おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。
人間だけでなくモノや植物や動物を含めた勇気づけに関連する話を書いているのですが、その第2回目は、「勇気づけ」とは反対の、「歴史遺産と先人に対する侮辱」、つまり勇気くじきの話です。
6月24日から26日にかけての新聞で、岐阜市立女子短大生6人(女子、2月)に続いて京都産業大学生3人(男子、3月)がイタリアのフィレンツェの大聖堂(写真はサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂)の壁に油性フェルトペンで落書きをしていたことが報道されました。
ちなみに、大聖堂のあるフィレンツェ市中心部は世界遺産(文化遺産)に登録され、景観や環境の保全が義務付けられています。
掲載ページ:http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/artscape/war/0107/murata/murata.html
岐阜市立女子短大生の落書きは以下の写真のとおりです(個人名モザイク)。
皆さんは、この醜悪な落書きをどう思われますか?
私は、単にモラルの欠如だけでなく、歴史遺産と先人に対する侮辱だと思います。
私は、それだけだなく落書きをした人たちの歴史遺産と先人の英知に関する共感や尊敬のなさをも疑います。
アドラー心理学の立場からすると、まったく共同体感覚に欠けた行為だと思います。
彼らが、周囲が共同体感覚の訓練を怠ってきたツケだと思います。
ここで、アドラーが共同体の構成要素を人間だけでなく、他の動物、植物に加えて無生物(建造物や道路からいろいろなものまで含まれる)まで広げたことの意味がクローズアップされます。
私は「大切にするこころ」について述べてきましたが、大切にする対象は、人間、他の生き物から植物、先人によって作られたものまで広い範囲に及び、それらを大切にするこころがある限りは、各種の愚かな所作に及ばないと思うのです。
共感とか尊敬とか信頼とか簡単に言えますが、根底に「大切にするこころ」がないならば、絵空事になるのではないでしょうか。
<情報コーナー> 世界の大聖堂や名画を集め、陶板で仕立てた大塚国際美術館(徳島県鳴門市)
写真左はスクロヴェーニ礼拝堂壁画、右がシスティーナ・ホール