一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

沖縄旅行2013・12「ゆんたくに参加せず」

2013-09-25 00:18:34 | 旅行記・沖縄編
(21日のつづき)
「そのオリオンビールのTシャツいいですね。どこで買ったんですか?」
私はとりあえずいう。
「これ、○○県のバザーで買ったんです」
ああ…。沖縄のどこかだったら、購入したかったのだが、残念だ。
私たちはしばし廊下で立ち話をしたが、やはり港が気になる。私は頃合いを見て、それじゃあ、と自室の電気を消した。ここまでの関係を断ち切る?非情な行為だ。
私はそのまま、港へ向かった。彼女だっていつまでも私と話したって楽しくないだろうし、これでいいのだ。
鳩間港に着く。船が係留されている辺りが緩い傾斜になっており、そこに寝っ転がると、ちょうどいい角度で空が見える。時刻は午後7時45分だが、西の空はまだ明るい。さすがに沖縄、陽が長い。
スマホの「お気に入り」から、お気に入りの音楽をかける。周りには誰もいないから、ボリュームを最大にする。八重山の港、静かな海、碧い空。抜群のロケーションでの音楽鑑賞である。こんなに贅沢なひとときはないと思う。
30分ほど音楽を聴いたが、電気がなくなってきた。私は宿に戻る。部屋にみなはおらず、裏庭でゆんたくをやっているようだった。昨年は表の庭でやったのだが。
様子を見に行くが、私が座るスペースはないようだ。いや作ればあるが、50近いオッサンが加わっても、邪魔なような気がした。
しばらくスマホに充電して、私は港に戻る。「太陽にほえろ!」や「ロボット刑事K」、AKB48ヒット曲など、いろいろ流す。港の近くの宿まで歌が聞こえるかもしれないが、迷惑にはならないと判断している。
空はすっかり暗くなり、満天の星空だ。立原の浜同様、この空も私の貸切である。「海の中は地上と違って、人の手が加えられていない」と、今回の旅行のどこかで聞いた。その言葉を借りれば、空も同じであろう。私は、古代人が見た空と同じ空を見ている。
またスマホの電気がなくなって、再び宿に戻る。ちょっと催してきたのでトイレに行きたいが、それは裏庭の先にある。ゆんたくの場所を通らねばならず、それでは「私も参加させてください」とお願いするようで、何となく行きにくい。
しかし尿意には勝てず、私はトイレに向かった。「いらっしゃい!!」と地元のオジサンが声を掛けてくれる。いやいやいや、と私は手を振り、用を足すと、三たび港に戻った。
先ほどお気に入りに入れた「安里屋ユンタ」を聴く。この歌はいろいろな歌手のバージョンがあり、聴き比べると楽しい。
時刻は10時に近い。私は宿に戻った。しばらく部屋で寛いでいたが、ゆんたくが終わり、イケメン氏と母子が戻って来た。もちろん母子は、隣の部屋に直行である。繰り返すが、隣の部屋とは襖一枚を隔てたのみ。どちらの部屋からも、庭が丸見えである。
ゆんたくは、まずまず楽しかったようである。その中に、昨年郵便局員をリタイヤした男性がいたという。それはそれは! 私はそのおじさんと、郵便局で何度も会っている。貴重な裏話でもお聞きしたかったのだが、残念である。どうも今回の旅行は、どこかがワンテンポずれている。
就寝は、敷かれたゴザの上に寝転がり、夏掛けを掛けるのみ。クーラーはないが、扇風機を回すだけで十分過ごしやすい。もちろん開けっ放しのまま寝る。
意外と誤解されるが、都会の夏の夜がコンクリートにこもった熱で蒸し暑いのに対し、沖縄の夜は意外に涼しいのだ。辺りに土が多く、海も近いからだろう。いずれにしても、東京では考えられない就寝態勢である。

