おはようございます。アドラー心理学に基づく勇気づけの研修(外研修も)とカウンセリングを行う ヒューマン・ギルド の岩井俊憲です。
昨日(8月6日)は、かんき出版の山下常務から
『人生が大きく変わるアドラー心理学』3,000部重版が決まりました。
こちらで15刷、ありがとうございます。
というメールが入りました。
さて、『生きる意味―人生にとっていちばん大切なこと』(アルフレッド・アドラー、 長谷川 早苗訳、興陽館、1,700円+税)を遅読で学んでいて、このテーマでは、今までに3回記事を書いています。
7月14日付けブログ 遅読で学ぶアドラー心理学:アドラーの『生きる意味』(1)
7月20日付けブログ 遅読で学ぶアドラー心理学:アドラーの『生きる意味』(2)
7月30日付けブログ 遅読で学ぶアドラー心理学:アドラーの『生きる意味』から人間の究極目標
今回は、その4回目です。
この本を読んでいて気づいたのですが、「共生」という言葉がかなり目につきます。
原書のドイツ語では”Mitleben”、英語にすると”Living with”です。
まさに「共に生きること」です。
使われている箇所をよく読むと、「共同体感覚」との関連が強いようです。
ここで、話が一転しますが、後に話が繋がりますのでご安心ください。
うちのカミさんが先週、山本太郎氏(れいわ新選組代表)がテレビ番組に出ていたのを2回観て、その話の概要を伝えてくれました。
消費税の問題や、先般の参議院議員選挙での当選者2名が重度の障害者であることなどについての見解を述べていて、カミさんは「よく勉強していて、説得力があることに関心した」との印象を持ち、山本氏の言う「今までは、どちらかというと、人を役に立つか立たないかの生産性で測る風潮」が確かにあるなぁ、と言いました。
こういうことについてかなり話し合う我が家では、カミさんは私を補完する重要な情報源です。
今回のことのように、おおむね賛同するところもありますが、見解が異なる時もあります。
ただ、そうであっても共通の見解に統一する必要はないのです。
人は、一人ひとりユニークです。
趣味・嗜好も違えば、政治や経済・文化を巡る見解も違っていいのです。
私は、「人を役に立つか立たないかの生産性で測る風潮」だとしてすべてを決めつけることについては、異論があります。
「生産性」の基準をなくしてこの世は成り立たないと思っています。
厳密に言えば、生産性で測れる領域と測れない領域があって、高い生産性の領域から低い生産性の領域に原資を提供できなければ、国家は成り立たないのです。
日本生産性本部の「労働生産性の国際比較」(2018)のチャートをご覧ください。

高福祉の国は、労働生産性も高いのです。
また、山本太郎氏が誰の影響を受けて消費財廃止を語るようになったかについても情報を持っています。
その一例として パート1 日銀破綻論の大嘘 【三橋貴明×山本太郎】Part2 「日銀破綻論」の大嘘?御用学者が増税したい本当の理由、そして財務省の裏工作 の動画をご覧ください。
彼の勉強熱心さに頭の下がる思いがあります。
山本氏は「総理大臣を目指す」と語っています。
それには賛同しませんが、彼の主張が時に政権与党によって汲み取られ、生産性で測れる領域と測れない領域を包み込んで、より幸せな国に私たちが住めるように望みます。
このような、異質な見解でも尊重され、包み込まれる社会が「共生」の社会ではないでしょうか?
老若男女、障害のあるなし、健康・不健康、富める者・貧しき者などあらゆる違いを超えて「共に生きられる世界」、それこそがアドラーが願った社会なのではないでしょうか?
そして、その社会は、マインド面では、人々が尊敬(リスペクト)、信頼、共感、協力、寛容などの、アドラー心理学の態度に満ちた「共同体感覚」を体現した社会となるはずです。
アドラーの『生きる意味』の【共生】からこんなことを考えた私でした。
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