一公の将棋雑記

将棋に関する雑記です。

灯りの消えた街

2011-03-15 00:43:42 | プライベート
きのうはもちろん仕事をしたけれども、心ここにあらず、どこか浮ついていた。
夕食後の、オヤジとオフクロと私の会話。
「このまんまだったら、どっちみち大相撲は中止になってたかもしれないなあ」
とオヤジ。「地震があったのが金曜日だから…」
「でも名古屋場所だから、やることはやったんじゃないの?」
と、これは私。
「おおそうか、そうだな」
「でもきょうは将棋のタイトル戦やってるよ」
と、再び私。「なにしろ地震の日だって対局やってたから」
「……!?」
「順位戦。最終局だったから」
私がそう言うとオヤジは苦笑して、
「へっ、何をやってんだか」
と吐き捨てた。
「囲碁のほうは封じ手をして後日指し継ぐことにしたらしい。将棋のほうは少し休んで、最後までやった」
「地震のあった日? 11日? …もう、こうなんだね」
と、今度はオフクロが両腕を前に出す。地震が起こっても、将棋しか目に入っていない、というゼスチャーだ。オヤジもそれをマネした。
オヤジは将棋を指すし、将棋界のシステムも一応は知っている。棋士は将棋を指すのが仕事だと理解もしているが、それでいてこの反応だ。しかしかくいう私も、実はオヤジと似た意見だった。
将棋は文化なんだから、日本の災害時に将棋を指しても何ら構わない。それが仕事なんだし。それは分かっているのだが、何か釈然としないものがあった。まあ、将棋を指しておカネがもらえる団体への、貧乏人の僻みと言われればそれまでだが。
ただ、棋士という職業は、日本が平和であり、幸せであって初めて成り立つ職業だと思った。

夕食後は、いつもの散歩。ところが自宅を出たときから雰囲気が妙だった。計画停電の余波もあるのだろうが、玄関に灯りをともしている家が少なかった。もっとも、それはウチもそうだったが。
駅に着くと、JRはもちろん営業していたが、私鉄のほうの改札口は、シャッターが下ろされていた。反対側、メインの改札口は開いていたのかもしれないが、こんなことは初めてである。
駅を抜けて、いつもより灯りのない、ひっそりとした街を歩く。某巨大公園に入る。と、出口付近に長~い行列ができていたのでビックリした。
その先を辿ってゆくと、思ったとおり私鉄駅に通じていた。列車の本数を間引いているので、入場制限をしていたのだ。これも初めてみる光景である。東北の被災地の惨状といい、まるで戦時中のようだ。
そういえば政府は、「不要不急の外出はやめましょう」と述べていた。これも戦時中の、国鉄のスローガンだった。なんだか、山田太一の「終りに見た街」の世界に迷い込んだようだった。
大通りも、まだ午後7時半だというのに、暗い。どこもかしこもシャッターを閉めている。パチンコ屋もだ。開いている店も、ひっそりと営業しているふうだ。クルマの行き来も少ない。
地方に旅行に行って、シャッターの閉まった夜の街を徘徊することがあるが、それともちょっと雰囲気が違うのは、ここにはまだ、人が大勢いるからだろう。
いつも行くディスカウントショップも、もう閉まっていた。節電のせいもあろうが、食物が売り切れてしまったのではなかろうか。
仕方がないので引き返す。「TSUTAYA」は開いていたので、入る。しかし気のせいかもしれないが、いつもより雑誌の品揃えが悪い気がした。月曜発売の「週刊現代」「週刊ポスト」はあったのに、「週刊プレイボーイ」がない。プレイボーイはAKB48の大島優子が表紙ではあるが、だから売り切れたとも思えない。やはり地震の影響で、入荷がなかったのではなかろうか。
私は不審に思いながら、リオのカーニバルのグラビアが載っている、週刊現代だけを買った。
帰り道、いま自分は、戦争の真っ只中にいるのだと思った。なんでこんなことになってしまったんだろう。4日前には想像もしなかった…。私自身も、東日本巨大地震の被害に遭っていたのだと思った。
コメント (2)
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