一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

沖縄旅行2013・10「鳩間島余聞」

2013-09-20 00:29:14 | 旅行記・沖縄編
昼食は宿でいただく。宿は1泊2食がふつうだが、鳩間島に食堂が一軒もなかったころの名残で、まるだいは3食付きである。ちなみに「1泊3食」は、阿嘉島(沖縄本島)でも経験がある。
それまでの時間は、ちょいと散歩である。私は、縁側に置かれている冷蔵庫から冷凍ペットボトルを取り出す。これは宿のサービスで、中には水が凍らせてある。これを携行し、飲む。帰ってきたら水を補充して、次の人のために、また凍らせるのだ。こんなわけだから、島に来たらほとんどおカネは使わない。
まずは近くの郵便局で貯金。ここは初老の局員さんが長いこと務めていたが、昨年定年退職した。時々ドアの前の椅子に座ってのんびりしており、いかにも牧歌的な光景は、離島の簡易郵便局という趣だった。
今年は女性の局員さんが増え、2人体制になっていた。「鳩間簡易郵便局」816円。記念スタンプがいくつかあったので、ハガキを買い、そこに女性局員さんの手で押印してもらった。これで今回の旅行貯金はすべて終了。次回の貯金はいつになるだろうか。
さらに海岸をぶらぶらし、港へ着く。人だかりがあるが、11時45分発の高速船を待っているのだろう。
その高速船が着岸した。港では旅人の別れがよく似合う。一夜をともにすれば、みんな友達である。
宿の人が宿泊客に手を振っている。明日は我が身だが、どうもあの類は、湿っぽくていけない。
その点まるだいはドライなので、ありがたい。
宿に戻ると、いい時間になっていた。
まるだいの客室は基本、2部屋である。沖縄の民家には門扉がなく、ヒンプンと呼ばれる塀状の衝立がある。まるだいにもそれがあり、そこをよけて中に入ると、開けっ放しの部屋が2つ見える。左が玄関に近く、右は角部屋になっている。それぞれ男性部屋と女性部屋に分かれ、私は左の部屋があてがわれていた。今回は左が男部屋ということだ。
ちなみに満室のときは、裏の小部屋を使う。私もその状態の時に予約を入れたことがあったが、「常連さんは必ず泊めなさい」というご主人の意向があったらしく、私は泊まることができた。その際、裏の小部屋があてがわれたのである。
余談だが、その部屋は2005年に日本テレビ系で放映された「瑠璃の島」で、まるだいが舞台となった際、藤沢瑠璃(鳴海璃子)が自室として使っていた部屋である。テレビのロケで女優が使っていた部屋に泊まれるなんて、倍の宿泊料を払っても追っつかないくらいだ。
繰り返すが、表の部屋は、襖などは引かれていないから、庭が丸見えである。ちなみにヒンプンは、以前はなく、「瑠璃の島」のとき、より沖縄らしさを強調するために、番組用に造られたもの。珊瑚礁ではなくプラスチック系の素材で、いわばレプリカである。
番組終了後も、このヒンプンはそのまま残された。ということは、ヒンプンがなかったころは、部屋から外までが丸見えだった。そして夜に眠るときも、そのまま眠った。
自分の寝姿が丸見えとは、東京では考えられないことであろう。だが、どうせ人も通らないし、恥ずかしがることもない。郷に入れば郷に従え、である。
この常識外のできごとすべてが、私には新鮮だった。そして今年も、全部開けっ放しで寝るのだろう。
現在に戻るが、部屋にはイケメンの男性がおり、同室は彼ひとりのようだった。
さて食堂で昼食である。同宿は、スイミングスーツの女性と先ほどの男性、それに小学生の男子だった。彼はひとり旅のようだが、何者だろうか。
まるだいは以前、「里親制度」をやっていた。都会で学校生活に馴染めない児童らが、この島でのびのびと暮らす。その親代わりを、ご主人はやっていた。ちなみに「瑠璃の島」は、それがテーマとなっていたのである。
とにかく彼がふつうの宿泊客としても、計4人。この時期にしては、やや少ないと思った。
食事は沖縄そばと、お赤飯。美味しくいただいた。
一休みしていると、宿の娘さん(といっても、いい歳)が、
