一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

「将棋ペン倶楽部」最新号(の拙稿)を読む

2011-03-20 01:01:01 | 将棋ペンクラブ
21日(月・祝)開催予定の「第4回・武蔵の国 府中けやきカップ」が延期になり、当日お邪魔する予定だった私は、予定なしの3連休になってしまった。私が20代だったらこの3日間を旅行にあてただろうが、いまはそこまでの体力はない。
しかし仮にあったとしても、日本全国が喪に服しているこの状況では、旅行をしても、心から楽しめないだろう。まずは日本が元気を取り戻すことが先決である。

先日、「将棋ペン倶楽部」の最新号を読んだ。今回は本文78頁。巻頭対談と8本の随筆、第7回将棋寄席レポート、4コマ漫画等が掲載されている。
私の投稿は今号もなんとか掲載された。タイトルは「天童の美女」。かつてこのブログにアップした「角館の美女」(第3回アップ後に中断中)の姉妹編でもなんでもなく、独立した随筆である。M氏のブログ「将棋ペンクラブログ」では、拙作を「天童で遭遇した将棋の強い謎の美女。筆者の大沢さんは彼女と会話をするが…」と紹介してくれているが、私でさえ、ちょっと中身を読みたくなるリード文だった。
というわけで「天童の美女」は、3年前に私が天童の「人間将棋・桜まつり」で遭遇した美女について書いている。この年の人間将棋の対局者は船戸陽子女流二段と島井咲緒里女流初段だったが、したがって彼女らには言及していない。チラッとゲスト出演しているのみである。
拙稿が将棋ペン倶楽部に載るのは、レポートも含めてこれが17回目だと思うが、その半数以上は過去の思い出話である。過去の話を書くのは、思い出がセピア色になって滋味が増し、内容に深みを与える。今回の話は、できればあと2~3年寝かせておきたかったのだが、女流将棋界の現在の話題に合わせたので、いま投稿するのがタイムリーだと思った。
以前も書いたが、私は投稿した後は、原稿の内容を忘れることにしているので、冊子を読むときは、一読者の視点で読む意識が強い。
そんな目で今回も「天童の美女」を読んだのだった。
さて例によって感想であるが、全3頁の前半はまあ快調に飛ばしているものの、後半になって息切れした感がある。ことに最終頁は「思った」「思う」が6回も出てきて、明らかな推敲不足が窺える。一人称で書いているのだから「思う」のは当たり前で、この言葉を使わずに文章を進めなければいけなかった。
細かいことを書くと、1頁目・3段4行目の「早くも駒を盤に並べ、」は「早くも駒を盤に並べると、」のほうがよい。2頁目・1段14行目の「猛勉強の成果が実ったといえた。」はないほうがいい。また3段目、屋敷伸之九段と橋本崇載七段が道場に訪れるくだりも蛇足で、話のリズムを壊した。これも書かないほうがよかった。
また、タイトルに「天童の美女」と謳っておきながら、彼女の描写が全体的にアッサリしている。クライマックスの3頁目で、もう少し踏み込んだ描写がほしかった。
…と書いているとキリがない。いつものことだが、印刷されてからグジグジ言っても始まらないのだ。次の投稿は気をつけなくちゃと思いつつも、いざその時が来ると、同じ過ちを犯してしまう。この気質は、何とかならないものか。
あとこれはどうでもいい話だが、今号から、冊子に使われている活字が変わった。同じ明朝体だが、数年前のそれに戻った。私は前号までの新聞で使われているような活字のほうが好きだったので、ちょっと残念だった。
LPSA芝浦サロンのあとの食事会では、将棋ペンクラブの会員も多い同席者に、初読時の新鮮味を味わってもらいたいため、この話題だけは出さなかった。今回それを誌上で発表できて、いまは息苦しさから解放された思いである。
さて次回の原稿〆切は5月10日だが、さすがにネタが切れてきた。強引に書こうと思えば書けるが、出尽くした内容なので、新鮮味がない。次回は投稿をパスする予定である。
コメント (3)
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