【写真:ナガサキピースミュージアムに展示された伊藤一長・前市長の遺品を見つめる長女の横尾優子さん(右)=長崎市】
【写真:伊藤一長・前長崎市長が事件当日に着ていた背広。背中に小さな穴が2カ所開いている=京都市北区の立命館大学国際平和ミュージアム】
■背広の穴怒り伝える
京都市北区の立命館大学国際平和ミュージアム。地下1階の収蔵室に、元暴力団幹部に撃たれて死亡した伊藤一長・前長崎市長の遺品20点が眠っている。
資料番号995057。6けたの数字が割り振られた黒い背広には、直径約5ミリの穴が二つ開いている。2発の銃弾が貫いた跡だ。下に着ていたワイシャツは、血痕で赤茶色に染まっていた。
戦争と平和に関する資料を集めるこの博物館でいま、前市長の遺品を常設展示にする準備が進んでいる。言論の自由を脅かした事案として、朝日新聞阪神支局襲撃事件などとともに紹介する計画だという。
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07年4月、伊藤前市長(当時61)は市長選のさなか、面識のない元暴力団幹部の男に突然、背中から撃たれた。市から不正に融資を得ようとして断られ、市長を逆恨みした末の犯行だったとされる。
昨年2月、一周忌を前に検察庁から遺品が遺族に返された。遺族は、反核運動を通じて故人と関係の深かった立命館大国際平和ミュージアム名誉館長の安斎育郎教授(69)に託した。
原子力工学の専門家の立場で反核、平和運動にかかわってきた安斎教授もまた、発言をめぐって脅しをかけられたことがある。
自身が展示の監修を手がけた長崎原爆資料館。96年4月の開館セレモニーに出席した際、資料館は200台近い右翼団体の街宣車に取り囲まれた。日本によるアジアへの加害行為を説明した展示を右翼団体は問題にしていた。オウム真理教の非科学的な教義を批判した直後には、自宅に無言電話が相次いだ。
「暴力や恐怖で発言を止めようとする動きは断じて許せない」と安斎教授はいう。
「問答無用で撃ち殺した長崎前市長の事件は、戦前の5・15事件や2・26事件にもつながる行為だ」
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伊藤前市長が目前で倒れたJR長崎駅前の選挙事務所にはいま、宝石店が入居し、惨事を物語る痕跡は残っていない。
あれから2年。伊藤前市長の長女、横尾優子さん(38)は事件の風化が進むことに焦りを募らせている。「メッセージはただ『ある』のではなく『伝えられる』ものであってほしい。記憶が薄れないうちに一人でも多くの人に父の遺品を見てもらい、暴力への怒りを共有していただきたいのです」
今年4月。三回忌に合わせ、遺品はNPO法人が会費で運営するナガサキピースミュージアム(長崎市)に貸し出された。初の里帰り展示となった2週間の間に、主催者の予想を大きく超える約700人が訪れた。
「人命の尊さを凶器で破壊された市長の無念を思い、心が痛みます」「ぼくはまだ12歳だけど来てよかったです」
来館者が寄せた感想文には、そんな言葉がつづられていた。
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異なる意見を暴力で封じ込めようとする動きを憎み、遺品とともに事件を語り継いでいる人たちがいる。87年5月3日、兵庫県西宮市の朝日新聞阪神支局が散弾銃を持った男に襲われ、小尻知博記者(当時29)が死亡、犬飼兵衛記者(64)が重傷を負った事件から22年。自由にものが言える社会の大切さについて改めて考えてみたい。
(「明日も喋ろう」の題字は小尻記者の父・信克さん。この連載は吉野太一郎が担当します)
(5月1日付け朝日新聞・電子版)
http://mytown.asahi.com/shiga/news.php?k_id=26000000905010001