石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県 天理市福住町別所 下之坊寺宝篋印塔

2007-01-28 10:21:07 | 奈良県

奈良県 天理市福住町別所 下之坊寺宝篋印塔

福住町別Dscf0852所は山間の斜面に開けた静かな集落で、浄土から奈良市の矢田原町へ抜ける県道186号が通る谷を挟んで北東側と南西側に人家が展開しており、道路沿いにある別所公民館から西方約300mの山裾に杉の巨木(根元に案内看板があって樹齢800年で婆羅門杉というらしい)が聳えているのが見える。その下にトタン葺の寺の屋根が見える。これが下之坊寺である。(「奈良県史」では永照寺上之坊となっており、後海寺とする地図もあって謎である。そもそも「下之坊」は寺院の子院に用いられる通称で、固有名詞ではない。)見たところ無住で、建物の痛みは進んでいるが、地元の人々によって管理されているらしく、境内は掃き清められて いる。境内には弁天社らしい小祠のある中島を浮かべた池があり、杉の巨木とあいまって清涼な雰囲気のある古寺である。境内向かって左手にある小さい墓地の奥に、宝篋印塔2基と高さ120cmほどの五輪塔がある。小さい方の宝篋印塔は、切石を組み合わせた基壇上に4弁の複弁反花座を置く。反花座は背が高く、傾斜が急で反花の表現は硬直化している。基礎は背が高めで輪郭内に格狭間Dscf0841を設けるが、彫りは浅く文様の退化が見て取れる。正面の輪郭右に享徳4年(1455年)、左に2月18日、格狭間内に「逆修/了識」と陰刻され(※)、銘文は肉眼で容易に確認できる。基礎上2段、塔身は輪郭を巻き、月輪を陽刻して中央やや上に金剛界四仏の種子を薬研彫する。種子の彫りは細く浅い。笠も全体的に背が高く、逓減率が小さめで、下2段、上6段。軒を削りだし、隅飾はやや大きめ で、2弧輪郭付、少し外反する。相輪は中ほどで欠損している。高さ110cm。(※)大きい方の宝篋印塔は、高さ144cm(※)、基礎無地で上2段、塔身には輪郭はなく、浅く細い月輪を陰刻し、金剛界4仏の種子を薬研彫している。笠下2段、笠上6段。隅飾は小さめで、2弧輪郭付。軒と一体にならず、少し外反する。相輪も伏鉢、下請花、九輪、上請花、宝珠と完存している。伏鉢が大きく下請花は退化して小さい。九輪の各輪間の凹凸ははっきりしておらず、上請花は浅く単弁を削りだし、宝珠は、側辺がかなり直線的だが形状は良好である。4弁の複弁反花の台座は、享徳塔の台座に比べると傾斜が緩く優美で、古調をとどめる。下方は埋まっているため基壇の有無は不明。銘は見当たらない。清水俊明氏は2基とも同時期(室町後期)の造立とされるが(※)、台座、基礎の高幅比、笠の形状、塔身の種子から大きい方が明らかに古式で、15世紀初頭に遡るのではないかと推定する。なお、すぐそばの五輪塔は、とりたてて特徴はないが均整がとれ保存状態良好。各部無地で複弁反花座にあり、高さ121cm。室町後期とされる。(※)材質は花崗岩とされるが、安山岩か溶結凝灰岩系かもしれない。

参考 ※ 清水俊明『奈良県史』第7巻 石造美術375ページ

なお、近辺には他にも石造美術が多くあるので追々ご紹介します。


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