石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県桜井市笠 千森墓地笠石仏(笠塔婆)

2014-12-31 08:54:17 | 奈良県

奈良県桜井市笠 千森墓地笠石仏(笠塔婆)
 笠山荒神の北約1Km、山間部の尾根を利用した墓地がある。この墓地の一番奥まった最高所に笠石仏がある。
 花崗岩製。台座(繰型座)、方柱状の龕部(塔身)、四注式の笠石、請花宝珠の4つの部材より構成される。笠石を伴う一種の石仏龕とみることも可能だが、むしろ笠塔婆というべきものと思われる。全高約165cm、台座は幅約61cm、奥行約63cm、高さ約28cm、台座の側面高は約15cm。フォルムは反花座と共通するが上部斜面部に花弁を刻まない所謂繰型座で、上端受座の幅は約40cm、奥行約42cm。龕部(塔身)は、高さ約70cm、幅約37cm、奥行約33cm。正面に60cm×27cmの長方形の枠を浅く彫沈め、下端近くに蓮座を薄肉に浮彫し、その上方に高さ約47cmの舟形光背形を彫り沈め、内に像高約38cmの如来立像を半肉彫に表現する。
右手は胸元に掲げ、左手は膝のあたりに下げている。両手とも指で輪を作ると来迎印で、阿弥陀如来とすべきだが、指で輪を作るようには見えない。胸元の右手は施無畏印と思われ、左手は掌を表に向けていれば与願印で釈迦如来、裏を向けていれば触地印で弥勒如来の可能性が高いが残念ながら手先の様子、印は今一つハッキリしない。龕部(塔身)の向かって左の側面上方には「キリーク」がある。阿弥陀如来の種子と思われ、月輪や蓮座を伴わず直接薬研彫りする。右側面は「バイ」と見られ、薬師如来と思われる。背面は素面のままとする。
 笠石は軒幅約67cm、高さ約32cm。軒厚は中央で約9.5cm、隅で約12cm。上端に幅約25cm、高さ約2.5cmの露盤を刻み出す。また、笠裏には垂木型を刻む。
 宝珠請花は高さ約34cm、基底部の径約18cm、請花径約27cm、宝珠径約24cm。請花の蓮弁は小花付の単弁で覆輪がある。
 笠石は層塔の最上層の笠石にそっくりだが、路盤中央の枘穴の深さが約2cmしかないので相輪を載せるには浅過ぎ、当初より宝珠請花式であったと思われる。宝珠請花も造形的には石灯籠のそれと共通する。笠石の軒口に檜皮葺をデフォルメする低い段を設けない点や笠裏に隅木を表現しない点、台座に反花を刻まない点などは四角型石灯籠と相違する。大和でもこのような形式の笠石仏ないし笠塔婆はあまり見かけない珍しいものだが、部材は石灯籠や層塔のように大和でメジャーな石造美術の造形を少しアレンジして出来上がっている。
 昭和57年4月20日付けの読売新聞の記事によれば、石仏研究家の縄田雄一氏らが発見され、太田古朴氏が鑑定されたとの由。記事によれば塔身左側面に「応仁元(1467)年九月日」の銘があるというが、当時よりもさらに風化磨滅が進んだものと見え、肉眼では確認できなかった。
 やや弱い笠の軒反、軽快感のある請花宝珠の形状、特に少し退化ぎみの蓮座の蓮弁の様子などを勘案すると造立時期は概ねその頃とみて大過ないと思われる。

石仏に詳しい先達に教えていただきました(感謝感激)。珍しい笠石仏(笠塔婆)で、各部完存し、紀年銘もあれば基準資料として貴重な存在ですが、その後、特に注目されてないようで、これまでに紹介する文献は知見にないとのお話でした。半ば忘れ去られたような状況にあります
が、当の笠石仏(笠塔婆)は涼しい顔をして黙々と風雪に耐え今日も墓地を見守っています。傍らの一石五輪塔は戦国期頃のもので地輪部に「妙円」の刻銘があります。このほか墓地には、背光五輪塔や小型の五輪塔残欠、半裁五輪塔など中世に遡る石造物が散見されます。


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