翌17日(土)、太陽の光で目が覚めた。腹が減ったら食事をし、夜が更けたら眠りにつき、夜が明ければ起床する。これが本当の人間の生活なのではあるまいか。
朝もきのうと同じメンバーで食事。きょうの予定だが、イケメン氏は竹富島、母子は引き続き鳩間に泊まる。私は石垣島に戻り、竹富島をお邪魔しようと思うが、もう一工夫したいところである。
石垣への高速船は、10時45分だ。もう少し早い便があれば以後の観光が充実するのだが、こればかりはやむを得ない。
隣室の彼女は、早くもスイミングスーツに着替え、泳ぎに行くようだ。あまり話せなかったが、とても楽しい人だった。イケメン氏も、どこかに行ったようだ。
私は船が来るまでの間、島内を散歩する。
海岸で音楽を聴いていると、港にオレンジ色のフェリーが着岸するのが見えた。ときに9時。しかしあの船はなんだろう。まさか定期船ではあるまいな。それなら一刻も早く石垣に戻りたいが…。日中の1~2時間は貴重だ。
そのフェリーは30分後に出航した。
私は宿に戻り、チェックアウト。まるだいの皆さんには、たいへんお世話になりました。また来年も、こちらに泊まれればうれしい。そして、先ほどの女性にも会えればなおうれしい。
私は鳩間港に戻って、ボーッとする。私は待合室に貼られていた、船の時刻表を何気なく見つが、驚いた。9時30分発のフェリーがあったからだ。じゃあ、さっきのフェリーが、石垣島に行く船だったのか!?
(つづく)
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第25回将棋ペンクラブ大賞贈呈式(後編)・完敗

2013-09-24 00:32:46 | 将棋ペンクラブ
上手・鈴木環那女流二段:1一香、1四歩、2一桂、2三歩、3一玉、3二金、3三銀、3四歩、4二飛、4三金、4四歩、5三歩、5四銀、6四歩、7四歩、8一桂、8四歩、9一香、9四歩 持駒:角
下手・一公:1六歩、1九香、2五歩、2六角、3六歩、3七桂、4五歩、4八飛、5六銀、5七歩、5八金、6六歩、7六歩、7七銀、7八金、7九玉、8七歩、8九桂、9七歩、9九香 持駒:なし
(△4二飛まで)

▲4四歩△同銀▲4六歩△3三銀▲4五銀△5五銀▲6七金左△6五歩▲同歩△7三桂▲5六銀△同銀▲同金△7五歩▲4五桂△4四歩▲3三桂成△同金寄

私は▲4四歩と取り込む。△同銀に、ここは迷った。第一感は▲4四同角で、△同金に▲5一銀と打って、かなり暴れられそうだ。
しかし、これでは一気に雌雄を決してしまうことになる。何といっても、鈴木女流二段との指導対局である。これが最初で最後の指導対局だろうから、大事に行きたかった。
気が利かないが、私は▲4六歩と控えて打つ。鈴木女流二段が、ううん、とマユをひそめた。
「指導対局をされている方、そろそろ決着をつけてください」
と、幹事の犬塚氏からアナウンスが入る。まったく忙しない。
「こんないい将棋を、止められませんよね」
と、鈴木女流二段がつぶやいた。私はちょっと、うれしくなる。
壇上には神谷広志七段が上がっているようだ。神谷七段は舌鋒鋭いので、周りはハラハラドキドキだ。しかし無難な内容だったようである。
鈴木女流二段は△3三銀。私は▲4五銀だが、これはつんのめった。ここは▲4五歩か、▲4五桂だった。▲4五銀には△6三銀でも困ったが、鈴木女流二段は△5五銀。私は▲6七金左だが、これではこちらがおもしろくなかった。
壇上ではお楽しみ抽選会が始まった。棋書やサイン色紙などがもれなく当たる企画だ。今回はあいうえお順で商品をいただけるらしいのだが、私は対局中で、中座ができない。どう考えたって、鈴木女流二段の横顔を眺めているほうがいい。
私は▲4五桂と跳ね、▲3三桂成と駒得を果たす。しかし△同金寄に、次の手はしくじった。

