石造美術紀行

石造美術の探訪記

滋賀県 東近江市中羽田町 多聞院宝篋印塔

2007-04-09 22:46:57 | 宝篋印塔

滋賀県 東近江市中羽田町 多聞院宝篋印塔

多聞院は、雪野山古墳で有名な雪野山山頂から北西に続く山塊の東麓、雪野山トンネルの南側の山手に少し登った林の中にある。その名の示すように多聞天つまり毘09_1 沙門天を祀る。石段を登って本堂の左手前の一画に小石仏や小型の五輪塔の残欠などに囲まれ大小2基の宝篋印塔が並んでいる。ともに花崗岩製でどちらも地面に直接置かれているようである。東塔は高さ約150cm余の5尺塔で、基礎は壇上積式、側面は四面とも格狭間を配し、泥が付着し下方が埋まっていて確認できないが、3方に開蓮華を入れ1面は格狭間内素面のようである。格狭間はやや両肩が下がり気味である。基礎上は抑揚のある複弁反花式で側面2弁に左右の隅弁の一辺あたり4弁で、弁先は低く、側辺との隙間は広く、上に塔身受を高めに削り出し、抑揚のある反花式基礎としては古いスタイルとみる。塔身は金剛界四仏の種子を比較的大きくしっかり薬研彫しており、月輪の陰刻は見られない。笠は上6段、下2段で、薄めの軒からやや入って二弧輪郭付の隅飾が直線的に外反しながら立ち上がる。茨の位置はやや低く、輪郭内は素面のようである。相輪は、九輪の最上輪で折れているが、その上の請花と宝珠も残っている。下の請花は低く、曲線的な複弁を表している。上の請花は単弁で、宝珠はやや重心が高く大きめである。一方、西塔は一回り大きく高さ約180cm余で6尺塔であろう。基礎は壇上積式、左右の束の幅がやや狭く基礎上2段の11_1段形に奥行きがある。側面四方とも開蓮華入りの格狭間を配する。格狭間は、花頭部分の肩は下がらないが左右の側線はふくよかさにやや欠ける印象。塔身は月輪を陰刻し、「アク」の代わりに「バン」とし左回りに「ウーン」、「キリーク」、「タラーク」と続く変則的な金剛界四仏の種子を薬研彫する。種子は小さく彫りも浅い。笠は上6段、下2段。薄めの軒と区別して大きめの隅飾は二弧輪郭付で直線的に外反するが外反の程度は小さい。輪郭内は無地。相輪も完存するが、九輪の3段目で折れたのを継いでいる。伏鉢はやや高めで、複弁の請花の曲線はやや弱い。上の請花は単弁で、宝珠との間のくびれが大きい。宝珠の曲線は良好である。2段形と反花式で基礎の形状は異なるが、どちらも鎌倉末期から南北朝頃、ほぼ相前後する造立時期と思われる。閑静で独特の雰囲気のある多聞院境内の木蔭にひっそりと兄弟のように仲良く佇む宝篋印塔との出会いは、実に感慨深いものがあった。あまり知られていない穴場的なスポットだが、石造ファンならずとも心を癒せる場所として訪ねられることをお勧めする。なお、江戸時代(寛政期)の宝篋印塔が少し離れて立っている。それぞれの時代に合ったモード、嗜好とでもいうものがあるのだろうが、同じ宝篋印塔でも江戸時代になるとこうまで趣向が違うものかと感心する。

参考

八日市市史編纂委員会編 『八日市市史』第2巻中世 635ページ

川勝政太郎 「近江宝篋印塔の進展」(5) 『史迹と美術』362号