「6月に黒島の仲本海岸で、50代の男性が水死した」
といった。
「ええ? どうしてですか」
私は目を剥いて反応する。「あそこはリーフがあるでしょう。あれを越えちゃったんですか」
「ううん、リーフの内側」
「……」
よく分からぬが、過労からの水死だったらしい。島はこれを受けて、しばらくは仲本海岸での遊泳を禁止した。先日ようやく、その禁が解けたらしい。
数年前、宮古島の砂山ビーチの先で、遊泳者がサメに襲われて死亡。その後は網で囲われた一定の敷地内で泳ぐ措置が取られたことがあったが、とにかく死亡者が出ると、その後の影響は計り知れないものとなる。
とくに黒島・仲本海岸は八重山諸島で必ず訪れているところなので、これは不安な情報であった。
部屋に戻る。ここには仏壇が置かれているので、ご主人にお線香を上げる。改めて、きょう1日お世話になります、という感じだ。
さて、このあとは海でシュノーケリングである。島の中央を貫く島道を登ると、左手に中森(ナカムリ)灯台が見えてきた。坂道を登り、展望台から景色を見る。海の青さが素晴らしい。
しばらくすると、家族連れの観光客が来た。入れ替わるように、私は展望台から降りる。さらに別のグループも来た。数年前では考えられなかった人気ぶりである。
私は島の反対側に出ると、左に舵を取った。しばらく歩くと、右手に立原(たちばる)の浜が見えて来た。鳩間島にはいくつか浜があるが、私はここが一番のお気に入りだ。というか、ご主人一押しの浜だったから、それを信じている。
見渡す限り美しい浜だが、人がひとりもいない。私の貸し切りである。こんな贅沢な旅があろうか。
さっそく海につかる。鳩間島は遠浅の浜が多いから、慎重に泳げば、命の危険はない。もっとも私はひとり旅だからひとりで浮かんでいるけれど、やはりバディを伴って楽しむのがよい。また、できればライフジャケットと足フィレも装着したいところだ。そして、絶対に無理をしてはダメだ。海ほど恐ろしい場所はない。決して海を侮ってはダメである。
と書いていてアレだが、私は奥までズンズン進む。色とりどりのサンゴ礁が見えて来た。この絶景がタダで見られるとは、世の中の価格設定はどうなっているのだろう。
波が穏やかなのを確認し、さらに奥へ進むと、サンゴの群れが途絶え、いきなり数十メートル下の海底が見えた。この辺りが立原の浜の白眉で、ご主人が語っていた「水族館」である。もう、室谷由紀ちゃんや山口恵梨子ちゃんに見せて差し上げたい。彼女らがこの景色を見たら何と叫ぶのか、それだけでも聞きたい。
休憩のため、沖に上がる。ペットボトルの氷は、いい具合に解けている。
いま、私は最高に幸せなときを過ごしているのだろう。しかしあさって東京に戻れば、過酷な現実が待っている。この沖縄の旅は、束の間の現実逃避なのだった。
(つづく)
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沖縄旅行2013・9「鳩間へ」

2013-09-19 00:19:13 | 旅行記・沖縄編
「でも大丈夫です」
「へっ?」
「たまたま男性部屋が一部屋空きましたから」
ここで追い出されたら面倒なことになるところだったが、何とか事なきを得た。
フロントでシステムを案内され、2階の室内に入る。室内は横に数列、縦に2段、ボックス型に区切られている。それぞれの壁は薄く、ベニヤ板のようだ。「各部屋」の天井は意外に高いが、そのぶん上段も高くなっている。私は上段だったので、ハシゴで登る。カーテンがドア代わりだ。
部屋にはベッドが置かれていたが、スペースはそれだけだ。それでも棚がいくつかあり、荷物は置ける。寝るだけだからこれで十分である(2,000円)。
コンセントにスマホを挿し、将棋サイトをサーフィンする。某掲示板に、きょうの朝日杯将棋オープン戦で、中井広恵女流六段が安西勝一六段に勝ったと書かれていた。安西六段は武市三郎六段の誤りだろうが、中井女流六段が勝った、とはどういうことだろう。あの局面から中井女流六段が勝つわけがない。相当迷ったが、書き込み者に、「釣りですか?」と返答した。
