一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

LPSA芝浦サロン・松尾香織女流初段1・マッカラン勝負ラスト4

2011-03-21 01:14:52 | LPSA芝浦サロン
昨年10月26日のLPSA芝浦サロンは、松尾香織女流初段の担当だった。この日は火曜日だったが、お邪魔した。それは松尾女流初段が担当だったからで、いうまでもないが「マッカラン勝負」を行うためであった。
いままで何回も書いてきたので煩雑を避けるが、このときは2010年の残り4局で私が2勝2敗ならセーフ、1勝以下なら松尾女流初段にマッカラン進呈、という状況だった。
本来なら金曜日に指導を受けたかったのだが、サロンが芝浦に移転して、10月の金曜日は松尾女流初段の登板がなかった。松尾女流初段とは9月も金曜の担当がなかったので、いよいよしびれを切らせた私は、松尾女流初段の担当日に合わせて、お邪魔したというわけであった。もちろんしらばっくれてマッカラン勝負をナシにする手もあったのだが、私は律義なのだ。
仕事を終えて、午後6時に入室。と、手合い係の大庭美樹女流初段のほかに、船戸陽子女流二段も訪れていたのでビックリした。芝浦サロンは事務所とサロンが隣合わせになっているので、担当でない女流棋士が顔を見せることはままある。しかし今回は船戸女流二段が最後まで付き合って?くれ、私は最高に楽しい夜を過ごすことができた。
この日は火曜日なので人が少なく、この回の指導は、ほかにミスター四間飛車氏がいるだけだった。月曜日はマンデーレッスンS、水曜日は蛸島彰子女流五段のレディース教室があるが、火曜日にはほかのレッスンがないため、こんな状況になってしまう。
ちなみに芝浦サロンは、4月から火曜のサロンを廃止することが決まった。ローカル線がダイヤ改正で本数を減らすのに似ているが、客が入らないのだから、廃止もやむを得ない。
では松尾女流初段との将棋を述べる。私の居飛車明示に、松尾女流初段は十八番のゴキゲン中飛車。私は超速☗4六銀を選んだ。松尾女流初段は☖3二金と備える。私は☗7八玉。ここで松尾女流初段は☖5六歩ときた。
松尾女流初段はわりと5筋の歩を早めに交換してくるが、下手が☗7八玉と寄ったときがいちばん多いようだ。実際私もこのタイミングで交換に来られるのがいちばんイヤだ。
実戦は☗5六同歩☖同飛に☗6八銀と上がったのだが、☖7六飛と無条件に1歩を取られては、形勢を損じた。ここは☗6八銀の前に☗3三角成を入れるのが絶対だった。角交換は手順に左の桂を跳ねさせる(☖3三同桂)のがイヤだったのだが、上手も☖3三角と上がっているので、釣りあいは取れている。
本譜は以下☗7七銀☖7四飛☗5八飛☖4二銀☗5四歩☖6二銀と進む。しかし☗5八飛~☗5四歩は突っ張りすぎ。こんなに気負わなくてもよかった。そして次の手が敗着となる。
☗5五銀――。
この手を見た松尾女流初段が、
「飛車浮いたらどうやって銀を助けるんだろ」
とつぶやき、☖7五飛と浮く。これで下手が敗勢になっているので、愕然とした。
すなわち、☗6六銀上は玉が抜かれてしまうので不可。☗4六銀(☗6六銀引)は☖2五飛で、次の飛車成りが受からない。ほかに変化のしようがなく、私はしばし考えて、ここで投了した。
「エエーッ!?」
と松尾女流初段。投了が早すぎますというわけだが、こちらに指す手がないのだから仕方がない。いやはや、マッカランのかかった重大勝負だったのに、なんとも恥ずかしい将棋を指したものだ。
もうこんな将棋は忘れたいが、自戒のために、投了図の駒の配置を記しておこう。

上手・松尾女流初段:1一香、1三歩、2一桂、2三歩、3二金、3三角、3四歩、4二銀、4三歩、6一金、6三歩、7一銀、7二王、7三歩、7五飛、8一桂、8三歩、9一香、9三歩 持駒:歩2
下手・一公:1七歩、1九香、2五歩、2九桂、3六歩、4七歩、4九金、5四歩、5五銀、5八飛、6七歩、6九金、7七銀、7八玉、8七歩、8八角、8九桂、9七歩、9九香 持駒:なし
(☖7五飛まで)

