一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

3月7日のLPSAジャンジャンマンデー(前編)・師匠との将棋

2011-03-16 00:40:45 | LPSAマンデーレッスン
昨夜、静岡県で震度6強の地震があった。東京は震度3~4。いつもなら家で大騒ぎしているところだが、もう、揺れに鈍感になってしまっている。

7日(月)は、LPSAマンデーレッスンS・スピンオフ「ジャンジャンマンデー」に行った。この日は第1期の最終3日目。最多勝、最高勝率、最多対局の各賞が決まる、重要な1日だった。
部員も10名前後が集まり、午後6時、今回の部長・Sa氏の開会の言葉で、対局が開始された。
私の第1局目はミスター中飛車氏と。ここまで私の戦績は6勝2敗。三賞すべてに射程圏内に入っており、もう負けられぬところである。
私の居飛車明示に、中飛車氏は両方の銀を上がる。中飛車氏とはこれが4局目だが、過去3局はいずれも中飛車氏の普通中飛車だった。今回は中飛車氏の矢倉志向か…? と思いきや、中飛車氏はツノ銀にしたあと、けっきょく中飛車に振った。私は一段玉だから意表を衝かれた形だが、中飛車氏も居玉だ。
私は☖7五歩と仕掛けたが、やや無理気味。しかし中飛車氏の攻め急ぎがあり、居玉も祟って、私がきわどく勝利を収めた。
続いては将棋ペンクラブの若手幹事、Hak氏と。Hak氏は努力家で、会社の行き帰りに電車の中で詰将棋を解き、小冊子を読んで勉強している。しかし棋歴が浅く、私とは若干手合いが違う。何か駒を落とすべきではないだろうか。
それを松尾香織女流初段に申し出たら、「ジャンジャンマンデーは原則的にオール平手だから…」と言われてしまった。Hak氏も平手を所望したので、振り駒をし、私の先手番になった。
将棋は私の居飛車明示に、Hak氏の四間飛車。☗5七銀左から☗3五歩と仕掛け、よくある展開になったが、私が☗2四歩の突き捨てを怠ったため、指しにくくなった。
元女流棋士の藤田麻衣子さんが見える。思わず「師匠!」と叫んでしまった。師匠は前週の金曜日にも見えたが、そのときに今回の参加を表明していた。藤田さんは昨年3月に現役を退き、LPSAも退会したが、将棋への熱意は変わっていないようである。
私は桂損を承知で☗3七桂と跳ねる。これにHak氏がひるみ、私の疑問手が好手に変わってしまった。結果は私の勝ち。しかしHak氏は大健闘だった。もう、初段はあるのではないか。
3局目は、藤田さんと。ここまで私の戦績は8勝2敗。藤田さんも含め、残り2局を勝てば、三冠王が見えてくる。これは負けられない一戦となった。
ところで前週の金曜日、藤田さんに
「最近の大沢さんのブログは品がありません。あれではほかの人に勧められません」
との苦言を頂戴した。私はヒトの意見でブログスタイルを変えるつもりはないが、師匠の意見は千金の重みがある。少しは大人しいブログにしようかなとも思う。
藤田さんとの対局は、藤田さんが退会直前に、江東区のイベントで教わって以来だから、1年振りになる。戦績(平手)は私の5勝7敗。しょっぱなからの5連敗が痛かったが、その後はよく盛り返したというべきだろう。
将棋は私の横歩取りに、藤田さんの☖8五飛(中座飛車)戦法となった。藤田さんは居飛車急戦が得意で、LPSAで現在この手を指すのは中井広恵女流六段と石橋幸緒天河のみ。LPSAは貴重なキャラクターを失ったと、あらためて感じる。
私は☗2六飛。ここで後手は☖4一王だろうから、私は角を換わって☗9六角を指すつもりだった。現在男性プロ間では、この手では先手不利と結論が出ているのだろうが、それは「わずかながら」の但し書きがつく。☗9六角からの手将棋は、先手も指せる、が持論である。
しかし☗2六飛を着手後、藤田さんは、定跡最前線の☖5二王を指す気がしてきた。藤田さんは現在も竜王戦や棋聖戦の観戦記者を務めており、その辺のじ事情には詳しそうである。
まずい…。これではこちらが研究で負けてしまう。
果たして藤田さんは☖5二王。やっぱり…。クサッたが、私は新山崎流に構え、攻勢を取る。しかし藤田さんの指し手は的確で、徐々に私の模様が悪くなった。
ここで中盤の一場面の駒の配置を記す。

