石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県 宇陀市室生区大野 大野寺尊勝曼荼羅種子磨崖仏

2011-02-13 11:18:44 | 奈良県

奈良県 宇陀市室生区大野 大野寺尊勝曼荼羅種子磨崖仏

近鉄室生口大野駅の南方約400m、宇陀川の右岸、川岸にそそり立つ高さ約30mの溶結凝灰岩の岩壁面に有名な大野寺弥勒大磨崖仏がある。鎌倉時代初期、01興福寺雅縁僧正のプロデュースにより、宋人石工らの手で刻まれたと伝えられ、元弘の乱で焼失し今は痕跡をとどめるだけの笠置寺本尊の姿を写したものとされる。後鳥羽上皇の臨幸を仰いで承元3年(1209年)に竣工したと伝えられる。03総高約13.6mの壺型の光背型を深く彫り沈め、内側を平滑に仕上げて像高約11.5mもある優美な弥勒如来の立像を線刻する。自然豊かな周囲の景観とよくマッチして、石造ファンならずとも一見の価値がある全国でも屈指の磨崖仏である。この弥勒大磨崖仏は諸書に取り上げられている著名な観光スポットでもあるので、ここではこれ以上詳しくは述べない。

今回は大磨崖仏の足元、向かって左側約5mばかり離れた壁面に刻まれた種子曼荼羅について紹介したい。ほぼ垂直に切り立った岩壁面は、縦約4m、横約3mほどの範囲がほぼ平らになっており、その中央に径約2.2mの大月輪円相を浅く彫り沈めて、大円相内には中央に一つ、その周囲に八つの小月輪を線刻する。各小月輪内には優美な蓮華座を細く線刻し、それに乗る種子を月輪内いっぱいに大きく薬研彫している。中央の小月輪は一際大きく、主尊である金剛界大日如来の種子「バン」を配する。文字は太く端正で、雄渾なタッチと彫りのシャープさが相まって実に見事なものである。大日如来を囲む周囲の種子は、八大仏頂尊のものとされる。06_2仏頂尊とは、仏の頂相(つまり頭のてっぺん、肉髻の部分)を尊格化したもので、極めて密教的な概念仏である。八大仏頂尊の種子も、大日如来同様どれも雄渾でシャープな彫整が際立つものだが、類例の少ない珍しい梵字なので判読は意外に手強い。先学の書物でも一つひとつを解説したものをこれまで知らない。空点に大きい仰月点を備えたものが多く、真上から時計周りに「キリーン」(光聚仏頂)、「シロン」(発生仏頂)、「ラン」(白傘蓋仏頂)、「シャン」(勝仏頂)、「コロン」(尊勝仏頂)、「トロン」(広生仏頂)、「シリー」(最勝仏頂)、「ウン」(無辺声仏頂)と仮に読んでおきたい。また、大月輪の下方向かって左下には三角形、右下に半月形の彫り沈めを設けて、三角形の内側に不動明王の種子「カーン」を、半月形の中に降三世明王の種子「ウーン」を薬研彫で表している。どちらもその文字は大きく、彫り沈めの内側に収まりきれないで若干外にはみ出している。さらに、大月輪の上方には、左右とも同じように浅く彫り沈めた三つの小さい円相を三弁宝珠のような位置関係に配置し、内に「ロー」(須陀会天≒飛天)の種子を都合六つ、薬研彫している。

尊勝曼荼羅は、別尊曼荼羅の一種で、息災・増益に高い効験が期待され、平安時代以来絶大な信仰を集めた「尊勝陀羅尼」の根源につながる曼荼羅で、密教の加持祈祷修法の本尊として描かれてきた。善無畏訳の二巻軌と不空訳の一巻軌の少なくとも二種類の典拠があるとされるがメジャーだったのは前者だという。典拠により詳細部分には不統一なところがあるようだが、主尊は大日如来、その周囲八方を八大仏頂尊が囲み、下方手前に不動、降三世の明王が並び、上方左右に須陀会天が飛ぶ。さらに上方中央に天蓋、下方手前中央に香炉を配するのだそうで、天蓋や香炉までは確認できないが、この磨崖種子の構図は、まさにこの尊勝曼荼羅のスタイルに相違なく、石造ではあまり類例のない特殊な事例として注目される。

絵画の別尊曼荼羅は、密教の世界観を表した金・胎の両部曼荼羅と異なり、特定の目的(息災・増益等)のもとに行われる修法の本尊として作成され、その修法が終わればその役割も終る。04_2修法後の扱われ方はよくわかっていないが、大切に保管され今日に伝わることから、同様の修法の際等に再利用された可能性もあったかもしれない。しかし、その使用は基本的に即時的・一時的であって、反復継続して用いられる前提のものではないと考えられている。そしてこうした修法は師弟相伝等の秘密性の高いものであったという。こうした性格の別尊曼荼羅の一つである尊勝曼荼羅を、永久性が期待される石という素材で、人々の目に触れやすい川沿いの岩壁に作った意義は何であったのだろうか。弥勒大磨崖仏との教義上の直接的な関連性はないと思われるが、確かなところはわからない。あるいは尊勝曼荼羅、あるいは尊勝陀羅尼の持つ効験を半永久的に弥勒磨崖仏に献じた供養だったのかもしれない。紀年銘はなく、造立時期は不詳とするしかないが、端正で雄渾な種子や蓮弁の様子などから鎌倉時代中期を降らない時期のものと考えられている。

 

参考:川勝政太郎 新装版『日本石造美術辞典』

   清水俊明 『奈良県史』第7巻石造美術

   望月友善編 『日本の石仏』4近畿編

   林 温 「別尊曼荼羅」『日本の美術』NO.433

   望月友善 増補版「種子抄」『歴史考古学』第53号

 

対岸の大野寺の境内にしだれ桜が満開になる頃が一番のお薦めシーズンですが、新緑の頃、紅葉の頃も素晴らしいです。弥勒像は1209年に出来たということなので800年前ですね、その間の世の移ろいを微笑みながら眺めておられるわけで、まったく感心します。曼荼羅種子磨崖仏は弥勒像の足元にあるので、あまり目立たず、対岸からは距離もあるので観察には双眼鏡が必要かもしれませんね。小生はたまたま減水時にズボンの裾をまくって渡河を敢行しましたが、川原石は水苔で滑りやすく、転倒するとカメラはパーになりますし、溺れる危険もあり、ハラハラでした。まねはしないでください。何よりご本尊のお膝元ですのでその辺りも心してください。なお、弥勒像は対岸から眺める優美なお姿と違って、真下から見上げるとその壮大さと存在感に圧倒されます。深く彫り沈めた光背の側面には細かいノミ跡が無数にあってその作業のたいへんさを知ることができます。


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