…が、しばらくして棋譜を確認すると、何と中井女流六段が逆転勝ちしていた。▲2二歩成の数手後、武市六段の▲6五馬が、ココセ級の大悪手。△9九角成の鬼手から、たちまち寄せられてしまった。
将棋は終盤で何が起こるか分からないが、逆転の目がある将棋と、ない将棋がある。本局は後者と思ったのだが、いやはや、将棋は恐ろしい。私は掲示板に、お詫びのコメントを送った。
1階フロント前が談話室になっているが、こんなに頭頂部が薄くなっては、自己嫌悪で、女性との出会いを求める気にもならない。私は大人しく、シャワーを浴びに行った。
きょうもなんだか疲れた。日付が変わったのを確認し、ブログの投稿ボタンを押すと、そのまま寝た。

翌16日(金)。後半の3日間は、石垣島を起点に、各離島を回るつもりである。
今朝はバスを使って、港まで戻るつもり。バス停は宿のすぐ前である。バスの時間は各時26分と56分、と宿の案内で確かめておいた。
8時14分ごろ、サンエー前バス停に着いた。ところが、客待ちがひとりもいない。怪訝に思い時刻を確認すると、8時台は11分と56分だった。
あっ、そうなのか!! じゃあ、いまバスが出たばかりじゃないか!!
いまさら宿には戻れないので、そのまま港まで歩くことにする。バス代が浮いたと思えば腹も立たないが、己の迂闊さには呆れるばかりだ。
石垣港ターミナルに着く。まず買うのは高速船の周遊券だ。安栄観光と八重山観光フェリーが同じ機能の切符を販売しており、安栄観光のそれは「アイランドホッピングパス」という。3日~5日間用があり、3日間用は竹富島、西表島、小浜島、黒島、鳩間島への高速船に乗り降り自由で4,500円という安さである(波照間航路を加えると、8,000円)。
しかも安栄観光と八重山観光フェリーは相互利用が可能で、利用者にはすこぶる便利だ。まったく、あっちこっちに移動したい私にはうってつけの商品で、涙が出るほどである。
早速安栄観光のカウンターに向かうが、Edyで払おうとしたら残額不足といわれ、指定された場所でチャージをしようとしたら、1万円札でお釣りが出ない。その場所では両替も叶わず、結局現金で購入した。
さて石垣島初日は、まず鳩間島に行く。このブログではもう何度も書いてきたが、ここ数年は、鳩間島観光が恒例になっている。最近こそメジャーになってきたけれど、まだ俗世間化はされておらず、すべてを忘れてのんびりするのに、これほど適した島はない。
島への便も、10年近く前までは貨客船が週に3回出るだけで、旅行者はそこに便乗させてもらう寂しいものだったが、テレビやマンガでたびたび鳩間島が舞台になるや知名度が上がり、高速船が通じるようになった。
現在は1日3本の高速船が走り、日帰り旅行すら可能になった。
9時30分の高速船に乗るが、その前に港構内で、ジューシーおにぎり(かやくごはん)のセットを買う。おにぎり2ヶにシューマイ、鶏の唐揚げがついて130円とは、異常な安さだ。沖縄は本当に物価が安い。
高速船に乗る。鳩間島往復は高速船利用で4,390円。これだけで、アイランドパスのモトをほぼ取れてしまう。私が感激するのも、無理はないのである。
西表島上原港を経由して、10時41分、鳩間港(ぱいぬ港)着。私はそのまま、真ん中の道を登って行く。もちろん鳩間島で泊まるが、宿は「まるだい」である。
いまを去ること13年前、貨客船に飛び乗って鳩間島に初めて訪れた私は、そこで民宿を探した。当時は鳩間島が地図上にないくらいにマイナーな存在で、民宿も3軒しかなかった。
ところがいきなり2軒で断られ、最後の民宿に断られたら、次の貨客船が来るまで、私は島で野宿をしなければならなかった。
そこを快く泊めてくれたのが、まるだいだったのである。ご主人のご厚意に私は大いに感激し、その後もたびたび島を訪れると、必ずまるだいにお世話になったのだった。
そのご主人が亡くなったのが2年前。元船乗りらしく、命日は(旧)海の日の7月20日だった。私は落胆したが、いまも民宿は、奥さまや娘さんによって営業が続けてられている。今年も皆さんに会うのが楽しみだった。