先手・一公:2九飛、3四歩、3八金、4七歩、4八銀、5七歩、5九玉、7七歩、7八金、8八銀 持駒:角、桂、歩…
後手・藤田さん:2一桂、2五歩、3五飛、3六歩、4四銀、5二王、5四角 持駒:桂…

☖3六歩の存在が大きく、後手優勢。ここで私は☗4六歩と突き、次の☗4七桂から☗2五飛を目指したが、よくなかった。すかさず☖6五角と覗かれ、ナナメのラインが受けにくい。
私は読み筋とばかり、文字どおりノータイムで☗4七桂と切り返したが、構わず☖同角成と切られ、☗同金に☖5五桂とされては、収拾がつかなくなった。以下は受けても一手一手なので、私はここで投了した。
あー、☗4七桂では☗5六桂だったか。もし☖5五銀なら、☗2五飛の十字飛車が爽快だ。それなら後手も自信がない、という藤田さんの感想を聞いて、私は
「うわあああああ!!」
と叫んで、席を立つ。
しかしいま冷静に考えると、☗5六桂~☗4四桂と銀を取っても、☗2九の飛車取りが残るから忙しいし、左辺の壁もひどい。☗5六桂でも、やはり先手の容易ならざる形勢だったようだ。
しかし対局時は、模様がよくなった将棋を一瞬でダメにしたとの思いが強く、気持ちの整理がつかなかった。そしてこのあとの対局で私は、ヒドイ将棋を指すのである。
(つづく)
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灯りの消えた街

2011-03-15 00:43:42 | プライベート
きのうはもちろん仕事をしたけれども、心ここにあらず、どこか浮ついていた。
夕食後の、オヤジとオフクロと私の会話。
「このまんまだったら、どっちみち大相撲は中止になってたかもしれないなあ」
とオヤジ。「地震があったのが金曜日だから…」
「でも名古屋場所だから、やることはやったんじゃないの?」
と、これは私。
「おおそうか、そうだな」
「でもきょうは将棋のタイトル戦やってるよ」
と、再び私。「なにしろ地震の日だって対局やってたから」
「……!?」
「順位戦。最終局だったから」
私がそう言うとオヤジは苦笑して、
「へっ、何をやってんだか」
と吐き捨てた。
「囲碁のほうは封じ手をして後日指し継ぐことにしたらしい。将棋のほうは少し休んで、最後までやった」
「地震のあった日? 11日? …もう、こうなんだね」
と、今度はオフクロが両腕を前に出す。地震が起こっても、将棋しか目に入っていない、というゼスチャーだ。オヤジもそれをマネした。
オヤジは将棋を指すし、将棋界のシステムも一応は知っている。棋士は将棋を指すのが仕事だと理解もしているが、それでいてこの反応だ。しかしかくいう私も、実はオヤジと似た意見だった。
将棋は文化なんだから、日本の災害時に将棋を指しても何ら構わない。それが仕事なんだし。それは分かっているのだが、何か釈然としないものがあった。まあ、将棋を指しておカネがもらえる団体への、貧乏人の僻みと言われればそれまでだが。
ただ、棋士という職業は、日本が平和であり、幸せであって初めて成り立つ職業だと思った。