▲7五歩△8五桂▲8八銀△7六桂▲6七銀△8八桂成▲同玉△7二飛▲7六銀打△2七角▲4七金△5九銀 まで、70手で鈴木女流二段の勝ち。

湯川博士幹事のおいごさんは、玉を▲7九にやり、いつの間にかいい勝負になっていた。その左のご婦人も善戦していて、鈴木女流二段もとまどい気味である。
お楽しみプレゼントは、幹事・鷲北氏が提供した、バトルロイヤル風間氏描くところの女流棋士手ぬぐいを、鷲北氏が私のために取っておいてくれた。ジャケットの窓から「碓井涼子」さんと、「島井咲緒里」さんの似顔絵が見える。現・千葉女流四段は旧姓だし、島井女流二段はぷっくらと丸顔。「多田佳…」の文字も確認でき、かなりのレア物といえる。
私は▲7五歩と歩を補充し、やってこいと構えたが、これは鈴木女流二段の攻めを誘発しておもしろくなかった。△8五桂に▲8八銀、△7六桂に▲6七銀とは、利かされっ放しでおもしろくない。▲7五歩では▲4五歩だったか。
さらに△7二飛に、▲7六銀打が何たる手。鈴木女流二段の△2七角が次の△3六角成を狙って厳しく、一遍に受けなしになってしまった。
私は泣きの▲4七金だが、△5九銀に、静かに投了した。
鈴木女流二段が再びマユをひそめ、気の毒そうに?私を見る。女流棋士にこんな表情をされたのは初めてで、「私がずっと辛い将棋だったのに、なんかごめんなさい」という感じだった。
早速感想戦に移る。「これ、プロの実戦にもあったんですよ」と鈴木女流二段。間接的に私の将棋を評価してくれているようで、社交辞令でもうれしかった。
私は42手目△4四同銀の局面まで戻して、そこで▲4四同角はどうか、と口にする。しかし鈴木女流二段はその前、▲4四歩と取り込むところが勝負どころと見ていたようで、▲1五歩の突き捨てを提案してくれた。
しかし私は、己の見解をそのまま進めてしまう。
▲1五歩△同歩を一応入れ、▲4四歩△同銀▲同角△同金▲5一銀。ここで鈴木女流二段は△4三飛と浮く、といった。以下▲4五歩△5五金▲同銀△同銀は下手攻め切れない。やはり▲4四角は無謀、の結論になった。
また後方で見ていた後藤元気氏が、「△9四歩には▲9六歩と受けたほうがいい」といった。後藤氏は元奨励会の強豪である。これは貴重なアドバイスをいただいた。
左のふたりは対局中なので、感想戦はここまで。美人女流棋士の誉れ高い鈴木女流二段に教えていただき、とてもいい記念になった。本日いちばん充実したひとときを過ごしたのは、私だったと断言できる。
…とはいうものの、負ければやはり悔しい。私は項垂れて、幹事の荒幡氏や鷲北氏に泣きつく。もう少しいい将棋を指したかった。
あ、と思う。先ほどの感想戦、▲5一銀の変化で、△4三飛▲4五歩△5五金には▲同銀だったが、ここで▲4四歩と突く手はないか。△4一飛なら▲5五金△同銀▲5二金△4四飛▲同飛△同銀▲4一飛△2二玉▲4二銀成で下手優勢だ。
こうなればうまいが、▲5一銀には△4一飛と引かれ、▲4二歩△5一飛▲4四飛△4二金の結果は、やはり下手が悪いか…。
そろそろ中締めの時間である。楽しい時間はあっという間に過ぎるのだ。最後はみなで三本締め。シャシャシャン、シャシャシャン、シャシャシャン、よいしょ!! を3回。将棋ペンクラブは、本当に三本締めが好きだ。
「芙蓉の間」を出てうろうろしていると、湯川恵子さんが出てきた。私は改めてお祝いを述べる。
「このたびはおめでとうございます。やっと獲れましたね。でもいつかは獲れると思ってました。恵子さんの観戦記は、いつもおもしろかったですからね」
「あら~、ありがとう。大沢さんにそういっていただけるだけで、うれしいです」
と、こぼれるような笑顔の恵子さんであった。