まるだいに着くと、先客がいた。お歳を召した方だが、もう出て行くらしい。
まるだいは相部屋である。開けっぴろげの和室には荷物が置いてあるから、誰かといっしょになるようだ。それが誰だか、まだ分からない。
そこへ、スイミングスーツを着用した女性が現れた。髪が濡れているから、近場の海で泳いできたのだ。スタッフ…ということはあるまいから、宿泊客であろう。
私は玄関から食堂に回り、奥さまと懐かしの再会を果たす。きょう1日、目一杯楽しめたらと思った。
(つづく)
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沖縄旅行2013・8「1日遅かった」

2013-09-18 00:04:58 | 旅行記・沖縄編
スタッフの女性と目が合ったので、聞いてみる。
「スカイマークの宮古便があったんですね。知らなかった…」
「はい、出ています」
「私、那覇からはJTAの得便で来ました。でも、それでも高かった。スカイマークはずいぶん安いですね」
「はい、普通ですと5,000円です。最安だと3,900円になります」
「そうですか! 失敗したな。宮古便は何年前から出来たんですか?」
「ジュウ年前から出航しています」
「……」
10年前…。それは私の聞き間違いであろう。とにかく、今年は宮古便があったのだ。しかし宮古便はJTAとANAのみと思いこみ、那覇のカプセルホテルでも、突っ込んだネット検索はしなかった。
が、手はあったのだ。窮すれば通ず。1円でも安く宮古島に行きたいと思えば、もっと念入りに調べたはずなのだ。それをしなかったのは、やはり執念が足りなかったということなのだろう。
ちなみにスカイマークの那覇→宮古は、9時55分発と16時10分発の2便。なるほど、JTAとANAがこの時間帯の得便をずいぶん安くしていたが、それはスカイマークへの対抗という意味もあったかもしれない。
16時10分の便なら、13日(火)に首里城を見学したあと、そのまま宮古島へ飛べたかもしれない。そうすれば宮古島YHに泊まり、千原ジュニアにも会えたかもしれないのだ。那覇での足踏みは、いまさらながらに痛かった。

15時00分、宮古発。石垣には15時30分に着くから、飛んだと思ったら、もう着陸態勢に入っている。到着は予定より5分早い、15時25分だった。
ところで、いままで私は「石垣」あるいは「石垣空港」と書いてきたが、今年の3月7日、石垣島に新石垣空港が開港した。同港の建設は古くから議論されてきたが、紆余曲折あって2006年着工。7年のときを経て、ようやく開港の運びとなったのである。
しかし開港日が「3月7日」とは何たること。この日は大野八一雄七段の誕生日である。これでは、「新石垣空港=大野七段」のイメージになってしまう。そんなのはイヤだ。ああ、これが1日早い3月6日だったら、室谷由紀ちゃんのイメージになったのに、本当に惜しい。
新石垣空港(愛称・南ぬ島石垣空港)は、雨でのお出迎えだった。雨男、ここに極まれり。
新空港の構内は綺麗で広く、土産物屋も充実していた。しかし長い時間はおれない。私は港行きへの連絡バスに乗った。
バス会社は東バス(東運輸)だが、空港線用に新しいバスをデビューさせたようだ。運転席後ろにビデオテレビが設置してあり、新石垣空港開港のCMをひっきりなしに流している。
東バスは、港周辺と川平湾までのルートを5日間乗り放題できるフリー切符(1,000円)を販売していたが、これは廃止。新たに、路線バス1日乗り放題のフリー切符(同額)の販売を開始していた。が、これは使い勝手がいいかどうか微妙なところ。どうも、「悪い」ような気がする。
新空港から石垣港ターミナルへは、準急で37分かかった。バス代は520円。旧空港から港まではあっちこっち寄り道して15分、バス代は200円だったから、あらゆる意味で、かなり不便になった。
石垣島からは各離島を訪れるのが筋。今夜は黒島の民宿「みやき」に泊まりたかったが、満室で、不可。仕方なく、石垣市内の安宿を予約していた。八洲旅館YHが健在ならばそこに泊まったのに、閉館とは、返す返すも残念だった。
