一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

3月11日のLPSA芝浦サロンは臨時休業・大地震に遭う

2011-03-12 00:05:42 | プライベート
きのう平成23年3月11日(金)のLPSA芝浦サロンは、船戸陽子女流二段の担当だった。しかし東北地方太平洋沖地震で、まさかの休止となった。前代未聞の出来事である。

この日私は工場(こうば)で仕事をしていたが、午後3時少し前、工場内でガタガタと揺れを感じた。じきに収まるだろうと楽観していたら、グラグラと大きくなるばかり。い、いやこれは、いままで感じたことのない揺れである。
焦って外に出ると落下物に当たったりして危ないとは思ったが、中にいるほうがもっと危ないと思った。
オヤジはやめろと言ったが私は外へ出る。電線が大きく揺れている。塀に取りつけられている消火器のボックスがバタン、と前に落ちた。これは大変な事態だ。工場を振り返ると、工場とその階上のおじ一家の住まいが、震えていた。
さらに揺れは激しくなり、もう立っていられない。ガタガタガタガタ! 工場はさらに大きく揺れ、私はこのとき、工場が壊れるかと思った。本当にそう思った。
ほんのわずか、揺れが小さくなった。工場は何とか耐えてくれた。最悪の事態は免れたようだ。
しかし地震はまだ続いている。工場に隣接する自宅の前では、どこかの主婦が小さい子供をふたり抱いて、うずくまっていた。「大丈夫だよ、大丈夫だからね」とか言っている。私もその場でうずくまった。
顔を上げると庭の桃の木がゆらゆらと揺れていた。こんな揺れは見たことがない。私もその子供に「大丈夫だよ」と言う。しかしこれは自分に言い聞かせたものだ。あたりには「ただいま地震がありました」との放送が流れている。大通りにはご婦人方が集まっている。
やがて少しずつ、揺れが収まってきた。私は工場の向かいにある駐車場に入る。ここなら上は空だ。オヤジとおじもここに「避難」していた。まだ揺れは続いていて、めまいを起こしたと錯覚する。
かなり揺れが小さくなってきた。私は工場裏から自宅裏に向かい、そろそろと家に上がる。
自室(らしき部屋)に入ると、まあ元からゴミの山だったせいもあるが、それほどモノは崩れていなかった。ただ、家具の上に置いてある、松尾香織女流初段からいただいたムーミンのカップが入った手提げ袋が、落下していた。
ひととおり各部屋を見て回る。とくに変化はない。台所も無事だ。1枚の食器も割れていなかった。
2階に上がると、中倉宏美女流二段の直筆色紙が、これまた落下していた。ほかにもいくつか落ちたものはあるが、損壊物はなかった。無事だった…。
この家は戦後すぐに建てられたもので見かけはボロいが、各所で太い柱を使っているので、基礎はしっかりしている。その辺に建てられている家よりよほど頑丈で、いつもオヤジが
「もし地震でウチが潰れたら、ほかの家も全部壊れてるよ」
と自慢していたが、この被害の少なさから、それが証明された形となった。
ただし、ふたりの女流棋士がこの家を護ってくれた気もするのだ。ありがたかった。
…あっ、船戸陽子女流二段は? LPSAで指導対局をしていたのだから、大丈夫だろう。しかし自宅のワインはどうなのだろう。瓶は割れていないだろうか。いまは無事でいることが肝心だ。もし割れていても、また買えばいいのだ。
とりあえずLPSAに電話をする。イケメンスタッフ氏が出た。
「あの~、きょうは芝浦サロンやってるんでしょうか」
「きょうは臨時休業とさせていただきます」
やはりそうか。船戸女流二段の担当だっただけに残念だが、船戸女流二段は無事に違いないから、それでよしとする。
それにしても、こんな事態でも将棋を指しに行こうとした私は、何という能天気か。やはり将棋バカなのだろう。
しかし最後にひとつ、心配ごとがあった。出かけているオフクロだ。オフクロは極度の地震嫌いで、ちょっとの揺れでも、すぐオロオロする。地震におどろいて、どこかで倒れてはいないか? 救急車で運ばれてはいないか?
夕方、オフクロがふらりと帰ってきたときは、本当にホッとした。3駅先のデパートに行っていたとき地震に遭ったが、大事には至らなかったようだ。電車が不通だったが途中からタクシーが拾え、帰ってこられたという。電話をしようにも、公衆電話は塞がっていたという。
まあとにかく、一家が無事でよかった。

被災された全国の皆様に、心よりお見舞い申し上げます。
コメント (6)
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