総手数は、わずか30手。きのう放映されたNHK杯戦よりも、少ない手数だった。
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「将棋ペン倶楽部」最新号(の拙稿)を読む

2011-03-20 01:01:01 | 将棋ペンクラブ
21日(月・祝)開催予定の「第4回・武蔵の国 府中けやきカップ」が延期になり、当日お邪魔する予定だった私は、予定なしの3連休になってしまった。私が20代だったらこの3日間を旅行にあてただろうが、いまはそこまでの体力はない。
しかし仮にあったとしても、日本全国が喪に服しているこの状況では、旅行をしても、心から楽しめないだろう。まずは日本が元気を取り戻すことが先決である。

先日、「将棋ペン倶楽部」の最新号を読んだ。今回は本文78頁。巻頭対談と8本の随筆、第7回将棋寄席レポート、4コマ漫画等が掲載されている。
私の投稿は今号もなんとか掲載された。タイトルは「天童の美女」。かつてこのブログにアップした「角館の美女」(第3回アップ後に中断中)の姉妹編でもなんでもなく、独立した随筆である。M氏のブログ「将棋ペンクラブログ」では、拙作を「天童で遭遇した将棋の強い謎の美女。筆者の大沢さんは彼女と会話をするが…」と紹介してくれているが、私でさえ、ちょっと中身を読みたくなるリード文だった。
というわけで「天童の美女」は、3年前に私が天童の「人間将棋・桜まつり」で遭遇した美女について書いている。この年の人間将棋の対局者は船戸陽子女流二段と島井咲緒里女流初段だったが、したがって彼女らには言及していない。チラッとゲスト出演しているのみである。
拙稿が将棋ペン倶楽部に載るのは、レポートも含めてこれが17回目だと思うが、その半数以上は過去の思い出話である。過去の話を書くのは、思い出がセピア色になって滋味が増し、内容に深みを与える。今回の話は、できればあと2~3年寝かせておきたかったのだが、女流将棋界の現在の話題に合わせたので、いま投稿するのがタイムリーだと思った。
以前も書いたが、私は投稿した後は、原稿の内容を忘れることにしているので、冊子を読むときは、一読者の視点で読む意識が強い。
そんな目で今回も「天童の美女」を読んだのだった。
さて例によって感想であるが、全3頁の前半はまあ快調に飛ばしているものの、後半になって息切れした感がある。ことに最終頁は「思った」「思う」が6回も出てきて、明らかな推敲不足が窺える。一人称で書いているのだから「思う」のは当たり前で、この言葉を使わずに文章を進めなければいけなかった。
細かいことを書くと、1頁目・3段4行目の「早くも駒を盤に並べ、」は「早くも駒を盤に並べると、」のほうがよい。2頁目・1段14行目の「猛勉強の成果が実ったといえた。」はないほうがいい。また3段目、屋敷伸之九段と橋本崇載七段が道場に訪れるくだりも蛇足で、話のリズムを壊した。これも書かないほうがよかった。
また、タイトルに「天童の美女」と謳っておきながら、彼女の描写が全体的にアッサリしている。クライマックスの3頁目で、もう少し踏み込んだ描写がほしかった。
…と書いているとキリがない。いつものことだが、印刷されてからグジグジ言っても始まらないのだ。次の投稿は気をつけなくちゃと思いつつも、いざその時が来ると、同じ過ちを犯してしまう。この気質は、何とかならないものか。
あとこれはどうでもいい話だが、今号から、冊子に使われている活字が変わった。同じ明朝体だが、数年前のそれに戻った。私は前号までの新聞で使われているような活字のほうが好きだったので、ちょっと残念だった。
LPSA芝浦サロンのあとの食事会では、将棋ペンクラブの会員も多い同席者に、初読時の新鮮味を味わってもらいたいため、この話題だけは出さなかった。今回それを誌上で発表できて、いまは息苦しさから解放された思いである。
さて次回の原稿〆切は5月10日だが、さすがにネタが切れてきた。強引に書こうと思えば書けるが、出尽くした内容なので、新鮮味がない。次回は投稿をパスする予定である。
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禁断症状