夜まで時間があるので、雨宿りも兼ねて、石垣港内のインターネット施設(1時間200円)で時間をつぶす。石垣に来てまで、ブログ。これはどうなんだろう。
雨はやんだようだ。私は港を出て、ユーグレナモール(旧あやぱにモール)に向かう。相変わらず観光客が多い。おととしだったか、ここでハクション大魔王のTシャツを見た。今年は、おいとめいへのお土産にしたいが、いま買うわけにはいかぬ。
公設市場の2階に、美味そうな氷ぜんざいを食わせてくれる店があり、いつも気になっていたのだが、今年こそと意気込んだら「6時閉店」とのことで、入るのをやめた。
ほかにも氷ぜんざいを食べさせる店はあったが、350円なので、やっぱりやめる。私は保守的なのである。
モールを出て、軽食喫茶「パピヨン」に入る。ここはこれといった特色のない喫茶店なのだが、毎年お邪魔している。もう20年近くになるが、店のおかあさんは、私のことを覚えているのだろうか。
いつもはカツ丼セットを頼むのだが、ここで氷ぜんざいを頼む。300円はリーズナブルだ。ぜんざいは小豆も多く、美味かった。
次に寄るべきは、やはり喫茶店の「ブラゼール」である。路地の入り道を間違えて、一周してしまったのだが、ようやく店の前に来て、愕然とした。店舗が空になっていた…。
向かいの家のおばあに聞くと、今年初めに閉店したとのこと。ここも石垣島での癒しの場所だっただけに、閉店は残念だ。こうしてまたひとつ、思い出の地が消えた。
続いて「A&W」に行く。ここでルートビアを喫すのも定跡である。ところが、そのルートビアが品切れとのこと。ええ!? こんなケースは初めてだ。A&Wでルートビアがないなんて、マクドナルドでハンバーガーがないのと同じである。
30分で補充できるとのことだったが、そこまでして飲みたくないので、店を出た。どうも今年の石垣島は消化不良だ。何となく、ズレている。
もう、今宵の宿へ向かおうと思う。最寄りのバス停は「スーパーサンエー前」で、旧石垣空港の近くだ。バスで行ってもよかったのだが、バス代を浮かすため、歩いていくことにした。もちろん夕食探しも兼ねており、アンテナにひっかかる食堂があれば、入るつもりだった。
しかし、帯に短しタスキに長しで、なかなか入れない。そうこうするうち、宿に近付いてきてしまった。
ドンキホーテのミニチュア版のような、雑貨屋が目に入る。入ると、本屋も兼ねていて、「PEACH JOHN」夏号が売られていた。しかし表紙はローラの顔のアップである。ネット販売とデザインが異なっており、食指が動くが、やはりここで買うわけにはいかない。旅では、少しでも荷物を少なくしなければならない。
スーパーサンエーに入り、さんぴん茶を補充する。何年か前、ある女流棋士リクエストのお土産を買うために、このスーパーに入ったことがある。いまでは懐かしい思い出というべきか。しかし辺銀食堂のラー油といい、よろこんで買っていたかつての自分が、大バカに思えた。
和食のファミレスがあったが、満席だった。待ってまで入りたくないので、他を探す。
ネットカフェが目に入った。きょうは泊まらないが、もしシャワー施設があれば、ここに泊まっていたかもしれない。ここの2階が洋食屋だったので、ここに入る。
さんざん迷って、「チキンてりやき定食」(900円)を頼む。店のお母さんが、こぼれるような笑顔で応じてくれた。
定食のチキンは、2人前はありそうな大きさ。昼のラーメンとチャーハンがまだお腹に残っているが、何とか全部、平らげた。沖縄の食堂は、どこもボリュームがある。安いし美味いし、最高だ。
きょう泊まる宿は「プチホテル アートボックス」という。相部屋だが、個室とのこと。どういう体裁になっているのか分からぬが、寝るだけなので、なんでもよかった。
宿の手前にも似たような宿があったようで、間違えてそちらに入ってしまった。裏道から抜け、アートボックスにお邪魔する。受付のカウンターには、「16日まで満室です」の張り紙があった。
