石造美術紀行

石造美術の探訪記

奈良県 桜井市上之宮 春日神社宝塔

2007-02-11 00:50:55 | 奈良県

奈良県 桜井市上之宮 春日神社宝塔

桜井市の南部、談山神社への街道を挟んで東西に近接する集落に瓜二つの2つの宝塔がある。ひとつは浅古会所前にあるもので、暦応4年(1341年)在銘でしばしば紹介されている。ここでは、もうひとつの方、上之宮の春日神社にある宝塔を紹介したい。

日本最大Photoの埴輪が出土した古墳時代前期の巨大前方後円墳メスリ山古墳の後円部すぐ南東、集落の中ほど、南北に伸びる尾根上に境内を共有するように上宮寺と春日神社がある。寺といっても無住で会所になっている。そこからやや奥まったところ、神社境内東寄りの一段高く整地した場所に麗しい宝塔が立つ。硬い良質の花崗 岩製でところどころ黒雲母が多い部分が斑紋をなして縞状に見え、石材の美しさをいっそう引き立たせている。(縞状の斑紋は変成岩系の特徴とされ花崗片麻岩とすべきかもしれない。)高さ約165cm。最下部には切石基壇状のものがあるようだがほとんど埋まっていて確認できない。その上に端正な繰形座を据え、さらに横3区の輪郭を巻いた低い基礎を大小二段重ねとする。塔身は小ぶりで、軸部はほぼ円筒形で高さと幅に大差がない。軸部の四方に桟唐戸の表現を丁寧に刻み、正面のみは扉を開けて方形に彫りくぼめた内に半肉彫の如来坐像を安置する。軸部上に框状の表現はなく、饅頭型にあたる曲線を経てすぐ首部に続く。首部は細いが匂欄を表現し手の込んだ意匠である。笠は塔身に比べ大きく、笠下には中心に円形の首部受を彫り出し、02_1軒先に向かって二重に垂木を幅広に表現している。軒は四隅で厚みを増して反り上る。軒上端から軒厚の1/3程のところに一条の線刻を四周させて軒先面を上下に区分することで桧皮葺型を表現する。四注の降棟は二重の突帯で露盤下に続き、軒先近くで止めた先に鬼板を表現している。露盤はあっさりしていて、側面素面で低い。相輪は九輪8段目以上を欠損する。伏鉢は比較的背高で続く請花は低くハッキリ確認できないが複弁ないしトリム付の単弁のようで、伏鉢とのくびれはそれほど顕著でない。九輪は凸凹を明確にしたタイプである。この宝塔の最大の特徴は二重の基礎で、浅古会所塔以外に類例を見ない。2つの基礎の大きさの違いと小さい塔身、細く脆弱な首部と大きく伸びやかな笠がみせるバランス感覚は絶妙で、しかも繰形座も含めた全体として均衡を保ち、見る者に精妙で繊細な印象を与えることに成功している。木造建築を模倣し、手の込02_2んだ意匠を随所に見せるところは都祁来迎寺塔や吉野鳳閣寺塔、長谷寺宝塔と共通する大和系宝塔の特徴だが、低い基礎に横三区の輪郭は、先に紹介した滋賀県野洲市比留田蓮長寺宝篋印塔基礎などの例があるが類例は少なく、繰形台座は叡尊塔をはじめ西大寺流の五輪塔に集中的に採用されているが、一般的な複弁反花の台座に比べれば稀で、この宝塔は珍しい構造形式、意匠の宝塔といってよい(もっ とも宝塔自体が大和では珍しい)。遺存状態良好で、規模、構造形式、彫技・意匠とも浅古会所のものとほぼ同じで、甲乙つけがたく、違いは刻銘の有無だけである。同一人か同系の師弟など極めて近しい石工の手により、ほとんど同時期に造立されたともの考えてよい。重要美術品指定(建造物)。大和にあって北嶺延暦寺との結びつきが強く興福寺と血の抗争を繰り広げてきた多武峰に近いこの場所に、天台系とされる石造宝塔が2基あるのは何かあるとかんぐってしまうのは考え過ぎだろうか?造立の歴史的背景への興味は尽きない。

写真…上と中:春日神社宝塔、下:浅古会所宝塔

参考

清水俊明『奈良県史』第7巻 石造美術 238~239ページ


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