Islander Works

書いて、読んで、人生は続く。大島健夫のブログ

北へ。

2012-03-12 21:28:09 | 出たもの
一番安いのにしただけあって、仙台に向かう夜行バスは狭く、脚も十分に伸びず、肘は終始、隣の乗客とくっついたままだった。そして、いかつい雰囲気の若い男たちだけが乗っていた。大震災から一年、3月10日が11日へと変わってゆく夜に、彼らは何をしに、何を思って東北を目指すのだろうかとふと考えた。

7時30分頃に仙台に着く予定だったのだが、実際に到着したのは6時過ぎであった。

降りてみるとなんだか全然寒くなく、むしろ暖かい。予報は曇りのち雪と言っていたが、空を見る限り、曇ってはいるが降る気配はない。軽く腹ごしらえをして、午前中いっぱい、うろうろ歩き回って過ごした。街の中心部には震災の爪痕はあまり見えなかった。だが仙台城に登ってみると、石垣が崩れていた。

11時30分、「スポークンワーズ銀杏坂」主催者の南ダイケンさんと仙台駅で合流した。

ダイケンさんとは今までに一度だけ、直接お会いしたことがある。2010年9月、今はなき高田馬場Ben's Cafeでだ。私は「笑いと涙のぽえとりー劇場」のゲストだった。ダイケンさんはそれ以前に、これまた今はなき不可思議/wonderboy企画のコンピレーションアルバム「言葉がなければ可能性はない」のレビューを非常に好意的な書いてくださっていたので、初対面はとても嬉しかったのを覚えている。

一年ぶりに再会するダイケンさんに昼食をご馳走になり、朗読者のことや朗読イベントのことをいろいろと語り合ったのち、会場のWaiting Bar銀杏坂へ。今の形態のライヴバーになってからは10年、元来が35年前からのピアノバーであるという。重厚で味のあるスペースである。全てを取り仕切るマスターも大変に重厚で味のある方であった。

そのころには空が晴れてきた。

三々五々、他の出演者が到着する。機材のセッティングに声出しとエネルギッシュに働く猫道。淡々とのど飴をなめる笹田美紀。やっぱり遅刻してくる服部剛。どれも見慣れた光景というか、二年くらい前までは関東圏内のイベントでよく顔を合わせていたメンバーであるが、この四人で共演したことは、実はどこでも一度もない。控室で、私のスマホの液晶にお茶がこぼれたのでハンカチで拭いていると、テーブルの向かいでは猫道さんもハンカチを取り出してコンタクトレンズを扱っていた。なんと我々のハンカチは同じものであった。



そして開場。お客様はかなりご年配の方もおり、やや年齢層が高めである。黙祷に続き、服部剛、笹田美紀、そして南ダイケンさんが次々とステージに立ち、朗読する。ダイケンさんの朗読は独特で、道を歩きながら辻々に石を置いていくような言葉の紡ぎ方をする。彼はにこにこ笑っていたけれど、震災からちょうど一年目のこの日、遠い土地から出演者をブッキングし、震災復興イベントという形で、自らの地元である仙台の街で朗読イベントを開催することは、勇気とエネルギーなくしてはできないことだったはずだ。そうした中を「生きて」きた嘘偽りのない静かな力強さが、その朗読には宿っていた。

私の出番は休憩明け、後半の始まりだった。今回のオファーを頂いた時、自分が何をすればいいのか、何をするべきなのか少し悩んだ。だが、私は、私がどんな朗読をするのかを知られた上で、ひとりの朗読者としてブッキングされたのであって、朗読をするために呼んでもらった人間だ。だから、ただ、ステージの上で思いきり朗読することが私にできる最善のことだと最終的には思った。

「京都物産展」「小さな王様と大きな女王様」「蛇」「宇宙のがんもどき」を朗読した。「蛇」は、場の雰囲気の中で咄嗟にアレンジと結末を変えて読んだ。

辛いことがあり、さっきまで泣いていたけれど笑顔になれた、と言ってくださったお客様がいた。笑顔より泣き顔の方が魅力的な人間などいない。ひとりの人間が笑顔になることに貢献できたとするなら、そんなに幸せなことはない。

私と入れ替わりに、猫道がステージに上がった。猫道節が仙台のお客様をドッカンドッカンと沸かせるのを、私は不思議な夢でも見るような気持で眺めていた。

ダイケンさん、ご観覧の皆様、そして仙台の街で出会ったすべての皆様、本当にありがとうございました。

今回見たもの、そして感じたことを、私は一生忘れることがないと思います。

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