1日、2024年度の引退者、フリークラス転出者が発表された。
では、見てみよう。
■引退
福崎文吾九段(フリークラス規定)
長沼洋八段(フリークラス規定)
有森浩三八段(フリークラス規定)
木下浩一七段(フリークラス規定)
増田裕司七段(フリークラス規定)
斎田晴子女流五段(女流棋士引退規定)
■フリークラス転出者
島朗九段
小林裕士八段
平藤眞吾七段
高野秀行七段
四段デビューがいれば引退者がいるのが常だが、さびしいものがある。
福崎九段はタイトル2期。圧巻は1986年・第25期十段戦で、米長邦雄十段から4勝2敗でタイトルを奪取した。
その原動力となったのは振り飛車穴熊で、4勝中3勝がこれ。第2局、第5局、第6局はどれも畢生の名局で、福崎穴熊を全国区にした。将棋ファンなら一度は並べるべきである。
長沼八段は「駒取り坊主」の異名を持つ。その長沼八段を有名にしたのは、2007年度の第57回NHK杯。羽生善治三冠に会心の指し回しで勝ち、準決勝に進出した。
余談ながら、この翌年から羽生九段は、NHK杯4連覇を達成する。それだけに、よけいにこの勝利が光った。
長沼八段は第82期にC級2組から降級したのだが、その前にフリークラスに転出していれば、現役生活は伸びた。だが長沼八段は、順位戦を指すことにこだわり、殉じた。その心意気に拍手である。
有森八段は、第2回(1977年)の中学生名人。当時の中学生名人はひときわ権威があり、私たち将棋仲間では、ヒーロー的存在だった。
プロデビュー後は、四段ながら王将戦、十段戦のリーグに入り、力のあるところを見せた。
有森八段が健康体だったら、タイトル戦に登場していたと思われる。
木下七段においては、とくに思い出がない。申し訳ない。
増田七段は、私に容姿が似ている。フリークラス10年目の昨年度は、あわや順位戦復帰か、の活躍を見せたが、後半に大失速し、大魚を逸した。
斎田女流五段は、「ミス四間飛車」の異名を持つ、振り飛車の名手。その斎田女流五段が、なぜ引退になったか分からない。ただここ数年は成績が悪かったので、その累積で強制引退となったと思われる。
斎田女流五段が女流名人を保持していたころ、私は千駄ヶ谷で、斎田女流名人にバッタリでくわしたことがある。
斎田女流名人は黄色いコートを着ていて、ひときわ輝いていた。私が「あ、あ……」と口ごもっていると、斎田女流名人は静か微笑んだものだ。美しいひとだと思った。
その後、私は何かの会で、斎田女流五段に指導対局を受けた。もちろん私が吹っ飛ばされたが、いまでは懐かしい思い出である。
フリークラスは4名転出。
島九段は言わずと知れた、初代竜王。ほかの「花の55年組」と同じく、徐々にクラスを下げたが、C級2組では、まだ降級点を取っていなかった。ゆえにまだ順位戦の寿命はあったのだが、持ち時間の長い対局に堪えられなかったと推察する。
小林八段、平藤七段、高野七段は、順位戦C級2組で降級点2につき、現役寿命延命のため、転出したと思われる。
ただ、小林八段はC級1組のイメージがあったから、いつの間にか崖っぷちにいたことに驚いた。
もっとも平藤七段と高野七段も、第81期にC級1組から降級し、第82期、第83期はC級2組で降級点を取ってしまった。戦いの緊張感が切れると、それを回復させるのは難しいようだ。
引退者の皆様にはお疲れ様でしたと言いたいし、フリークラスの皆様には、普及をよろしくお願いします、と言いたい。
では、見てみよう。
■引退
福崎文吾九段(フリークラス規定)
長沼洋八段(フリークラス規定)
有森浩三八段(フリークラス規定)
木下浩一七段(フリークラス規定)
増田裕司七段(フリークラス規定)
斎田晴子女流五段(女流棋士引退規定)
■フリークラス転出者
島朗九段
小林裕士八段
平藤眞吾七段
高野秀行七段
四段デビューがいれば引退者がいるのが常だが、さびしいものがある。
福崎九段はタイトル2期。圧巻は1986年・第25期十段戦で、米長邦雄十段から4勝2敗でタイトルを奪取した。
その原動力となったのは振り飛車穴熊で、4勝中3勝がこれ。第2局、第5局、第6局はどれも畢生の名局で、福崎穴熊を全国区にした。将棋ファンなら一度は並べるべきである。
長沼八段は「駒取り坊主」の異名を持つ。その長沼八段を有名にしたのは、2007年度の第57回NHK杯。羽生善治三冠に会心の指し回しで勝ち、準決勝に進出した。
余談ながら、この翌年から羽生九段は、NHK杯4連覇を達成する。それだけに、よけいにこの勝利が光った。
長沼八段は第82期にC級2組から降級したのだが、その前にフリークラスに転出していれば、現役生活は伸びた。だが長沼八段は、順位戦を指すことにこだわり、殉じた。その心意気に拍手である。
有森八段は、第2回(1977年)の中学生名人。当時の中学生名人はひときわ権威があり、私たち将棋仲間では、ヒーロー的存在だった。
プロデビュー後は、四段ながら王将戦、十段戦のリーグに入り、力のあるところを見せた。
有森八段が健康体だったら、タイトル戦に登場していたと思われる。
木下七段においては、とくに思い出がない。申し訳ない。
増田七段は、私に容姿が似ている。フリークラス10年目の昨年度は、あわや順位戦復帰か、の活躍を見せたが、後半に大失速し、大魚を逸した。
斎田女流五段は、「ミス四間飛車」の異名を持つ、振り飛車の名手。その斎田女流五段が、なぜ引退になったか分からない。ただここ数年は成績が悪かったので、その累積で強制引退となったと思われる。
斎田女流五段が女流名人を保持していたころ、私は千駄ヶ谷で、斎田女流名人にバッタリでくわしたことがある。
斎田女流名人は黄色いコートを着ていて、ひときわ輝いていた。私が「あ、あ……」と口ごもっていると、斎田女流名人は静か微笑んだものだ。美しいひとだと思った。
その後、私は何かの会で、斎田女流五段に指導対局を受けた。もちろん私が吹っ飛ばされたが、いまでは懐かしい思い出である。
フリークラスは4名転出。
島九段は言わずと知れた、初代竜王。ほかの「花の55年組」と同じく、徐々にクラスを下げたが、C級2組では、まだ降級点を取っていなかった。ゆえにまだ順位戦の寿命はあったのだが、持ち時間の長い対局に堪えられなかったと推察する。
小林八段、平藤七段、高野七段は、順位戦C級2組で降級点2につき、現役寿命延命のため、転出したと思われる。
ただ、小林八段はC級1組のイメージがあったから、いつの間にか崖っぷちにいたことに驚いた。
もっとも平藤七段と高野七段も、第81期にC級1組から降級し、第82期、第83期はC級2組で降級点を取ってしまった。戦いの緊張感が切れると、それを回復させるのは難しいようだ。
引退者の皆様にはお疲れ様でしたと言いたいし、フリークラスの皆様には、普及をよろしくお願いします、と言いたい。