夕食後は、いつもの散歩。ところが自宅を出たときから雰囲気が妙だった。計画停電の余波もあるのだろうが、玄関に灯りをともしている家が少なかった。もっとも、それはウチもそうだったが。
駅に着くと、JRはもちろん営業していたが、私鉄のほうの改札口は、シャッターが下ろされていた。反対側、メインの改札口は開いていたのかもしれないが、こんなことは初めてである。
駅を抜けて、いつもより灯りのない、ひっそりとした街を歩く。某巨大公園に入る。と、出口付近に長~い行列ができていたのでビックリした。
その先を辿ってゆくと、思ったとおり私鉄駅に通じていた。列車の本数を間引いているので、入場制限をしていたのだ。これも初めてみる光景である。東北の被災地の惨状といい、まるで戦時中のようだ。
そういえば政府は、「不要不急の外出はやめましょう」と述べていた。これも戦時中の、国鉄のスローガンだった。なんだか、山田太一の「終りに見た街」の世界に迷い込んだようだった。
大通りも、まだ午後7時半だというのに、暗い。どこもかしこもシャッターを閉めている。パチンコ屋もだ。開いている店も、ひっそりと営業しているふうだ。クルマの行き来も少ない。
地方に旅行に行って、シャッターの閉まった夜の街を徘徊することがあるが、それともちょっと雰囲気が違うのは、ここにはまだ、人が大勢いるからだろう。
いつも行くディスカウントショップも、もう閉まっていた。節電のせいもあろうが、食物が売り切れてしまったのではなかろうか。
仕方がないので引き返す。「TSUTAYA」は開いていたので、入る。しかし気のせいかもしれないが、いつもより雑誌の品揃えが悪い気がした。月曜発売の「週刊現代」「週刊ポスト」はあったのに、「週刊プレイボーイ」がない。プレイボーイはAKB48の大島優子が表紙ではあるが、だから売り切れたとも思えない。やはり地震の影響で、入荷がなかったのではなかろうか。
私は不審に思いながら、リオのカーニバルのグラビアが載っている、週刊現代だけを買った。
帰り道、いま自分は、戦争の真っ只中にいるのだと思った。なんでこんなことになってしまったんだろう。4日前には想像もしなかった…。私自身も、東日本巨大地震の被害に遭っていたのだと思った。
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大野教室へ行く(後編)

2011-03-14 01:03:42 | 大野教室
なおも上手の猛攻は続くが、私は剣が峰でこらえる。☖2五銀に私は3四の成銀を見捨てて、☗3八玉と逃げた。☗3一とで飛車を入手し、☗3二飛の王手。大野八一雄七段との指導対局で、初めて上手の王が見えた。
上手は☖6二香とアイシャし、☖6五歩。厳しい攻めだが、私はこのときを待っていた。6筋の歩が切れたので、☗6三歩。これは☗6二飛成☖8一王☗7一金までの詰めろだ。やむない☖6三同金に☗6四歩☖同金☗7六桂。この桂が入って、筋に入ったと思った。
☖6六歩☗同銀☖6三香打。ここが下手の決めどころである。局面の一部分を記そう。

上手・大野七段:4四銀、4七成桂、6二香、6三香、6四金、7二王、7三桂、7四歩、8三金、8四歩、9一香、9四歩 持駒・角、銀2、桂…
下手・一公:3一と、3二飛、6六銀、6七金、6八玉、7六桂 持駒:金、銀、歩2