受付の女の子に「ネットで予約しました…」というと、
「大沢サン、男性だったんですね。女性の予約で入っていました」
と返された。
私としたことが、スマホに「女性限定」とあったのを見落として、予約を入れてしまったらしい。しかし、きょうは男女とも満室。時刻は9時にならんとしている。私は、どうなるのだろう。
(つづく)
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沖縄旅行2013・7「1日遅かった」

2013-09-17 00:21:55 | 旅行記・沖縄編
(12日のつづき)
宮古島は、オリックスブルーウェーブのキャンプ地だったこともあり、当時チームに所属していたイチローが、宮古島YHに来たこともある。現在も同YHは妙に知名度があって、お笑い芸人がよく泊まりに来るそうだ。
千原ジュニアは、ペアレントさんのお孫さん(赤ちゃん)を抱いて写真に収まったそうで、ふだんの彼からは考えられない、恥ずかしい姿に思える。私がおととい泊まっていたら、彼からおもしろい話が聞けたのにと思うと、後悔を新たにする私であった。
さて宮古島YHでは連泊が最善なのだが、今年は飛行機の便の関係で、どうしてもきょう(15日)石垣島に入らなければならない。
飛行機は、昨年まではJTAが1便、RAC(琉球エアコミューター)が2便運航しており、RACには得便割引の設定もあった。
ところが今年はJTAが撤退し、ANAが1便入っていた。しかしRAC、ANAとも得便の設定はなし。RACはJALの株主優待券でも使えるものの、前述のとおり、私はJALの株主ではない。そこでANAを使うことになるが、この石垣行きが15時00分発である。これではきょう中に石垣島に入らないと、あとのスケジュールに支障を来す。宮古島YHに連泊したいのはヤマヤマだが、私はきょうチェックアウトするしかないのだった。
ペアレントさんとお別れし、私は宮古郵便局に向かう。郵便局に入り、窓口に通帳を出すと、女性局員から「大沢さん」と呼ばれた。
「この通帳には…以前こちらで貯金したことがありますけど、よろしいのでしょうか?」
私の旅行貯金のルールに、「同じ郵便局で2回以上貯金をしない」がある。局員さんはそのルールをお見通しで、私はビックリした。たしかに私は宮古郵便局…というか、宮古島内のすべての郵便局で貯金をしていた。
しかし旅行貯金ルールは、「1日に1回必ず貯金をする」が大前提なので、ダブリの郵便局があっても、そこは再貯金が優先される。私は「よろしく」といい、そのまま815円を貯金した。
さて、きょうは吉野海岸へ行く予定である。というか、そこに常駐している「吉野のおっちゃん」に挨拶に行く。それだけの目的で半日潰すこともないが、おっちゃんに悩みを聞いてほしかった。
スーパーサンエーで2リットルのさんぴん茶を補充する。99円はありがたい値段だ。
平良営業所発9時50分。ほかに乗客はいなかった。さすがにきのうのカップルは、別の観光地を行ったようである。
母子が乗ってきた。彼女らは城辺小前で降りる。きのうと同じ母子だった気がする。
定刻の10時23分を2分遅れて、吉野着。
新城バス停から新城海岸へはわりと一本道だが、吉野バス停から吉野海岸への道のりは少しく厄介だ。何度か行けば憶えるが、それでも何年か前、道に迷って、大変なロスタイムをしたことがある。今回は貴重な時間だから、注意深く海岸に向かった。
吉野海岸に着く。ここは数年前まで、簡易シャワーがあるだけの静かな海岸だったが、数年前に市が中心になって大規模開発をし、海岸は整備され、シャワーは駐車場料金込みで500円になってしまった。
しかしバス利用の私は、とてもシャワー代だけで500円を払う気になれず、いまはシャワー代わりに湧き水を利用しているのだ。
吉野海岸はきょうもいっぱいだった。私は左手に歩き、おっちゃんが住んでいる森林内に向かう。しかし住居は留守だった。
私はいったん外に出る。海岸にはビーチパラソルの花が咲いている。私はそれを避けるように、僻地の砂浜にバッグを下ろした。