※帰宅後、鈴木女流二段との将棋を考える。鈴木女流二段の「▲1五歩」の意味は、△同歩▲同香と1歩を入手して、△1三歩▲2四歩△同歩▲2五歩△同歩▲同桂△2四銀▲4四歩の狙いだったかもしれない。
あのときベラベラしゃべらず、鈴木女流二段の考えを拝聴しておけばよかったと、いまになって後悔した。
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第25回将棋ペンクラブ大賞贈呈式(中編)・美しき鈴木環那女流二段に教えていただく

2013-09-23 14:00:06 | 将棋ペンクラブ
「石田先生、いつもNHK杯の解説で拝見しております」
「はいはい」
「最近は年に1度ぐらいですよね。(もう少し出てもらいたいので)残念です。私としては、先生が黒縁のメガネだったころのが、いちばん好きでした」
「いまは銀縁だからね」
石田和雄九段は、なんか図々しいのが来たなあ、という感じで応対してくれる。
「私は、いままでの解説者の中で、先生が三指に入ると思っております」
ここで終わらず、私は続ける。「先生、柏で将棋道場やられてますよね。私日暮里に住んでまして、同じ常磐線なんで、いつかお邪魔しようと思ってるんですが、なかなかその機会がなくて…」
これが見え透いた社交辞令だと看破したのか、石田九段は
「魚は川を上らないです」
とつぶやいた。「あちらからこちらへ来ることはあっても、東京からこちらへ来ることはありません」
魚は川を上らない、とは言い得て妙だ。私は大いに感心した。私はさらに続ける。
「先生、この間実戦集を出されましたよね。私は買ってはいないんです。いないんですけど、あれはいい本だと思います」
私はさっきから、微妙に失礼なことを連発しているようだ。
「おお、それはいかん」
石田九段は名刺を取り出した。「将棋道場に連絡をくれれば、サインして、(有料で本を)お送りしますよ」
「ははあ、ありがとうございます!」
この辺りで味よく切り上げればいいのだが、私はしつこく続ける。お弟子さんの活躍にしばし触れた後、
「ところで先生、大山先生はどんな感じだったんですか? だって大山先生と順位戦で指された棋士って、もうそんなにいないですよね」
といった。
「大山先生は…すごい人でした。すごい人でしたよ…」
パーソナルな部分は、あまり言いたくなさそうだった。そこへ別の会員氏が来て、私はその場を外した。話に夢中になりすぎて、ちょっと石田九段に、迷惑を掛けてしまった。
会場の一隅では、鈴木環那女流二段と渡部愛女流3級の指導対局が始まっていた。しかし対局者はまだ1人ずつだ。
将棋ペンクラブ幹事の鷲北氏らにうながされ、私も加わることにする。愛ちゃんには、彼女が中学生の頃から何度か教わっているので、ここでは鈴木女流二段にお願いする。
「す、鈴木先生、お願いします。先日は関東交流会で、『NHK将棋講座』にサインをいただきました」
鈴木女流二段はにこやかに応じる。か、か、かわいい…!! 何というか、小悪魔系のかわいらしさだ。
席に座る。左は、頭を綺麗に丸めた紳士氏。聞くと、湯川博士幹事のおいごさんだという。そういわれてみれば、頭の形から顔から、湯川幹事そっくりである。私は妙に緊張しての対局となった。


2013年9月20日
第25回将棋ペンクラブ大賞贈呈式会場
東京・四ツ谷「スクワール麹町」

上手 鈴木環那女流二段
下手 一公

(平手)
▲7六歩△3四歩▲2六歩△3二金▲4八銀△8四歩▲7八金△8八角成▲同銀△4二銀▲7七銀△6二銀▲4六歩△6四歩▲4七銀△6三銀▲5六銀△5二金▲6八玉△5四銀▲3六歩△4一玉▲5八金△4四歩▲7九玉△3一玉▲6六歩△9四歩▲4八飛

