この大木、こんなに青葉が生い茂っていただろうか。それにこの建物…。私がしげしげと大木を眺めていると、傍らの駐車場から降りてきた女性が、私に声を掛けた。私はかくかくしかじかと事情を説明する。
彼女は保母さんで、彼女がいうには、このケアハウスは、2年前に増築したものだった。あすなろグループは多角経営をしているのだ。しかし増築とは、なるほど、大木と建物のイメージが重ならなかったわけだ。あすなろ保育園はいままでどおり、この奥にあるらしい。
そして案の定、「寄って行きませんか?」と誘われてしまった。こういうお誘いは判断がむずかしい。本音か建前か、相手の真意を測りかねるところがあるからだ。しかし私は、お言葉に甘えることにした。
保育園の事務室に通されると、アイスコーヒーを出された。もう喉がカラカラだったので、ありがたくいただく。冷たくて、美味かった。
園児はきょうも元気である。保母さんは、園長に会っていってくれ、という。またか。しかしこれだけ保育園にお邪魔したら、一度は会わねばなるまい。
20分近く待つと、園長先生がいらした。
私たちは初対面なのだが、園長先生はテレビのコメンテーターのような雰囲気で、初見の感じがしない。アガッテいた私は、「お久しぶりです!」と口走っていた。
以下、なんとなくチグハグな会話となる。いくら15年近く前にここの園児を写真に撮ったとはいえ、なんでそれが再訪問の理由になるのか。あなたは一体何者なんです? と、園長先生の顔に書いてある。
私も退散したい気分になったが、逃げるタイミングが難しい。新たに出されたウーロン茶と和菓子も気になるところである。
名刺交換になったが、私はそんなもの携行していない。あなた…。旅行とはいえ、名刺はつねに用意しておくものですよ、と、園長先生の目がそう言っている。まったく、緊張の極みだ。なんでこんな展開になったのか。
その後もいろいろ話すが、大木の前の廃線跡(サイクリングロード)は、数年後に川が通るとのこと。この道は園児の散歩コースだけに園長先生も残念そうだったが、近くに流れる川は大雨のたびに氾濫し、何かの対策に迫られていたのだという。
廃線跡マニアの私としては残念だが、川が通ることで市民の生活が便利になるなら、それはやむを得ない。ただそれに伴い、水難事故と隣り合わせにもなるわけで、園児にはくれぐれも気をつけてほしいと思う。
ウーロン茶と和菓子をいただき、恐縮しながらあすなろ保育園を辞した。園長先生は、毎年出雲大社とこの保育園に来てください、といったが、出雲大社はともかく、この保育園に来ることはもうない気がした。
廃線跡探訪を再開する。しばらく歩くと、プラットホームが見えてきた。旧出雲高松駅だ。しかしこの先の廃線跡がはっきりしない。そこは河川工事の真っ最中で、私は迂回を余儀なくされた。
また廃線跡らしき道に戻る。またプラットホームが見えてきた。旧荒茅駅だ。廃線跡は、駅のホームが遺っている場合が多い。
そこからしばらく歩くと、またも行く手を遮られ、道を外れた。もう、何が何だか分からない。
見覚えのある道に出た。しかし何かが違う。向こうに見えるのは大社駅か? 果たしてそうだったが、その手前の廃線跡がスッポリなくなり、小公園になっていた。何か、駅施設が妙に場違いで、こちらが後から出来たような趣さえある。園長先生や保母さんも言っていたが、大した変わりようだ。
駅構内にお邪魔するが、SL(D51)は静態保存されていた。駅本屋に回り、改札を抜け、正面に出る。これが旧大社線・大社駅舎だ。神殿風の重厚な造りで、日本全国の駅舎の二十指に入る名駅である。国の重要文化財であり、近代化産業遺産でもある。いっちゃあなんだが、出雲大社をお参りするより感激する。
しばし「拝観」したあと、向かいの出雲そば屋に入る。ここで頼むは出雲そばだ。三段重ねの小ぶりな漆器にそばが入っている、いわゆる割子そばというやつである。器の数は多くできるが、私は基本の「三段」とした。
出雲そばは、そばの香りも高く、うまかった。そして何か、出雲大社に来た目的をほぼ達成した気分になった。
しかし、出雲大社のお参りだ。私は出雲大社へ向かう。目の前の駅通りをまっすぐ歩けば、そこに着く。
出雲大社に近付くにつれ、左右に土産物屋が多くなる。右手に洋館風の建物が見えてきた。一畑電気鉄道・出雲大社前駅だ。JR大社駅舎が「和」なら、こちらは「和洋折衷」だ。全国の民鉄ローカル線が相次いで廃止になる中、一畑電鉄はきょうも健気に走る。帰りに利用しようと思う。
このまま出雲大社にお邪魔したいが、その前に旅行貯金である。出雲大社ではかつて、「大社神門簡易郵便局」で貯金をしたことがある。「ほかに郵便局がない場合を除き、同じ郵便局で貯金はしない」は、我がルールブックの第3項にある。
出雲大社には、ほかにも郵便局があったはずだ。私は大通りを外れ、左に舵を取る。けっこう歩くと、郵便局が見えてきた。私は中に入り、小銭をかき集め、窓口に出す。「大社郵便局・628円」。
ところで6月28日は、俳優・沖雅也の命日だ。あれから30年も経ってしまった。
そのまま引き返すと遠回りになるので、先へと進む。喉は相変わらずカラカラだ。郵便局内に冷水機があるとフンでいたのだが、なかったのは誤算だった。こんなことならさっきのコンビニで、紙パックのウーロン茶(1リットル103円)を調達しとくんだった。