2011-03-19 02:06:07 | 将棋雑記
きょう3月19日は、女流将棋界の大御所、蛸島彰子先生のお誕生日。おめでとうございます。蛸島先生は、言わずとしれた女流棋士第1号。蛸島先生がいらっしゃらなかったら、女流棋界の誕生は、10年は遅れていたでしょう。
これからも女流棋界のリーダーとして、いま以上に棋界を盛り上げていってください。応援しております。

先日、15日未明に多田佳子女流四段の夢を見た、と書いたが、そのあともたて続けに、棋士が登場する夢を見た。
16日は、なぜか山崎隆之七段だった。私が指導対局を受けているのだが、山崎七段が対局中に鼻をピーピー鳴らす。息を吸うときに鳴っている。ただ、それがリアルに聞こえるので、アレッ?と思ったら、自分の鼻が鳴っているのだった。つまりそのときに、目が覚めた。
17日は、船戸陽子女流二段。船戸女流二段は以前夢に出たことがある。ただし展開がエロエロで、その内容をここに書くことはとてもできない。
今回は無難なところで、指導対局を受けている夢だった。船戸女流二段の四間飛車に、私が天守閣四枚美濃に組む。中盤戦、コクのある戦いだったが、そこで目が覚めた。つまり私は3日連続で、指導対局を受けている夢を見たことになる。
LPSA駒込金曜サロンが芝浦に移転し、芝浦サロンと名前を変えてから、どうも芝浦に行くのが億劫になってきた。事実この前のアフターでは私が、
「サロンがあるから行くのであって、サロンがなくなったら行かずに済むから、なくなったほうがいいんじゃないか?」
などと、LPSAの関係者が聞いたら目を剥きそうなジョークを飛ばしたものだった。
ところが先週の東日本大震災で、11日の芝浦サロンは臨時休業となり、1回とはいえ、サロンがなくなってしまった。その途端に、指導対局の夢の連チャンである。これはどう解釈するべきか。
さらに追い打ちをかけるように、18日の芝浦サロンも、引き続き休業となった。前週の船戸女流二段に続いて、今週は島井咲緒里女流初段。ファンランキングの1位と2位の指導対局がつぶれては、さすがに痛かった。
さらにさらに、来週25日(金)の松尾香織女流初段の回も、7時半クローズだという。これは夕方から行く会員には、慌ただしいタイムスケジュールだ。ちょっとこれでは、25日も行く気がしない。
短期間とはいえ、私の悪いジョークが現実のものとなってしまったのだが、いざ直面してみると、17日朝の時点では1回サロンを休んだだけなのに、早くも夢という形で禁断症状が出てきたことを否定できない。それは女流棋士に会いたいのか、将棋を指したいのか…。たぶん半々だろう。これが3週続いたら、どんな症状が出てしまうのかと思う。
金曜日に2週間連続で自宅にいたのは、サロンに通い出してからは、初めて。しかし自分の居場所がないような気がして、どうも落ち着かなかった。
もう芝浦サロンは、私の生活の一部になっていたのだと、改めて感じた次第。
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灯りの消えた街2+あ然

2011-03-18 00:07:04 | プライベート
きのうも夕食後に散歩。2日前にも増して、街は暗かった。夜になって抜き打ちの大規模停電が起こる可能性があったからで、各企業は社員に帰宅をうながし、商店も軒並み店を閉めていたからだ。2日前と比べると、街行く人も消えて、とても夜7時台の東京とは思えなかった。
ただ、海江田大臣だか東京電力だかの話では、停電をできるだけ回避したいとのことだったし、これだけみんなが節電に協力していれば、大規模停電だけはないだろうと思った。
それにしても、企業や家庭の団結心は素晴らしい。これだけの節電意識があれば、真夏の電力消費も、1日ぐらい節電の日を設けて、みんなで抑えることができるのではないか?
現実的な問題では、ひとつ引っかかることがあった。節電はいいが、私はおとといの16日(水)、自宅に届いた「将棋ペン倶楽部」を、今回の散歩先のドトールコーヒーで読むのを楽しみにしていた。しかしいまから向かうそのドトールコーヒーも、もう店仕舞いしているのではないか!?
果たしてその危惧は当たってしまった。目当ての店は閉まっていて、中で店員が掃除をしていた。なんてこった…。
「ドトールコーヒー○○店で将棋ペン倶楽部を読む」が最近の定跡だっただけに、これは予定が狂ったが、まあいい。これから風呂に入って、出てきたらゆっくり読むとしよう。