手合いは香落ちでもよかったのだが、まあ、平手でお願いする。ちなみにおいごさんも、平手で指していた。
鈴木女流二段の△3二金に、私の▲4八銀が早くも疑問手。△8四歩▲7八金に△8五歩と伸ばされたら、早くも一本取られていた。
すなわち▲7七角は△同角成▲同金で、下手の形が悪い。▲2二角成△同銀▲8八銀も、△8六歩▲同歩△同飛で、そこで▲7五角は△7六飛で下手投了である。飛車の横利きが消えているのが痛いのだ。▲4八銀は不急の一手だった。
しかし鈴木女流二段は△8八角成と、予定通り?指してきた。もちろん△8五歩は織り込み済みだが、それだと上手十分になってしまうので、緩めてくれたものだろう。聞けば当人は否定するだろうが、ここが鈴木女流二段の思いやりである。
私には指し慣れない角換わりになったが、最近中倉宏美女流二段との指導対局でたて続けに指しており、そのときの経験を活かせると思った。
相腰掛け銀になり、粛々と進む。おいごさんも同系統の将棋だが、下手は▲5八玉型で、なかなか斬新だ。
その左には、先ほどのご婦人が入っている。こちらも平手だ。関東交流会ではフェアリープリンセスに属していると聞いたから、かなりの実力者である。飛車を振っているようだ。
愛ちゃんのほうも、3面が埋まっている。こちらは二枚落ちの手合いが入っている。下手がうまく指しているようだ。
壇上には、来場のプロ棋士が呼ばれている。まずは窪田義行六段のスピーチのようだ。しかし内容に脈絡がなく、さっぱり要領を得ない。
「窪田先生…」
と鈴木女流二段が心配顔でつぶやくのが可笑しかった。
△9四歩に、私は心の余裕がないので、▲9六歩と受けず、▲4八飛と回る。腰掛け銀+▲4八飛は、私の好きな形である。

△3三銀▲1六歩△1四歩▲3七桂△4二金右▲2五歩△7四歩▲2六角△4三金直▲4五歩△4二飛

鈴木女流二段は、一手一手に少考(数秒)する。指導対局とはいえ、一局の将棋を大事にする姿勢が見られ、私は大いに感心した。
その横顔をチラチラ盗み見るが、やはりかわいらしい。美しいというべきか。多面指しでは一局の将棋に専念できないから上手に負担が大きいが、美人女流棋士の場合、下手だって上手を鑑賞してしまうから、読みに専念できない。ある意味、条件は同じなのだ。
壇上には北尾まどか女流二段が上がっている。北尾女流二段はここ四ツ谷に事務所を構えており、それで顔を出したものであろう。いまから13年前まで私もここ四ツ谷に勤めていたが、いい思い出はなく、消したい過去ではある。
事務所は今度引越しをするらしい。どうぶつしょうぎが売れまくり、事務所が手狭になったのだろうか。どうぶつしょうぎ万々歳であろう。
あすからは外国に飛ぶそうで、北尾女流二段、ますます充実しているようである。
私は▲2五歩から▲2六角。この攻め筋も、私の好きな形だ。善悪はともかく、満足の行く進行にはなっている。
△4三金直に、満を持して▲4五歩と仕掛けた。
(つづく)
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第25回将棋ペンクラブ大賞贈呈式(前編)・愛ちゃんと談笑する