以下☗6一銀☖同王☗6四桂☖同香。ここまでくればあと一息。☗6三金まで、一手必至だ。それを分かっていながら、私はこうやった。
☗6三歩――。
これでも上手王は受けなしと思ったら、☖5二桂と受けられて寄りがないのに愕然とした。私は仕方なく☗4三金だが、さらに☖5一銀と受けられて、二の矢がない。以下☗4一と☖6六香まで、私の投了となった。
いやはや、この将棋はいただいたと思ったのだが、まさかの敗戦である。大野七段が飛車を見捨てて攻め合ってくれたのは、私への配慮だったと思われるが、そのチャンスを活かせなかった。先日のKun氏戦といい青年氏戦といい、簡単な勝ちを逃す私の未熟さには、目を覆うばかりだ。あまりにも弱い自分が、情けなかった。
感想戦では、☖1七同香成に☗同玉が危険な手で、ここは☗同金でしょうといわれた。その前、☖2五桂☗2七金のところでも、あらかじめ☗2七金と寄っておくのがいいとされた。しかしこんなプロみたいな手、私には何時間考えても浮かばない。上手の読みの深さに、舌を巻くばかりだった。
隣ではHon氏が飛車落ちで教わっていたが、☗7九角に☖8八歩と垂らされ、次の☖8九歩成が受からずに投了。もはや私たちは、顔を見合わせて苦笑するしかなかった。
かなり時間が経ったが、Hon氏との対局に入る。ここまで両者全敗。最後に初日を出したいところであった。
Hon氏の四間飛車に私は5筋位取りの作戦を採る。しかし5五の歩を只取りされ、不利に陥った。ところがHon氏が攻め合いに来てくれたので局面がもつれ、最後は私の一手勝ちとなった。
羽生善治名人・王座・将聖は5筋位取りを指したことがないというが、たしかにこれは5五の位を保つのがむずかしく、あまりいい戦法とは思われない。
大野七段にそれを言うと、大野七段は5筋位取りの指し方をスラスラと並べてくれた。なるほどこれなら5五の歩も守れ、強い戦いができる。先の矢倉右玉といい5筋位取りといい、私は基本的な指し方を何もマスターしていなかったと痛感した。
時刻は午後5時をとっくに過ぎている。もうお開きの時間だが、終了時間は関係ないようで、みなが残っている。パソコンに映し出されている棋王戦第3局・久保利明棋王と渡辺明竜王との一戦は、佳境に入っている。私は渡辺竜王を持ちたいが、大野七段は久保棋王持ちだという。
終局まで見届けたいが、これからみなは食事に出るようだ。しかし私は翌日、区の健康診断があるので、早く帰って静養したい。
しかしHon氏は「それはないでしょう」と帰してくれない。まあ、そうであろう。
大野七段がW・Akiちゃん、Hanaちゃんを駅に送り、帰るのを待って、私たちは和風ファミレスへ向かった。参加者は計6人だった。
食事を終えてのんびりしていると、中井広恵女流六段が見える。これは食事にお付き合いしてよかったと思う。
結局この日は午後からとても充実した半日を過ごしたわけだが、男性棋士の教えは女流棋士のそれと一味違って、とてもためになった。
女流棋士会の女流棋士は、国のおカネで男性棋士に将棋を教えてもらっているが、LPSAにはそれがない。ならばLPSA中堅女流棋士も強くなるために、自腹を切って男性棋士に教えを乞うしかない。それには大野七段が最適だと思う。攻め一辺倒でない、手厚い指し回しを習得できるだろう。
店を出るとき、大野七段に「誕生日おめでとうございます」と改めて述べた。大野七段は翌7日が誕生日なのである。52歳まで、あと1時間を切った。思えば2年前も私は、駒込ジョナサンで大野七段50歳のカウントダウンに立ち会い、その悲痛な叫びを聞いたのだった。
しかし今年大野七段は、
「50歳を過ぎてから、誕生日が来るごとに年齢をひとつずつ減らしてますから」
と語り、いまも
「48歳になりますから」
といった。女流棋士もそうだが、なんだかんだと理屈をつけて、棋士はどんどん若くなってゆく。
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大野教室へ行く(中編)

2011-03-13 00:42:14 | 大野教室
東北大津波は私の想像をはるかに越えるものだった。私は現在自分が置かれている境遇に必ずしも満足していないが、細々とでも仕事があり、毎日ご飯が食べられ、好きな将棋が指せる。それが幸せなことだとつくづく思い知った。
ありきたりの言葉だけど、被災地の方々に、心よりお見舞いを申し上げます。

