Islander Works

書いて、読んで、人生は続く。大島健夫のブログ

人の姿。

2016-10-02 16:55:19 | 出たもの
桑原滝弥さんにお誘いを頂き、9月27日から29日まで、桑原さん、津軽三味線奏者の星野通映さんとともに、「山元町ふれあいLIVE2016 ニコニコニコ☆」に参加してまいりました。

亘理郡山元町は宮城県の東南端の町で、すぐ南はもう福島県相馬郡です。桑原さんから今回のオファーを頂くまで、私は恥ずかしながら、そんな自治体があることを知りませんでした。

桑原さんは震災以来ずっと、奥様の講談師・神田京子さんとともに、他のアーティストが赴かない場所を選んで地道な公演活動を続けていらっしゃいます。この山元町にも過去三回にわたって出向いており、フライヤーにも「詩人・桑原滝弥が楽しくて男前な仲間を連れて帰ってきた!!!」という文言が記されています。

その『仲間』というのが星野さんと私のことで、桑原さんと星野さんは2012年にモンゴルでの文化交流事業の際に出会ったそうです。いっぽうの星野さんと私は今回のツアーが初対面で、26日の出発時に東京駅で待ち合わせた際には先に私と桑原さんが落ち合い、星野さんを探しました。桑原さんは「殺し屋みたいな人がそうですから」なんて言います。確かに遠くの壁際に殺し屋のような感じの人が立っていて、それが星野さんでした。

今回のツアーでは、仮設住宅や復興住宅の集会所、授産施設などで毎日一日二公演、合計6回、我々三人で詩の朗読と津軽三味線の1時間程度のライヴを行いました。


9月27日、町民グラウンド仮設住宅集会所前で。左から大島、桑原、星野。

最終日の授産施設での公演を除けば、どの会場でもお客様は多くが高齢の方々で、それもほとんどが女性です。28日の午後の公演時に、我々のライヴの前に体操教室を主催しておられた方にお聞きすると、やはり集会所での催しなどに足を運ぶのは、圧倒的に女性が多いそうです。これは29日に取材を頂いた地元のFM放送『りんごラジオ』の方も同じようなことをおっしゃっていたので、全体的な傾向なのでしょう。上の写真の集会所での公演が終ると、外のベンチに数人のおじさんがいて、猫をあやしながら箱いっぱいのイチジクを薦めてくれました。冗談ばかり言っている楽しい人たちでしたが、「お元気ですね」と言われると「元気でねえよ。女房、津波で流されてっかんな」などということを、笑顔のままサラリと言います。ステージに上がるたびに、ずらりと椅子に座った女性の方々の姿を見ながら、つい、そこにはいない男性の方々の心と日々の生活のことを考えてしまいました。

先に書いたように桑原さんは過去三回にわたって山元町に足を運んでいるので、お客様の中には桑原さんを知っている方もかなりいます。一挙手一投足、ひとつひとつの言葉に歓声が上がり、笑いが起きます。震災直後からこの被災地の方々と真摯に向き合い続けてきたその人間力と真心を感じます。ある会場で、控室がステージの真後ろだったことがありました。桑原さんが「祖母とキッス」という、おばあちゃんの頬にキスをする詩を朗読しながら、本当に椅子から飛び降りて会場のおばあさんたちに次々とキスをしてゆくと、おばあさんたちは大喜びで歓声を上げます。しかし、襖を細く開けて見ていると、おばあさんたちの中に飛び込んでゆく桑原さんの背中は、オーバーでなく詩人の矜持と覚悟に満ちており、私は深い尊敬の念が湧き上がってくるのを抑えることができませんでした。

そして星野さんが三味線を弾き始めると、空気はガラリと変わります。「初めて生で聴けた」「ほんとに素晴らしい」と喜ぶ声をいくつ耳にしたことでしょう。伝統芸能の強さ、星野さん本人の演奏能力と説得力が肌に染み込むような気がいたしました。


9月28日、つばめの杜東集会所にて公演終了後のお客様との記念写真。

ステージを見つめる、ひとりひとりのお客様の目の光、表情、笑顔。そこに宿る真剣さは、私が、これまで日本でもフランスでもベルギーでも見たことがなかったような種類のものでした。

自分には何ができるのか。自分が詩を通じて他者に何ができるのか。それを自分自身に問い続けた三日間でもありました。結局のところ、本当に必要なのは誠心誠意物事に向き合う姿勢であり、勇気であり、胆力であり、また思いやりといったものであり、技術も技巧もそれらを補完するものでしかないことも改めて心に刻まれました。

現地では津波の爪痕、イチゴ農家など様々な箇所をご案内頂きました。「ふらっとーほく」の阿部結悟さんにご案内頂いた、校長先生の適切な判断で全児童が校舎上階に避難したことで救われた旧中浜小学校跡地では、津波到達表示地点のプレートの高さに愕然とし、旧山下駅近くの写真館では胸が苦しくなりました。


旧中浜小学校跡地

東日本大震災による山元町の被害状況につきましては、こちらをご参照ください。

今振り返って、最も強く印象に残っているのは、やはり「人」の姿です。ひとりひとりのお客様、町で出会ったひとりひとりの住民の皆様、役場や放送局の皆様。山元町で生きていらっしゃるひとりひとりの姿そのものです。

このツアーを、そして山元町という地名を、私は一生絶対に忘れることはありません。

最後になりますが、今回コーディネーター役を務めてくださり、そして我々のホストファミリーでもある橋本さんご一家には、筆舌に尽くしがたいほどお世話になり、感謝の言葉もございません。橋本家は、「日本の未来は明るいな」と心底思える場所でした。

そして、今回のツアーのオファーを下さった桑原滝弥さんにも厚く御礼申し上げます。桑原さん、星野さんと過ごす時間は楽しく、実りに満ちたものでした。

皆様、本当にありがとうございました。

また来年、戻ります。


大島健夫

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