ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
今日(5月5日)は、休養の1日でした。
朝は、珍しく8時20分までぐっすり寝ていました。
疲れていたのかな。
非日常的な1日にしたくて、朝からニーチェの『ツァラトゥストラ』(手塚富雄訳、中央公論社)を読み始めました。
面白くてやめられなくなりました。
何だか流行の本に辟易している自分がいます。
カミさんと息子は、村上春樹の「1Q84」を競うように読んでいますが、私は、ゴーイング・マイウェイ。
古典的名著を読みたい。
11時過ぎてカミさんについて行ってお買い物。
途中春らしい草花に立ち止まる我ら夫婦。
(花の写真を撮るカミさん)
午後は、日テレBで巨人―ヤクルト戦を全イニング観賞。
早めの入浴後、中国語のお勉強。
夕食後は、書斎にこもり、本の整理後、原稿書きほんの少々。
非日常的な1日を過ごしたのであります。
そう言えば、ペルグリーノ博士からフライトに関するメールが入り、数時間後には返事したのであります。
これもまた、非日常的。
さーてまた、ニーチェが読みたい。
ベートヴェンのヴァイオリン協奏曲を聴きながらね。
◎追記
阿比留瑠比さん(産経新聞記者)の「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」のブログの「鳩山首相の自説『固執』と『うぬぼれ』について」を読んでいたらニーチェの引用がありました。
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/1583159/
意見の固執。――ある者がある意見に固執するのは、自分自らでその意見を思いついたことをいくらか自慢げに思っているからである。また別の者がそうするのは、その意見を苦労して学びそれを理解するにいたったことを誇りに思っているからである。だから両者とも、虚栄心から、そうしている。
(ニーチェ「人間的あまりに人間的」)
自惚れの兆候としての同情要求。――癇癪を起こし、他の人々に侮辱を加えておきながら、そのさい第一に、自分のことを悪く取らないでもらいたいと要求したり、第二に、こんなに烈しい発作に襲われたのだから自分に同情してもらいたいなどと要求したりする人々がいる。人間の自惚れは、それほどまでになるのである。
(同)
きみたちは、憎むべき敵たちだけを持つことが必要であって、軽蔑すべき敵たちを持ってはならない。きみたちは自分の敵を誇りとしなくてはならない。その場合には、きみたちの敵の成功は、きみたちの成功でもあるのだ。
(ニーチェ、「このようにツァラトゥストラは語った」)