(11日の続き)
大野八一雄七段の教えによると、☖2六歩に☗2八歩は、☗2二歩~☗2一歩成の楽しみがなくなってしまうので、☗3八金と辛抱するところだったという。その前の☗6八飛も、下手が無理に動いたので上手に楽しみを与えたらしく、ここは下手が居飛車のまま銀立ち矢倉を構築すれば、上手は困ったという。
まあ確かにそうなのだろうが、上手がどんどん迫ってくるのに、悠然と構えるのは勇気が要る。仮に大野七段指摘の順を指したとしても勝負はこれからで、結局は負かされた気がする。やっぱりプロは強かった。
続いて小学生A君と。4年生か5年生、という感じだが、棋力はアマ四段だという。堂々と「王将」を取られ、面喰らった。
私が後手で、横歩取りの進行になった。A君がポンポン指してくるので、ちょっと停滞させてやれと、☖3八歩~☖4四角。不勉強なのでこのあとの変化は忘れたが、ここでA君の指す手が最善手と思った。
本譜は☗8七歩☖7六飛☗7七歩。たぶんこれが最善なのだろう。以下大駒が乱舞する派手な戦いになった。A君は☗8三角から☗6一角成と金を取り、☖同玉☗7二歩☖同銀☗8二金ときた。次の狙いは☗7一飛だが、私の☖6二角が受けの好手。☗4一飛の王手にも☖5二玉と強く受けた。
以下☗7二金☖4一玉☗6二金の局面は金銀と飛車の2枚換えで私の損だが、先手の金の働きがいまひとつなので、いい勝負と思った。
しかし☖3三銀と壁銀を立て直したのが疑問手。すかさず☗2二歩とされ、☖2二同銀と戻るようでは、立ち遅れた。☖3三銀では☖3三桂と跳ね、3一~2一への逃げ道を確保するべきだった。
以下はA君の巧妙な攻めと私の致命的な見落としがあり、私の負け。いやはや、強い小学生だった。
…とガックリきている間もなく、今度はB君との将棋である。A君もB君も、見慣れぬオッサンが来たので、どんな将棋を指すか興味津々らしい。そんなB君も、王将を持つ。王将だろうと玉将だろうと、小学生には関係ないのだ。
これも私の後手番となり、☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖8四歩と進んだが、B君は☗6六歩。矢倉へ誘導したいらしい。私は相矢倉は好まないので、☖6四歩から中飛車・右玉に変化する。しかしB君の☗4六銀~☗3五歩の攻めが早く、たちまち私の玉は寄せられてしまった。
こんなヘタな将棋の感想戦はやりたくないが、仕方なく付き合う。
B君は
「ここで金を上がるようじゃ、もうそちらがつらいですよね」
と容赦ない。チッ、生意気なガキだ。さらにB君は大野七段を呼び、
「ここでどう指せばいいんですか?」
と、余計なことをいう。私のスットコドッコイな手がバレてしまうではないか。
しかし大野七段の指摘は明快だった。私は☗3五歩に☖3三角と上がったのだが、これを悪手と即断し、代わりに☖3三金と上がる手を教えてくれた。
なるほど、そういう受け方もあるのかと思う。以下☖5七歩と垂らし、☖1三角から☖5八銀の変化で、たちまちこちらが優勢になってしまった。
実戦は先手も変化するだろうが、流れるような手順である。中飛車・右玉の戦い方が分かって、とてもためになった。
このあとはおやつ休憩。果物やお菓子が出る。といっても「休み」はなく、11~15手の詰将棋が4問出題された。これを解きながらおやつを頬張るわけだ。
この問題がまた、頗るむずかしい。W氏は、「見るだけムダ」とハナから敬遠している。賢明である。30分の制限時間だったが、私は1問しか解けなかった。しかし小学生は、全問解けたのではなかろうか。次世代の若い芽は、すくすく育っているようである。
休憩が終わると、再び大野七段が対局に誘ってくれる。
「でも私はもう指しましたから」
と遠慮すると、W氏が
「大沢さん、芝浦サロンが染み付いちゃってるよ。ここは追加料金を取らないから大丈夫だよ」
と笑う。
恐縮しながら、2局目を教えていただく。おカネのことをいうと生々しいが、これで3,500円とは安い。
再び角を落としていただく。大野七段の向かい飛車に、私の三間飛車となった。私が銀冠を構築すると、大野七段も☖4四銀左と攻勢を取る。
と、植山悦行七段が訪れた。植山七段は大野教室のサポーターで、この教室に欠かせない存在である。室内の雰囲気がちょっぴりなごんだ。
大野七段の端攻めが始まった。下手からやむなく攻めを開始するのは上手の待ち受けるところだが、上手からの攻めはどうなのだろう。正確に指せば、下手が余せる気がした。
☖1七同香成。これは2六の銀、2七の金、2八の玉で取れるが、私は2八の玉で取った。
(つづく)
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3月11日のLPSA芝浦サロンは臨時休業・大地震に遭う

2011-03-12 00:05:42 | プライベート
きのう平成23年3月11日(金)のLPSA芝浦サロンは、船戸陽子女流二段の担当だった。しかし東北地方太平洋沖地震で、まさかの休止となった。前代未聞の出来事である。