2013-09-22 17:33:53 | 将棋ペンクラブ
20日(金)は、東京・四ツ谷にて、「第25回将棋ペンクラブ大賞贈呈式」があった。会費は男性8,000円で、ヒトの受賞を祝うために大枚をはたいて参加するのも冴えないが、今年は湯川恵子さんや上野裕和五段が大賞を受賞したので、それをお祝いしたい気持ちがあった。
…というのは半分ウソで、今年は指導対局の女流棋士に、鈴木環那女流二段と、渡部愛女流3級が登場する。今回は、おふたりとの交流をメインに据えていたことを私は白状する。
開会は午後6時30分から。家を出るのに意外にまごついて、会場の「スクワール麹町」に着いたのは、開会の15分前だった。
エレベーターの前で、長沢千和子女流四段に会う。と思ったら、加藤桃子女流王座のお母さんだった。5月の関東交流会でもお目にかかっているが、ふたりはウリふたつである。
エレベーターには何人かで乗るが、その中に会員のKin氏もいた。
5階で降りると、多くの参加者がたむろしている。石田和雄九段、窪田義行六段の姿がある。窪田六段は将棋ペンクラブの常連だが、石田九段は何の縁だろう。
受付で待っていると、上野五段が通った。上野五段には、「大野教室」など、各所でお目にかかっている。私は深々とお辞儀をした。
ほかにも島朗九段、勝又清和六段、後藤元気氏など、受賞者の姿を確認した。
「芙蓉の間」に入る。しばらくすると、鈴木女流二段、渡部女流3級が入室した。LPSA女流棋士はともかく、女流棋士会の女流棋士が指導対局に招ばれるのは珍しい。鈴木女流二段は、今年の春号でも登場しているし、島九段とは東北地方を精力的に普及している仲だ。今回はもろもろのご縁で、ということだろう。
ほかには神谷広志七段の姿も見えた。神谷七段も当会の常連だ。
定刻の6時30分、贈呈式開始。司会は、「将棋寄席」のイチローこと、長田衛氏。
まずは、技術アドバイザー・所司和晴七段の総評である。各受賞者の作品を丁寧に講評していくが、その語りがスローモーだ。このペースでいったら30分ぐらいかかってしまうのではと危惧したが、長くはかからず10分ほどで終わった。
とはいえ閉会は8時30分だから、あと110分しかない。毎年思うのだが、贈呈式は時間が短い。せめてあと30分、延長してくれまいか。
続いて表彰式。木村晋介将棋ペンクラブ会長から、短評と賞状(色紙に書かれている)が渡された。大賞の賞金は5万円だが、賞金以上の名誉がある。そう、将棋ペンクラブ大賞は、妙な権威がある。何しろ、時の将棋連盟会長と専務でさえ、表彰してしまうのである。これは、選者が執筆者に媚びてないからだ。将棋と同じ、実力の世界。それだけに、大賞受賞は価値があるのだ。
表彰式は、ファンの方からサプライズの花束贈呈もあり、微笑ましかった。
続いて受賞者のスピーチ(コメントは正確ではないので、ニュアンスだけ感じてください)。
観戦記大賞・勝又六段「いままでは自戦記等で賞をいただいたことはありますが、純粋な観戦記は初めてで、それだけにうれしい」
同・恵子さん「女流棋戦が大賞に選ばれてうれしい。同時受賞の片方が羽生棋聖の将棋で、それと並べて評価されたことがうれしい」
文芸大賞・島九段「昨年、島研のトークがなかったら、この本はこの世に生まれなかった。皆様に感謝します」
同優秀賞・後藤氏「過去の名言をコツコツ集め、ひとつにまとめられたのがうれしい」
そして技術部門大賞・上野五段。これが爆笑のスピーチだった。