ところで先ほど自宅で、「えっ!?!?!?」と我が目を疑う発見をしてしまった。ちょっとこれ、考えられない事態である。返品したい。というのは冗談だが、とにかくこれじゃあ、本来の機能を果たさない。どうして台割をしっかり確認しなかったのだろう。ちょっと気が緩んでたんじゃないのか!?
近日中に然るべきところから発表があるだろうが、これはまずい…。まずいと思う。ああ、まずい。
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3月7日のLPSAジャンジャンマンデー(後編)・心ここにあらず

2011-03-17 00:25:12 | LPSAマンデーレッスン
15日(火)の未明、多田佳子女流四段が出てくる夢を見た。私は指導対局を受けていて、終盤まで必勝形だったのだが、☖8七と☗8九玉の局面から☖7七桂と打たれ、トン死を喰らってしまった。さすがにこの将棋は勝ったと思ったのだが…女流棋士はやはり強い。

(きのうの続き)
「いや~、3敗中、2敗が女流棋士からだよ」
とひとりごちると、周りが複雑な反応を示す。私は何かヘンなことを口走っただろうか…?
LPSAマンデーレッスンSスピンオフ「ジャンジャンマンデー」の第4局は、このブログ初登場のN氏と。N氏は競馬業界では有名人で、将棋界でいえばタイトルホルダーのような存在らしい。私は競馬をやらないのでオーラは感じないが、私は有名人に媚びるので、なんとなく緊張してしまう。
N氏はマンデーレッスンの生徒なので、私とはあまり対局したことがない。2年前に2局指したが、私の2敗。ジャンジャンマンデーの星も含め、絶対に負けられない一戦であった。
私の後手番で、☗7六歩☖3四歩☗1六歩☖1四歩☗9六歩☖9四歩☗6八飛。
最近の振り飛車は、どこに振っても角道を止めない。ヒトの家の前を堂々と歩くノラ猫のようで、どうも不愉快だ。☖4二玉に、☗2二角成。☖3二玉と寄られてからだと☖2二同玉と形よく寄られてしまうからだが、この手も一手損のうえに「振り飛車は角交換を避けるべし」のセオリーに反している。それでいて形勢は互角なのだから、困ったものだ。
この日の芝浦サロンは、島井咲緒里女流初段の担当で、相変わらずキュートキュートだった。ショートカットの髪型がよく似合っている。現在は2人の会員が、島井女流初段に指導対局を受けていた。
私は☖2二銀型を活かすべく、☖3五歩~☖4五歩と玉頭位取りを目指したが、伸びすぎだったか。中盤、N氏が☗6一角と打ちこんだ局面の部分図の駒の配置を記す。

先手・N氏:6一角、7六歩、7七桂、8八飛、9六歩、9九香 持駒:歩
後手・一公:5二金、5三歩、6三銀、6四歩、7四歩、8一桂、8二飛、8四歩、9一香、9四歩 持駒:角

