冬山は寒く風が強く、雪が進路を妨害し、滑落の危険があり、多くの登山者が死んでいる。未知の世界に進む冒険家、好奇心の強い向こう見ずのおバカさんだけが雪山に迎えられる。
この句の雪嶺は、山頂というよりは、山頂と山頂を繋ぐ稜線だろう。稜線に向かう登山道をラッセルして歩いているのだ。太陽は天頂近くにあり丁度作者に反射光が当たっていて眩しく感じられるのだろう。登山道の両脇は自然林か熊笹に覆われているかもしれない。
この句の光の道は、天国に向かう霊界の道のようでもあり、神々しく感じられたのである。こういう光景にであうから冬山登山は止められなくなるのだ。上村直巳は、アラスカ、マッキンリーで帰らぬ人になったが、羨ましいくらい幸運な人生だった、と私は思う。
最新の画像[もっと見る]
-
「一韶の俳句ブログ」は、フェイスブックに掲載します。 2週間前
-
焼けついて身じろぎもせず大暑かな 流水 2週間前
-
3070 苗そよぎエンジン響く田草取り 紅 3週間前
-
3066 雪嶺のかえす光の道を行く 流水 7ヶ月前
-
3065 長き足折り曲げ潜む冬の蜘蛛 豊狂 9ヶ月前
-
3064 梅園に熊現わるる紅葉晴 五郎 9ヶ月前
-
3063 大谷君の案山子稲田の黄金色 流水 9ヶ月前
-
3062 これをしにこの世へ来たか窯始 雲水 10ヶ月前
-
3062 これをしにこの世へ来たか窯始 雲水 10ヶ月前
-
3061 蔵に沿う一本道の桐一葉 紅 10ヶ月前