一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

LPSA芝浦サロン・船戸陽子女流二段4・逆転

2011-03-24 00:56:09 | LPSA芝浦サロン
昨晩放映された日本テレビ系「(オリコンで)1位をとったアノ歌コンサート」はよかった。元おニャン子クラブの城之内早苗がしっとりとしていて、私のイチオシだった。AKB48もよかった。日本全体が沈んでいる中、日本を元気にするには、歌の力が必須であろう。

昨年11月8日のLPSA芝浦サロンは、船戸陽子女流二段の担当だった。この日は月曜日だったが、女流棋士ファンランキング1位の登板なので、芝浦に出向く。
その船戸女流二段は、5日の黒とはうって変わって、全身ピンクのいでたちだった。LPSAのファッションリーダーだけあって、何でも自在に着こなす。
挨拶もそこそこに対局開始。船戸女流二段とは飛車を振ったり振られたりだが、本局は私が四間飛車に振った。船戸女流二段は早々と銀を腰掛け、天守閣美濃に組む。居飛車穴熊と並び、これも船戸女流二段の十八番である。私も高美濃に組み、着々と戦機をうかがう。
私が☗7五歩と伸ばすと、船戸女流二段は☖9三桂と、こちら側から活用する。そして☖8五桂。これに私が☗8八角と引いたので、(たしかこの手の時だったと思うが)すかさず船戸女流二段から待ったが入った。
「ここは☗8六角。☗8八角ならこっちが簡単によくなるよ」
そう言って、船戸女流二段が私の角を「8六」にやる。
「ええっ、そうなんですか? でも待ったはできませんから」
「できなくても何も、角を引くのは悪手なの。私はこの将棋を何百局も指してるんだから」
5日の松尾香織女流初段戦で、私は早投げを連発した。局面によってはまた早い投了もあり得るので、船戸女流二段も必死だ。そんなやりとりを、手合い係(だったと思う)の神田真由美女流二段が笑いながら見ている。そこには松尾女流初段もいたような気がする。
「それでも待ったはできません」
「ダメよ」
「いえいえ、この手で勝敗が決するほど、将棋は簡単じゃないです」
結局私の指し手を通して☗8八角と引いたが、上手は☖6五歩~☖8八角成~☖6五銀と駒を捌いて、やはり十分になった。
しかしここから私が粘る。馬を2枚作り、敵飛を3一に追いやる。私は☗4六馬と引いて一安心。上手はどこかで☖2五歩と突く手があったはずだが、そうならなかったのは、2四の空間を開けるのに抵抗があったからだろう。
私の駒損ではあるが、私は6二に作ったと金を5二~5三~5四と活用し、船戸女流二段の攻めを待つ。このあたりは、私の持ち味が良く出ている。船戸女流二段と指すときはアガッテしまうが、不思議と将棋は落ち着いていることが多い。船戸女流二段とじっくり将棋を楽しみたいとの思いが、気持ちに余裕を持たせているのだ。
一方の船戸女流二段、序盤で優勢になったのに流れはわるく、こんなはずではない、の思いもあったろう。表情が曇ってきた。船戸女流二段は腕時計もピンクだ。きょうはピンク一色のコーディネートというわけだ。芸能人と見紛う。
船戸女流二段は端攻めに望みをかけるが、王が1二なので、迫力もいまひとつだ。このやりとりをうまく逆用して形勢逆転、私がハッキリと優勢になった。
チャンバラは端の周辺に絞られたので、ここまでくれば考えやすい。私はなおも船戸女流二段の手に乗って指し、優勢が勝勢に変わった。
☗1五歩☖同王☗2七銀。高美濃囲いの銀を攻めに参加させて、上手王を受けなしに追い込んだ。この局面をしばらく眺めていた船戸女流二段が、「負けました」と悔しそうに投了した。
私はケラケラ笑い、
「私が勝ちましたよ、この将棋。だから将棋は最後まで分からないって言ったでしょ?」
と神田女流二段に告げる。対して船戸女流二段の不機嫌そうな顔。まあ、それはそうだろう。自分が情けをかけて待ったを許してやったのに、それを拒否されて将棋も負けてしまったのだから…。
船戸女流二段は笑顔が素敵だが、怒った顔もまたかわいらしい。などとホレボレしている場合ではない。このままではまずいな、と思った。
(つづく)
コメント (3)
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