その左手には、ビキニの女性のグループがいた。遠目なのでよく分からぬが、アタマをアップにしている。
きょうもいい天気である。すぐにでも海に入りたいが、きょうは12時35分のバスで戻らねばならない。吉野のおっちゃんとの歓談の時間、帰りの時間も考慮すると、海に入るには中途半端だ。残念だが、今年の水中散歩は断念した。
何となく、ビキニの女性のほうに目がいってしまう。沖縄の海ではライフジャケットやTシャツの着用がふつうなので、ビキニ姿というのは意外に珍しいのだ。彼女らは海に入っている。どうも、4人組のようだ。
私はもう一度、おっちゃんの家に行った。しかしおっちゃんはいない。私はそのまま居座った。きょうも日射しが強く、日除けの場所はここぐらいしかなかったからだ。
木々の合間から、ぼんやりと彼女らが見える。海に入っているが、顔は見せている。何だか盗み見をしているようで、これでは犯罪者である。
あ、と思う。彼女らが顔を海につけないのは、水中メガネを持っていないせいもあるが、そもそも髪型がくずれるのを避けているのではなかろうか。
しかし海中には魚が泳ぎ、カラフルなサンゴが咲いている。沖縄の奥まで来て、中までつからないとは、何ともったいない。あのビキニ姿といい、お互いのファッションを牽制しているのかとも思った。
おっちゃんはなかなか来ない。いたずらに時間は過ぎて行く。11時45分になった。どうも今年の再会は無理のようだ。私はここに来た旨のメモを残し、吉野海岸を後にした。
空がやや曇ってきた。吉野のバス停に着くが、まだ時間がある。私はスマホを出し、将棋中継を見る。きょうは朝日杯将棋オープン戦・武市三郎六段対中井広恵女流六段の一戦が行われているのだ。将棋は先手・武市六段の中飛車。持久戦になり、中井女流六段は穴熊に潜る。中井女流六段は、意外に穴熊の頻度が高い。
指し手を進めると、武市六段の勝勢となっていた。中井女流六段は△1二桂と執念の頑張りだが、▲2二歩成で先手勝勢。というか、これは先手勝ちだ。私はいたたまれなくなって、スマホを閉じた。
定刻の12時35分を3分遅れて、平良営業所行きのバスがきた。
車内は閑散としている。しばらくすると、雨が降ってきた。沖縄旅行4日目で2度目の雨とは、ついてない。が、これが雨男の宿命である。
宮古空港の最寄りバス停は狩俣採石所前だが、私はその手前の名底で降りた。バス代は480円。平良から吉野までが500円だから、ずいぶん高い。本当にこの額なのだろうか。
名底には、美味いラーメンを食わせる店がある。しかし場所が市街地から遠く、中休みもあったりするので、なかなか味わえない。きょうの宮古島では中途半端な行動ばかりだが、その見返りがこのラーメン屋であった。
「ラーメンハウスてぃだ」に入る。「てぃだ」とは「太陽」の意味。私はAセットを頼んだ。ラーメンとチャーハン、小鉢がついて780円である。
料理が運ばれてきた。チャーハンは半分ではなく、しっかり一人前ある。ラーメン、チャーハンとも単品だと530円だから、これで780円は激安である。一体どういう価格設定になっているのだろう。
ラーメンは「あっさり系」を選んだが、魚介系のスープで、美味い。チャーハンも確かな味で、美味い。本土にこの店があったら、連日行列ができるだろう。行列のできる店より美味く、それほど混んでない店が、日本にはいくらでもある。は、私が旅で得た見解である。
お腹いっぱいになって、雨の中を宮古空港まで歩く。麦わら帽子をかぶっているので、雨の直撃がないのが幸いだ。
空港に入り、ANAカウンターでチケットを購入する。普通料金12,400円が、株主優待券利用で6,200円である。
ふと左を見ると、スカイマークのカウンターがあった。いままでこんなの、あっただろうか。那覇空港や石垣空港はともかく、宮古空港にはなかった気がするが…。
いまは中休みか、スタッフの姿はない。立て看板があり、「那覇-宮古、当日売りでも5,000円!!」のコピーが躍っている。ご、ごせんえん…!? そ、そんなに安い航空券が販売されていたのか!?