「皆さま覚えておいででしょうか。昨年私はここでお話しさせていただく機会があり、そのとき私が、『いま私は本を書いており、秋に出版する予定です。来年これでペンクラブ大賞を獲ります!!』と誓ったことを!」
1年後にペンクラブ大賞を獲る、と宣言して実際に獲ったなど前代未聞。これは上野五段の面目躍如だ。「現在ほかの方から、私がかつて将棋連盟の理事をしていたことから、今度は『理事会完全ガイド』を出してくれ、のリクエストがありましたが、諸般の事情で、それを書くことはできません…」
場内爆笑。まさにMVP級のスピーチだった。
同優秀賞・阿部健治郎五段は対局中のため、マイナビの編集者・島田氏が代わりにスピーチ「阿部さんは『今後10年は持つ著書』を目標に書いていました。阿部さんの研究の中で、執筆後に結論が変わってしまったものがあり、全面書き直しをしたときは、(本の発売が危ぶまれ)アオくなりました。あのときのことは思い出したくありません」
島田氏も笑わせてくれる。しかし優秀賞を受賞したから、苦労した甲斐はあったということだ。
乾杯の音頭は石田九段。石田九段は勝又六段の師匠であり、その縁で。私としたことが、基本的知識を失念していた。
「勝又がペンクラブ大賞を受賞したことは知ってたんですが、贈呈式がきょうだとは知らなくて…。きょう将棋道場のお客さんから、きょうだと知らされまして、先約をキャンセルして、こちらに来ました…。乾杯!!」
私は飲まないが、喉が渇いたときの最初の一杯は美味いと思う。近くに愛ちゃんもいて、最高だ。
その愛ちゃんに声を掛けられる。ハタチの女流棋士に声を掛けられる将棋ファンはそうはいないと思う。大感激である。
「先日の斎田戦の勝利、おめでとうございます」
愛ちゃんは先日の女流王位戦で斎田晴子女流五段に勝ち、女流棋士として公式戦初勝利を挙げたのだ。
「ありがとうございます」
という愛ちゃんがかわいらしい。彼女はやっぱり本田翼に似ていると思う。愛ちゃんと話すのは相当久しぶりで、2年以上のブランクがある。とりあえず元気そうで何よりである。
「次は北海道の…ホラ、ともこ…久津さん?でしょ? それに勝って次に勝てば、女流王位リーグ入りだもんね」
「そうですね。でも、今度大きい勝負があるから…」
「ああ、日レス杯? 28日だっけ。それは大きいよね」
などとじゃれあっていたら、Kun氏が現われた。せっかくいい雰囲気だったのに…。そういえば以前、ジョナ研で私とAyakoさんが他愛ない会話をしていたら、そこにKun氏が現われたことがあった。まあよい。
日レスインビテーションカップの優勝賞金は100万円である。これは女流棋士のタイトル戦に匹敵する賞金額である。テキは大豪だが、いまの愛ちゃんの実力なら大丈夫、必ず勝てる。当日は悔いを残さぬよう、全力を出し切ってもらいたい。
品のいいご婦人と目が合う。関東交流会でお目にかかった方だ。私が会釈すると、
「たしか、中井先生のファンでいらした…」
とご婦人。
「はあ、いまはそうでもないんですが。ここだけの話ですけど…」
私は苦笑するしかない。
近くに石田九段が来て、食事をしている。石田九段といえば、NHK杯の名解説者として名高く、私たちの世代では偶像化されている。
石田九段の食事が一段落したころ、意を決して話しかけてみた。
(つづく)
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沖縄旅行2013・11「究極の選択」