ここで私は☖6二角と打ったのだが、N氏が考えているうち、5二の金が、飛車の陰に隠れて浮いていると錯覚した。そこで私は、相手が考慮中にもかかわらず、「まけました」と投了を告げた。しかし盤面をよく見ると☖5二金には☖6三銀のヒモがついており、只取りはされない。
それで私は「イヤイヤ…」と前言を撤回したのだが、一度投了を告げたら、もう負けだろう。N氏はそのまま将棋を続けてくれたが、私の闘志は萎えていた。
以下☗8三歩☖9二飛☗5二角成☖同銀☗8二金☖9三飛☗7二金☖5一角☗8二歩成☖7三桂☗9一と☖8五桂☗同桂☖9一飛☗7三桂成 まで、私の投了となった。
☖8五桂では☖8三飛と寄る予定だったが、それを飛ばして先に☖8五桂と跳ねてしまった。当然☗同桂と取られ、☖同歩は☗同飛で飛車成りが受からない。
仕方のない☖9一飛に☗7三桂成とされ、バカバカしくなって、ここで私は投げた。
戻って、☖6二角では☖7三角と打つのだった。それなら☗8三歩のとき、☖6二飛とこちら側に逃げられる。☖7三角ではなく☖6二角と打ったのは☗7二歩の垂らしがイヤだったのだが、それは二歩で打てない。まったく本局の私は、どうかしていた。
前局の敗戦が尾を引いていたとは言わないが、心ここにあらずの不甲斐ない将棋で、N氏には申し訳なかったと思う。
2局目から4局目まで早く終わったので、5局目が指せることになった。相手はT・K氏。こちらも強敵である。私の最高勝率はむずかしくなったが、最多勝利賞、最多対局賞はまだ視野に入っている。これも負けられない一戦であった。
私の後手番で、☗7六歩☖3四歩☗2六歩☖8四歩☗2五歩☖8五歩☗7八金☖3二金☗2四歩☖同歩☗同飛☖8六歩☗同歩☖同飛。ここで☗3四飛なら角を換わって☖2八歩~☖4五角のつもりだったが、T・K氏は意味不明の☗9六歩。
☖8二飛と引く手も考えたが、☖7六飛と、こちらが先に横歩を取った。と、T・K氏は☗2二角成☖同銀から、☗7二歩☖同銀☗6六角ときた。
これは前日の大野教室で、私が小学生相手に指した手ではないか! この受け方がむずかしい。前日は、ここで☗7七角と打たれたらどうするのだろう、と考えていたので、本局もさして考えず☖3三角と打つ。
ところが☗同角成☖同桂☗2一角と打たれて、受けがないことに気づき、愕然とした。
①☖4二玉は☗3二角成☖同玉☗4二金☖2一玉☗2三歩で先手勝ち。
②☖2三銀は☗同飛成☖同金☗4三角成が、☖7六飛取りと、☗4二銀☖6二玉☗5三馬までの詰めろ。
③☖2三金は☗同飛成☖同銀☗4三角成で、後手がわるい。
④☖2三歩はほとんど考えなかったが、これも☗3二角成☖2四歩☗2二馬の進行となり、純粋な二枚換えで後手敗勢。
とにかく☖7六飛の位置がわるく、どうにも指す手がない。だから私は投了した。
「エッ!?」と驚くT・K氏。「大沢さん、それはちょっと諦めが良すぎるんじゃあ…」
まあ、早い投了のケはあるが、将棋には逆転できる局面とそうでない局面がある。この局面はひじょうに考えやすく、逆転の見込みはまったくない。しかもこれは相手の研究範囲なのだ。
相手を長い間いい気持ちにはさせない、というのが私のポリシーなので、ここで投げるのが最良と判断した。
総手数25手。これは私がマジメに指した将棋の中で、最短手数だった。前局に続いて本局もだらしのない手を指して、相手の方には申し訳ないことをしたと思う。
感想戦はなし。もうやることがないからボーッとする。と、先ほど島井女流初段の指導を受けていたふたりが、今度はお互いを相手に、将棋を始めた。島井女流初段も横に座り、その将棋を見守る。自分の席の横に女流棋士がひっそりとすわる…。私が対局者だったら、ドキドキしてしまうだろう。
そういえばこの前、ドイツ人のFさんと将棋を指したとき、植山悦行七段が私の横に座ったが、あのときはありがたくも何ともなかった。
第1期ジャンジャンマンデーが終了。私の成績は○○○○○○●●○○●●●の、8勝5敗だった。私は連勝連敗タイプなのだ。
受付では、船戸陽子女流二段が中心となって、三賞を確認している。今回は連勝賞やブービー賞も設けられ、かなりの人に賞品がいくことになりそうだ。
しかし、表彰式は次回へ持ち越しとなった。入賞に確信のある人は、賞品を受け取るため、次回のジャンジャンマンデーにも来る必要が生じたわけで、ここらあたりは、マンデー講師がしたたかだった。
お開きのあとは、Hak氏の案内で、とある洋風居酒屋へ向かう。同席はミスター中飛車氏。これは異色の組み合わせだ。最近は芝浦サロンの帰りにどこかへ寄るのが定跡になっているが、人が変われば話題も変わり、おもしろい。
その席で、Hak氏が中飛車氏に将棋ペンクラブへの入会を勧誘する。将棋ペンクラブは商売ッ気がなく、積極的に会員を募集しない。そこにひとり気を吐いているのが若き幹事のHak氏で、彼の営業で何人の将棋ファンがペンクラブに入会したか分からない。
今回も中飛車氏の入会を取りつけ、「やったあ!!」と小躍りしていた。Hak氏の熱意には本当に頭が下がる。
居酒屋では3人均等に飲み食いしたと思うが、Hak氏に多くおカネを出していただき、恐縮した。いつもいつも、ありがとうございます。
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