私は静かに、その場に立ち尽くした。
(つづく)
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第3期女流王座戦・挑戦者決定戦の一局を振り返る

2013-09-16 02:34:00 | 女流棋戦
6日(金)は、女流王座戦挑戦者決定戦・里見香奈女流四冠と本田小百合女流三段の一戦が行われた。
実力者の本田ではあるが、相手は奨励会二段の里見。さすがに相手が悪いと思われた。
将棋は後手番里見のゴキゲン中飛車。本田は穴熊に組む。玉を固める得意の戦型になり、とりあえずは本田が力を出し切れる展開になった。
里見も穴熊に潜り、中央から戦いが始まった。ただ、里見の穴熊は棋風に合ってないと思う。美濃囲いからの捌きが里見らしいと思う。
里見は5八に歩を垂らし、と金を作る。本田も相手の手に乗って駒を捌き、よく戦う。気がつけば、優勢になっていた。
第一のハイライトは82手目、里見が△7九とと銀を取った局面。本田は少考で▲同金と払ったが、これが重大な逸機だった。
常識で考えれば「△7九と▲同金」はワンセットで、次に後手からどんな手が来ようが、▲7八金をと金で狙われるより、厳しさは緩和されているように思える。実戦は△7八銀打だが、これなら確かに、△7九とより凌ぎやすそうではないか。
だが実際はそんな猶予はなく、先手は△7九との瞬間に、相手玉を寄せに行かなければならなかったのだ。
となると、不可解なのは里見の指し手だ。「△7九と▲同金はワンセット」の先入観があったにせよ、ちょっと注意深い女流棋士なら、銀を取る前に念を入れて考えそうなところだ。
何しろこの時点で里見は、持ち時間を1時間以上も残していたのである。もしこれで負けていたら、里見はこれといった見せ場を作らないまま、ふつうに負けたことになる。これをどう解釈したらいいのだろう。
話を戻すが、将棋には、自分が悪手に気が付かなければ、相手も気が付かない、という「共感の法則」がある。里見も▲6一飛に気付いていれば別の手を指したはずで、そこを何のためらいもなく?銀を取ったため、本田も相手を信用して、▲同金と取ってしまったのだ。
もっとも本田は、▲7九同金で▲6一飛も見えていたが、その次△7三銀を読み、踏み切れなかったという。結局、運が里見に味方したのだ。
ただ、その後本田もよく戦い、再び勝利を手元まで引き寄せる。
110手目△5四同金の次が、第二のハイライト。本田の▲7五金打が、棋史に残る偉大な悪手。△6八竜で、一遍に受けなしになってしまった。
以下の指し手は、見るに忍びない。私ならグワーッと叫んで投げるところだが、朝から一日かけて作り上げた必勝の局面を、たった一手の悪手で棒に振ってしまったのだ。本田が投げきれない気持ちは痛いほど分かる。
が、里見は的確に寄せの網を絞る。本田は投了を告げるしかなかった。
本局、もし本田が83手目に▲6一飛と下ろしていたら、本田の快勝局として、自選次の一手に収録されただろう。しかしそれを逸し、111手目▲7五金打としたことが、皮肉なことに好局を名局に昇華させてしまった。繰り返すが、幻の▲6一飛と▲7五金打で、女流棋史に永遠に語り継がれる名局になったのである。
返す返すも本田は残念だったが、本田はまだ若い。これからいくらでも雪辱のチャンスはある。初タイトル目指して、頑張ってほしい。

というわけで、7月1日にアップした本戦トーナメントの勝敗予想は、計15局で6勝9敗に終わった。
1回戦の8局は5勝3敗だったが、以下の予想がガタガタ。例によって、組み合わせ自体が違うケースも多々あった。中でも渡辺弥生女流初段の活躍には、頭が混乱した。だが皮肉でもなんでもなく、遅れてきた実力者の登場は、喜ばしかった。
そして挑戦者は予想どおり、里見女流四冠。一度は負けを覚悟しただろうから、これは1期ぶん儲けた感じではあるまいか。五番勝負も、肩の力が抜けていい将棋が指せると思う。
一方の加藤桃子女流王座は、相性のいい本田女流三段が出てくると思いきや、最強の女流棋士が勝ち上がり、複雑な気持ちだったろう。ただ、女流棋界最高のタイトルは、里見女流四冠から防衛してこそ価値がある。
ふたりの対局を楽しみにしたい。
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