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アドラー心理学による勇気づけ一筋40年 「勇気の伝道師」   ヒューマン・ギルド岩井俊憲の公式ブログ



おはようございます。ヒューマン・ギルドの岩井俊憲です。

「私の好きな言葉」は数日休んで、アルフレッド・アドラーの老齢期論を紹介します。
出典は、“The Individual Psychology of Alfred Adler ”(『アルフレッド・アドラーの個人心理学』)からで、私の翻訳により、2回に分けて提供します。



アドラーが老齢期に関してどのように捉えていたか興味深いところです。

 私達の文化では、老人達に対する施策がさほど十分ではありません。老人達には、余暇がたくさんある割には自分で余暇をどう過ごしていいか知っていません。若者達は、そのことを理解しませんし 、話題にすることを避けています。[こういうことから]老人達は、失望を体験することがあります。
 多くの人達は、年をとって変わった、と見られることがあり、これは主に、自分が役に立たず無益だと感じる事実によるものです。老人達は、青年期と同じやり方で自分の価値をもう一度証明しようとします。彼らは、不当な扱いに我慢できず、様々な方法を用いて自分たちは老いていない、軽んじてくれるな、失望して落ち込んでしまう、とアピールしようとします。
 
こうしたことから加齢の時期は、強い劣等感を引き起こすことにもなります。特にそのように悩む人達の中には、以前神経症の罹患例が見られました。
 破綻それ自体は、老齢期に到来するかもしれません。例えば、女性の更年期、男性のインポテンス、知的な不全感、家族の解体、息子か娘の結婚、財政上の失敗、会社や名誉の喪失です。私達の社会で加齢の時期の置かれた立場は、仕事の価値が人格の評価にほとんど決定的な影響を与えるため、実際のところ激しい脅威にさらされています。このように喪失を伴う老齢期は、自尊心の低下をも伴う作用をもたらします。
 さらには、加齢の時期にある人達は、彼らなりのやり方、望み方や衣服から仕事の効率に至るまで頻繁に批判されます。神経症的な傾向のある個人は、ともすればこのような批判を障壁(バリア)と受け止めがちで、自分で満足できる領域に引きこもることがあります。自分自身を無理矢理屈服させたり感情や願望を用いて対処させたりすることなく、それらを全く表に出さないこともあります。このような感情は、何ら補償がないまま放棄を余儀なくされると、燃焼度をより強くすることがあります。このようにして活発な、敵意に満ちた性格特性―羨望、嫉妬、強欲、支配欲、サディスティックな傾向といったものが際立ち、満足することがありません―がさらに一段と顕著になります。



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