いたちゃんの『なるほど通信』

函館市議会議員・板倉一幸が市政とまちの「なるほど」をお伝えしていきます。

146年前に思いを寄せて…。

2013-04-17 23:14:59 | Weblog
 昨日お伝えしました中核市議会議長会の総会の後、今日は中核市・福山市の視察研修が行われました。福山市には福山城を始めとして、名所・旧跡、文化的施設なども多数存在し、ゆっくり見ようと思うと時間が足りませんので、鞆の浦地区を見せていただきました。
 鞆の浦のことは、皆さんよくご存じだと思いますが、日本で最初の国立公園の一つとして指定された、瀬戸内海国立公園を代表する景勝地であり、瀬戸内海の中央にあたり、潮の流れの変わるところであるため、万葉の時代から潮待ち・風待ちの港として栄えました。
 道が狭いため大型車の乗り入れが規制され、昔の面影と多くの古寺刹那を残し、日本の原風景が残る町と謳っています。解説は、現地の観光ボランティアガイドの皆さんが、詳しく、分かりやすく説明してくれます。
 写真は、まず初めに訪れた真言宗福禅寺です。このお寺は、平安時代の950年頃に創建されたと伝えられ、本尊は千手観音像です。鞆の浦でも3番目に古いお寺ですが、私の後ろの本堂に隣接(右側・海側)する対潮楼は、江戸時代の元禄年間に建立され、客殿から海の眺めがすばらしく、正徳元年(1711年)朝鮮通信使がこの景観を「日東第一景勝」と賞賛したと言われています。
 後に「対潮楼」と命名されたのですが、ここは、慶応3年(1867年)に、坂本龍馬が率いる海援隊の機帆船「いろは丸」が、鞆の浦沖を航行中、紀州徳川藩の「明光丸」と衝突し、鞆の浦へ曳航中沈没しました。詳しくは「いろは丸事件」で検索して下さい。
 そこで、坂本龍馬が賠償金を求めて、紀州藩の重役と交渉した場所が「対潮楼」であったと言われています。勝ち取った賠償金額は、現在に換算すると、数億から数十億になるそうですから、さすが坂本龍馬ですね。
 このほか、目の前に見える弁天島、力石、保命酒の太田家住宅、江戸時代の灯台の「常夜燈」、龍馬宿泊所跡と取り巻く街並みなど、2時間近く歩き回りました。現代では、「崖の上のポニョ」の舞台となったところとして有名ですね。良い体験をさせてもらいました。
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