この日私は工場(こうば)で仕事をしていたが、午後3時少し前、工場内でガタガタと揺れを感じた。じきに収まるだろうと楽観していたら、グラグラと大きくなるばかり。い、いやこれは、いままで感じたことのない揺れである。
焦って外に出ると落下物に当たったりして危ないとは思ったが、中にいるほうがもっと危ないと思った。
オヤジはやめろと言ったが私は外へ出る。電線が大きく揺れている。塀に取りつけられている消火器のボックスがバタン、と前に落ちた。これは大変な事態だ。工場を振り返ると、工場とその階上のおじ一家の住まいが、震えていた。
さらに揺れは激しくなり、もう立っていられない。ガタガタガタガタ! 工場はさらに大きく揺れ、私はこのとき、工場が壊れるかと思った。本当にそう思った。
ほんのわずか、揺れが小さくなった。工場は何とか耐えてくれた。最悪の事態は免れたようだ。
しかし地震はまだ続いている。工場に隣接する自宅の前では、どこかの主婦が小さい子供をふたり抱いて、うずくまっていた。「大丈夫だよ、大丈夫だからね」とか言っている。私もその場でうずくまった。
顔を上げると庭の桃の木がゆらゆらと揺れていた。こんな揺れは見たことがない。私もその子供に「大丈夫だよ」と言う。しかしこれは自分に言い聞かせたものだ。あたりには「ただいま地震がありました」との放送が流れている。大通りにはご婦人方が集まっている。
やがて少しずつ、揺れが収まってきた。私は工場の向かいにある駐車場に入る。ここなら上は空だ。オヤジとおじもここに「避難」していた。まだ揺れは続いていて、めまいを起こしたと錯覚する。
かなり揺れが小さくなってきた。私は工場裏から自宅裏に向かい、そろそろと家に上がる。
自室(らしき部屋)に入ると、まあ元からゴミの山だったせいもあるが、それほどモノは崩れていなかった。ただ、家具の上に置いてある、松尾香織女流初段からいただいたムーミンのカップが入った手提げ袋が、落下していた。
ひととおり各部屋を見て回る。とくに変化はない。台所も無事だ。1枚の食器も割れていなかった。
2階に上がると、中倉宏美女流二段の直筆色紙が、これまた落下していた。ほかにもいくつか落ちたものはあるが、損壊物はなかった。無事だった…。
この家は戦後すぐに建てられたもので見かけはボロいが、各所で太い柱を使っているので、基礎はしっかりしている。その辺に建てられている家よりよほど頑丈で、いつもオヤジが
「もし地震でウチが潰れたら、ほかの家も全部壊れてるよ」
と自慢していたが、この被害の少なさから、それが証明された形となった。
ただし、ふたりの女流棋士がこの家を護ってくれた気もするのだ。ありがたかった。
…あっ、船戸陽子女流二段は? LPSAで指導対局をしていたのだから、大丈夫だろう。しかし自宅のワインはどうなのだろう。瓶は割れていないだろうか。いまは無事でいることが肝心だ。もし割れていても、また買えばいいのだ。
とりあえずLPSAに電話をする。イケメンスタッフ氏が出た。
「あの~、きょうは芝浦サロンやってるんでしょうか」
「きょうは臨時休業とさせていただきます」
やはりそうか。船戸女流二段の担当だっただけに残念だが、船戸女流二段は無事に違いないから、それでよしとする。
それにしても、こんな事態でも将棋を指しに行こうとした私は、何という能天気か。やはり将棋バカなのだろう。
しかし最後にひとつ、心配ごとがあった。出かけているオフクロだ。オフクロは極度の地震嫌いで、ちょっとの揺れでも、すぐオロオロする。地震におどろいて、どこかで倒れてはいないか? 救急車で運ばれてはいないか?
夕方、オフクロがふらりと帰ってきたときは、本当にホッとした。3駅先のデパートに行っていたとき地震に遭ったが、大事には至らなかったようだ。電車が不通だったが途中からタクシーが拾え、帰ってこられたという。電話をしようにも、公衆電話は塞がっていたという。
まあとにかく、一家が無事でよかった。

被災された全国の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
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