ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
昨日(1月16日)は、午後から2つの社会福祉法人合同の研修を44人の受講者を対象に行ってきました。
リレーションづくりをしっかりやりましたので、研修だけでなくその後の懇親会も湧きに湧きました。
さて、H.オーグラー著『アドラー心理学入門』を読み解く連載が滞っておりました。
再開します。
今回は、その第7回目です。
おさらいから始まります。
アドラーは、個人を探求する方法― 言い換えれば、ライフ・スタイルを理解する方法 ― を「精神生活の3つの入り口」と称し、次の3つとしました。
1.きょうだいとの関係における子どもの位置
(=いわゆる「家族布置」)
2.最初の児童期記憶
(=いわゆる「早期回想」)
3.夢
今回は、1.のきょうだい関係について、です。
アドラーは、きょうだい関係で2つの事実を強調しています。
1.すべての子どもたちが完全に異なる状況の中で育つという事実
2.子どもたちの群の中でその子どもがどういう位置にいるかということがその子どもの性格の発達にとってこの上なく重要である事実
その中でも特に興味を引くのは、次の3つの位置と、この本では書かれています。
私は、第二子だけでなく中間子も分類すべきだと考えていますが、それはそれとして、本のままにまとめます。
1.最年長(第一子)
2.二番目(第二子)
3.最年少(末子)
以上に加えて一人っ子(単独子)にも触れていますので、まとめを書いておきます。
第一子
①「注目の中心」として讃えられ、甘やかされ、注目され、拍手喝采されるのに慣れている状態が、第二子が生まれることによって悲劇を経験。アドラーの言葉を使うと「王位を追われる」体験をする。
②後に事情が見抜けないと、いつも彼らの失った楽園の古い状況を取り返そうと努める。彼らは、過去の賛美者であり、しばしば未来に関する大悲観主義者。彼らは、かつて権力を経験したが、(現在も)権力の崇拝者として留まっている。
③しばしば非常に有能な公務員、それも官吏になる。そして、几帳面さと誠実さとで目立つ存在となる。彼らは、しばしば大きな組織の首脳部である。なぜならば、彼らは幼い日に組織することを学ばねばならなかったから。
第二子
①第二子の前方には、いつもぺースメーカーがいて、第一子に追いつこうとして企てて、疾駆し続けているさなかの競走馬に似ている。その目は、前方へ、未来へ向けられている。
②第一子の圧力の下で成長するとき、第二子は反逆者になりうることもありうる。彼/彼女は、あらゆる権威を軽蔑し、つねに権力に抵抗するかもしれない。
末子
①彼/彼女の全注意を前方に向けていればいい。というのは、彼/彼女は、誰かが後から来るという経験はけっしてしないので、姉や兄に追いつき、あわよくば追い越すことを目指して大きな歩度で前進するからである。
②人生の有用(建設的)な面で大いにの能力を表し、顕著な業績を示すことがあるが、それとまさに同じ程度に彼/彼女はまた、人生の無用(非建設的)な面で能力を表し、しかもその後で極端な失敗者の仲間に落ちることもある。
③家族のものは、彼/彼女を一番小さい者、一番弱い者とみなしているので、この子どもは、この無力な者の役割にすっかり慣らされてしまって、大人になってもそこから抜け出せないでいる。彼/彼女は、他人から甘やかされ、支持されるのが常だから、後年になっても自分の力で人生と取り組むことができないのである。
単独子
①特別な地位にある単独子は、王位追放という悲劇に直面することはけっしてないが、子どもの社会の中で成長する利益に預かることもない。
②両親が彼/彼女に他の子どもたちを友だちとしてあてがうことに失敗すると、この単独子は、協力の何たるかを学ぶことがない。彼/彼女は、両親から見守られ、甘やかされ、家族が回転する中心として成長する。
③大人たちの間にいるただ一人の子どもとして、彼は早熟になり、大人びて見える危険がある。彼/彼女は、両親がそうであったように、他の人たちも皆、自分に関心を寄せているものと自動的に推定いているから、大きくなって(そうでないことを知ると)、ショックと失望にさらされる。
この本の中できょうだい関係と心理学理論の成り立ちに関して面白い記述がありました。
著者の書いたままに紹介します。
フロイトの見解とアドラーの見解との違いの一部分は、フロイトが第一子であり、アドラーが第二子であったという事実の中に、そして、それゆえに、彼らは世の中をまったく異なる角度から見ていたという事実の中に見出されるように思われる。
話を戻します。
いつも感じることですが、上のきょうだい関係のまとめを金科玉条に適用するのは、危険が伴います。
このことについて、この本で次のように書かれているのは救いです。
個人心理学は、人を一人だけ切り離して研究することはなくて、つねに彼を取り巻く世界と関連させて研究する。
よく臨床心理学では「法則定立的」とか「個性記述的」と言われますが、アドラーのきょうだい関係論は、「法則定立的」であって、「個性記述的」ではありません。
あくまで参考情報でしかないのです。
ライフ・スタイルをきょうだい関係をもとに分析するとしても、最終的には、軍配は「個性記述的」アプローチに上ることを忘れてはなりません。
<久しぶりのお目休めコーナー> 研修時の講師壇上の花