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一韶の俳句ブログ

俳句を詠うのは自然・私・家族・夢や希望・社会など。読む時はどんな解釈が浮かぶか読み手の経験や生活によって様々

93   湯豆腐やいのちのはてのうすあかり  万太郎

2010年12月13日 | 

鍋料理の中で、最も安上がりなのが湯豆腐だろう。豆腐以外には、少量の削り節、おろし生姜、刻みネギなどの薬味と醤油かポン酢があれば足りる。しかし庶民的なはずなのだが、この湯豆腐が、ある意味では最も高級、つまり上品なのである。

 

さて、「命の果ての薄明かり」だが、「作者の命の終末期」とも「死後の世界」の薄明かりを作者が想像している、とも受け取れる。ひらがなにしているのも、その辺のあいまいさを狙っているのではないか。

 

どちらかというと、前者の、生きてきた我が人生を振り返り、死を間近に控えた諦観の中にいる、というのでいいのかもしれない。 

料亭かどこかの部屋の薄明かりであるのかもしれないが、人生のロウソクの炎が消えかかっているそんな薄明かりも想像される。

 

しかし、作者が「死後の世界」を想像しているのではないか、というのも魅力的な見方だと思う。

 

劇作家でもあった作者の、緻密に計算された演劇的な句と言えないだろうか。 


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2 コメント

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こんにちは ()
2010-12-13 13:57:13
issyo 様
いつも面白く読ませていただいております。
この句は私もいいなと思いました。
作者が湯豆腐の湯気をあびながらぼんやりと死後の世界に想いをはせるのがわかる気がします。湯豆腐がなんとなく死後の世界にぴったりの料理に思えました。
湯豆腐という単語以外がひらがな書きというのも、彼岸のあいまいな世界が浮かんでくるようです。

写真の八つ手の花が死後の世界のうすあかりに見えてきました。毎日見ていますが、不思議な魅力を感じてとても好きです。

issyoさんはとても豊かな生活をしているんだなあと、写真をみながら想像しています。
心が豊かで余裕がないと、俳句は作れないですね。
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Unknown (issyo k)
2010-12-13 21:07:40
裕さま

「湯豆腐」が漢字なので現生。
「いのちのはてのうすあかり」が、ひらがななので来生。
 これがたぶん、私の結論だと思います。

裕さま、有難うございます

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