2013-09-21 11:03:08 | 旅行記・沖縄編
立原の浜は、午後4時半ごろに上がった。「プライベートビーチ」だからもっと泳いでいられるのだが、物事は何でもほどほどがよい。潮も満ちてきたし、このあたりが潮時だと思った。
海水パンツにTシャツ姿、頭に麦わら帽子というオッサン度丸出しのまま、宿に向かう。途中に屋良の浜があったので、そこにも寄って、一休み。実にのどかだ。
宿に戻ってシャワーを浴び、しばらくすると夕食の時間である。一日海で泳いで、食事。ふだんの仕事に対するご褒美といってしまえばそれまでだが、あまりに休みを満喫し過ぎて、バチが当たりそうな気がする。
夕食も、昼と同じメンバー。夕方の便の客はいなかったということだ。
スイミングスーツの女性は、午後もどこかで泳いだのだろう。いまはオリオンビールのTシャツを着てサッパリしている。ボーイッシュだがほのかに色気があって、私の好きなタイプである。ふふふ…。
少年は釣りをしてきたそうで、その釣果がテーブルに並んだ。ほかにも魚を中心に、美味しそうな食事が並ぶ。ご主人が存命のころは肉料理が多かった気がするが、女性中心の経営になってからは、魚が多くなった。
イケメン氏は、海岸の岩陰で一日のんびりしていたという。狭い島ながら、各自お好みの場所で楽しんだというのがおもしろい。
私は人見知りが激しいのだが、何となく打ち解けて、いろいろしゃべる。その話の中で、あの女性と小学生の子供が、親子だったことが判明した。これは小さからずショックである。夜のゆんたくでは彼女とお近づきに…と、よからぬ妄想を抱いていたのだが、これで雲散霧消してしまった。
ところで、父親は? とは聞かぬのがエチケットであろう。下手に突っ込んで、「あなたこそアタマが薄いようだけど、もちろん奥さんはいらっしゃるんでしょうね」などと反撃されたら、ヤブヘビである。
彼女も鳩間島のファンで、毎年訪れているらしい。昨年だったか、シングルマザーの親子が泊まったことがあったが、あの彼女とは別人だ。ただ、今年の彼女とは、以前どこかで会った気もした。
イケメン氏は学校の教師。奥さんは現在波照間島におり、あす竹富島で合流するのだという。そういう旅は私の理想だ。
そのイケメン氏、奥さんとの馴れ初めが劇的だった。数年前、ふたりは竹富島の民宿でいっしょになったのだが、その後奥さんが先に、鳩間島に来たらしい。ところがこのまるだいで、彼も後からここに訪れることを知り、彼に一目ぼれ?していた彼女は、まるだいに彼への手紙を置いて行ったという。
要するに、古風な逆ナンである。手紙はまるだいから彼の手に渡り、それが実って、ふたりはゴールインした。ふたりのキューピッドは、まるだいだったのである。
…と、そんなことを聞いても私はおもしろくない。皆さん将来が約束されていて羨ましいですなあ、とスネるのみである。
「でも、沖縄から帰ってきたら、お互いの魅力が半減して見えた、ということはありませんか?」
と、私はケチをつける。「ほら、スキーでもよくあるじゃないですか」
「逆よ」
と宿の娘さん(繰り返すが、けっこうな歳である)。「スキー場ではいろいろ着飾ってるけど、八重山の旅行はお互い素の自分を出してるから…」
「あ!!」
そうか…。それは確かに道理である。とすると、私も沖縄では、素顔の自分を出しているということだろうか。でもそれで魅力がなかったら、救いようがない。
きょうの宿泊客は少ないですね、という話になる。先にも書いたが、4人はどうなんだろう。
鳩間島が有名になり、島内にいっぱい民宿ができた。だが、しゃれた民宿ができれば、客はそっちに移る。しかも1日に3本も高速船が出ていれば、石垣島から日帰りも可能だ。旅行会社の日帰りツアーもあるし、個人で行っても、シャワーのみを提供している店もあるから、何の不自由もない。観光客の増加が宿泊客の増加につながらないところに、経営のむずかしさがある。
まるだいは、鳩間に訪れた仕事人を好意で泊めたのが嚆矢だという。つまり、鳩間島で最初の民宿だった。その由緒あるまるだいに、私は今後も泊まりたいと思う。
ヒトの話を聞くだけでなく、私の話もしなければならない。私は、まるだいに訪れるようになった思い出話をする。宿の奥さまは、私の石垣島での奇行?をよく覚えていて、午前6時に起きて、辺銀食堂のラー油を買いに行った、ということを笑いながらバラす。
これはもう、封印したい過去なのだが、奥さまによると、「でも大沢さん、あの時は楽しそうな顔してたわよ」とのことだった。ううむ…と唸るしかない。
このあと、少年に釣りをコーチしてくれた、漁師さんが遊びに来るという。それがゆんたくの時間になるのかもしれない。
食後に自室に戻ると、コンセントに挿していたスマホに電源が入っていなかった。このコンセントにはスイッチがあって、それをオンにしていなかったのだ。
電気の残りが少ないが、まあよい。港に行って夜空を眺めるのは、ここ数年の定跡である。そこで、私お気に入りの歌を聴くのだ。
と、例の彼女が、「(廊下の)蚊取り線香を点けていいですか」と聞きに来た。彼女親子は襖を隔てた隣の部屋だが、電気は消えている。つまりこれは、先ほどの談笑の続きをしましょうか、の意味もあったように思われた。
彼女とのゆんたくか、港でのんびりか。私は究極の選択を迫られた。
(25日につづく)
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