に感じられる。さすがに、その場に紛れ込んでいるとちょっと緊張する。関係ない部外者が、旅行者が、地元の生活者や労働者が真剣なデモ集会をしているのを、面白半分に見物していると思われてしまうかもしれない。シュプレヒコールが鳴り響く。

韓国の人はデモ好きなのだそうだ。そういえば、この市庁前以外でも街頭でなにかを訴えている人たちがいた。熱く、ストレートに自分の意見を主張するデモのスタイルが、国民気質にあっているのかもしれない。

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