石造美術紀行

石造美術の探訪記

京都府南丹市船枝才ノ上 腕塚宝篋印塔

2017-01-06 12:16:38 | 宝篋印塔

京都府南丹市船枝才ノ上 腕塚宝篋印塔
船枝神社の鳥居と社務所の間、わずかなスペースに設けられた腕守社(かいなもりしゃ)と呼ばれる小祠の裏側、狭い場所に窮屈そうに大きな宝篋印塔が建っている。元は神社に隣接する小学校の場所にかつて存在した安城寺(別当寺か)の北西隅にあったものを明治の初めに移建したと伝える。安倍貞任の腕を埋めたとされる塚の石塔との伝承から腕塚(かいなづか)と呼ばれている。花崗岩製。基礎は直接地面に置かれ、塔高約265cm。略々9尺塔の大きさである。基礎は各面とも輪郭を巻いて格狭間を入れ、上端はむくりのある複弁反花。基礎高さ約55cm、側面高約41
cm、幅は約79cm。塔身は蓮座月輪内に金剛界四仏の種子を薬研彫する。種子の文字は大きくないが端整な刷毛書でタッチに勢いがある。塔身の高さ約43cm、幅約42cm。月輪径約34cm。笠は高さ約59cm、軒幅約75㎝、軒の厚さは約9cm、下端幅約50cm、上端幅約32cm。隅飾は三弧輪郭付で、軒から約1cm入って直線的に外傾する。隅飾は基底部幅約23cm、高さ約27.5cm。相輪高約105cm。太く立派な相輪で九輪の彫りは浅いが丁寧に凹凸を刻み分け、上請花が単弁、下請花は複弁。先端宝珠の曲線も良好だが、伏鉢の側線はやや直線的になっている。無銘だが、規模が大きく基礎から相輪まで完存し、目立った欠損もなく保存状態も良好。基礎上の蓮弁や外傾する笠の隅飾などの特長から南北朝時代の作とされる。塔姿全体に重厚感があり、笠の段形の整った彫整、勢いのある塔身の種子などに鎌倉時代後期の遺風を残す。概ね14世紀前半~中葉頃の造立として大過はないだろう。
参考:川勝政太郎『京都の石造美術』
       〃  『日本石造美術辞典』
   日本石造物辞典編集委員会編『日本石造物辞典』吉川弘文館

文中法量値はコンべクスによる実地略測ですので多少の誤差はご容赦ください。これは明白に花崗岩と認識できます。先に紹介しました旧日吉町四ツ谷のものもそうですが、基礎が側面輪郭格狭間で上端むくり反花式&隅飾が直線的に外傾する輪郭付&塔身蓮座月輪種子というある程度共通した意匠の宝篋印塔が南北朝時代以降そうとう分布しています。この手の宝篋印塔は、不思議なことに大和・近江にはほとんど見られず、一説に京都系とも称されるようですが、硬質砂岩や安山岩製の小型のものが多く花崗岩の立派なものはあまり多くありません。この手の宝篋印塔にしては珍しい花崗岩製で、気宇が大きい鎌倉の遺風を色濃く残す本塔のような例が、おそらくこの手の宝篋印塔が地域に導入された最初期のもので、端整な塔姿がかなりのインパクトを与えその後のお手本のような扱いを受けていたのではないでしょうか。


祠裏の狭い区画に竹垣に囲まれているのでいいアングルで写真が撮れない…


規模が大きく、丁重かつ端整な彫整…見事。


基礎上のむくり複弁反花。


三弧輪郭の隅飾と笠の段形。シャープな印象。


種子は大きくないが、端整な太目の刷毛書の書体で、薬研彫にもエッジがきいている。月輪下の蓮座は肉眼では確認しづらい。


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