急な坂道を上りきると、出雲大社の正門前に出た。
(つづく)
彼女は保母さんで、彼女がいうには、このケアハウスは、2年前に増築したものだった。あすなろグループは多角経営をしているのだ。しかし増築とは、なるほど、大木と建物のイメージが重ならなかったわけだ。あすなろ保育園はいままでどおり、この奥にあるらしい。
そして案の定、「寄って行きませんか?」と誘われてしまった。こういうお誘いは判断がむずかしい。本音か建前か、相手の真意を測りかねるところがあるからだ。しかし私は、お言葉に甘えることにした。
保育園の事務室に通されると、アイスコーヒーを出された。もう喉がカラカラだったので、ありがたくいただく。冷たくて、美味かった。
園児はきょうも元気である。保母さんは、園長に会っていってくれ、という。またか。しかしこれだけ保育園にお邪魔したら、一度は会わねばなるまい。
20分近く待つと、園長先生がいらした。
私たちは初対面なのだが、園長先生はテレビのコメンテーターのような雰囲気で、初見の感じがしない。アガッテいた私は、「お久しぶりです!」と口走っていた。
以下、なんとなくチグハグな会話となる。いくら15年近く前にここの園児を写真に撮ったとはいえ、なんでそれが再訪問の理由になるのか。あなたは一体何者なんです? と、園長先生の顔に書いてある。
私も退散したい気分になったが、逃げるタイミングが難しい。新たに出されたウーロン茶と和菓子も気になるところである。
名刺交換になったが、私はそんなもの携行していない。あなた…。旅行とはいえ、名刺はつねに用意しておくものですよ、と、園長先生の目がそう言っている。まったく、緊張の極みだ。なんでこんな展開になったのか。
その後もいろいろ話すが、大木の前の廃線跡(サイクリングロード)は、数年後に川が通るとのこと。この道は園児の散歩コースだけに園長先生も残念そうだったが、近くに流れる川は大雨のたびに氾濫し、何かの対策に迫られていたのだという。
廃線跡マニアの私としては残念だが、川が通ることで市民の生活が便利になるなら、それはやむを得ない。ただそれに伴い、水難事故と隣り合わせにもなるわけで、園児にはくれぐれも気をつけてほしいと思う。
ウーロン茶と和菓子をいただき、恐縮しながらあすなろ保育園を辞した。園長先生は、毎年出雲大社とこの保育園に来てください、といったが、出雲大社はともかく、この保育園に来ることはもうない気がした。
廃線跡探訪を再開する。しばらく歩くと、プラットホームが見えてきた。旧出雲高松駅だ。しかしこの先の廃線跡がはっきりしない。そこは河川工事の真っ最中で、私は迂回を余儀なくされた。
また廃線跡らしき道に戻る。またプラットホームが見えてきた。旧荒茅駅だ。廃線跡は、駅のホームが遺っている場合が多い。
そこからしばらく歩くと、またも行く手を遮られ、道を外れた。もう、何が何だか分からない。
見覚えのある道に出た。しかし何かが違う。向こうに見えるのは大社駅か? 果たしてそうだったが、その手前の廃線跡がスッポリなくなり、小公園になっていた。何か、駅施設が妙に場違いで、こちらが後から出来たような趣さえある。園長先生や保母さんも言っていたが、大した変わりようだ。
駅構内にお邪魔するが、SL(D51)は静態保存されていた。駅本屋に回り、改札を抜け、正面に出る。これが旧大社線・大社駅舎だ。神殿風の重厚な造りで、日本全国の駅舎の二十指に入る名駅である。国の重要文化財であり、近代化産業遺産でもある。いっちゃあなんだが、出雲大社をお参りするより感激する。
しばし「拝観」したあと、向かいの出雲そば屋に入る。ここで頼むは出雲そばだ。三段重ねの小ぶりな漆器にそばが入っている、いわゆる割子そばというやつである。器の数は多くできるが、私は基本の「三段」とした。
出雲そばは、そばの香りも高く、うまかった。そして何か、出雲大社に来た目的をほぼ達成した気分になった。
しかし、出雲大社のお参りだ。私は出雲大社へ向かう。目の前の駅通りをまっすぐ歩けば、そこに着く。
出雲大社に近付くにつれ、左右に土産物屋が多くなる。右手に洋館風の建物が見えてきた。一畑電気鉄道・出雲大社前駅だ。JR大社駅舎が「和」なら、こちらは「和洋折衷」だ。全国の民鉄ローカル線が相次いで廃止になる中、一畑電鉄はきょうも健気に走る。帰りに利用しようと思う。
このまま出雲大社にお邪魔したいが、その前に旅行貯金である。出雲大社ではかつて、「大社神門簡易郵便局」で貯金をしたことがある。「ほかに郵便局がない場合を除き、同じ郵便局で貯金はしない」は、我がルールブックの第3項にある。
出雲大社には、ほかにも郵便局があったはずだ。私は大通りを外れ、左に舵を取る。けっこう歩くと、郵便局が見えてきた。私は中に入り、小銭をかき集め、窓口に出す。「大社郵便局・628円」。
ところで6月28日は、俳優・沖雅也の命日だ。あれから30年も経ってしまった。
そのまま引き返すと遠回りになるので、先へと進む。喉は相変わらずカラカラだ。郵便局内に冷水機があるとフンでいたのだが、なかったのは誤算だった。こんなことならさっきのコンビニで、紙パックのウーロン茶(1リットル103円)を調達しとくんだった。
急な坂道を上りきると、出雲大社の正門前に出た。
(つづく)
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