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『ウィーンから来た魔術師』

2016-04-03 | (ちょっと休憩)ほんとに休憩
神経内科の先生のブログで紹介されていた本をamazonで入手し新幹線の移動の中で読むことができました。
『ウィーンから来た魔術師〜精神医学の先駆者 メスマーの生涯』
中古マーケットから購入しましたが、いたみは少なく、幸い帯がついていました。帯には「天才治療家か、大ペテン師か?」とあります。

メスマー医師の生涯を紹介する本ですが、(医療関係者なら基本的なことやその名前くらいは知っている)フロイトにつながっていく精神医学の歴史を知るのに役立ちました。

感想としては「被害者意識と自己主張のつよいオジさん、周囲の無理解や批判のなか、がんばってたな・・・」とじんわりくるものがあります。

お話はどれくらいの時代かといいいますと・・・・

1717年 トルコ人たちが天然痘に感染するのを防ぐため、健常者に対して予防接種を目撃したメアリー・ワートレー・モンタギュー夫人はイギリスに帰国後、すぐにこの方法を提唱。

しかし、医学の指導的な立場の専門家たちがこれにこぞって反対。実際に予防接種を採用した医師らが予防に成功したため、かるく罹らせて重症化を防ぐという考え方は次第に受け入れられていきました。(しかし、大陸の医師は否定し続けたので、免疫学において遅れをとることになった、という話)

この論争のあった1767-1768年頃の医療は、多くの病気に対して放血、発砲軟膏、一般的な鎮痛剤に麻薬、糖尿病にサッサフラスという時代。

さて。メスマー夫妻の家に20代女性(フランツル)が同居しており、この女性は心身症で、周期的にヒステリーの症状に苦しんでいました。
(※現在は"ヒステリー"という名称は使われていません)

"ヒステリー熱が原因となって次のような症状が発生する。痙攣、嘔吐発作、腸炎、排尿困難、歯と耳の疼痛、うつ状態、病的幻覚、硬直、卒倒、一時的な盲目、窒息感、麻痺の発作(これは何日も続く)、その他重篤な症候」という症状がありました。痙攣が頂点に達すると意識を失い、しばらくして再び規則的に呼吸し始め意識をとりもどします。

この症状や発症段階についての知識、治療法を学んでいたメスマーは、伝統的な治療(瀉血や軟膏)を処方しましたが、彼女の病気は全く治りません

長期にわたり診察し、臨床記録ををつけるなかで、その発作には周期性があることに気づきます。"分利(激烈な発作、クリーゼ)"に始まり緩解して終わる、それがくり返されます。

この女性に磁石を使った治療を行うなかで、独自の理論<動物磁気説>にいきつきます。
しかし、当時彼が提唱した<動物磁気説>(動物磁気を自由にコントロールすることで患者の難治性疾患を治療することが出来る)には科学的根拠がないと医学界や知識層から批判を受けました。

メスマー医師は最初の評価の段階で、器質的なものか機能的なものかを整理。
前者ならば通常の医療の医師を受診するよう紹介し、後者について自ら組み立てた治療を試みています。

(他のオカルトさんと異なるのは「なんでも●●」という大風呂敷ではないところ)

この本の中で紹介されているエピソードとして印象的なのは「第8章 盲目のピアニスト」です。
Franz Anton Mesmer and the Case of the Blind Pianist

生まれたときに何も問題のなかった女児が3歳で盲目になります。目が不自由なまま鍵盤楽器奏者として才能を開花させた女性は、宮殿でも演奏、目が不自由であることに対する補償の意味もこめて年金を賜ることになりました。
盲目のピアニスト」として聴衆の拍手喝采を浴びます。

女帝の命令で宮廷に使える医師をはじめウイーン在住の最高の医師らが視力を回復させようと必死の努力をしますが誰一人なおせません。そして、メスマーのもとにつれてこられます。
「両眼の痙攣を伴う完全な黒内障。その結果、深いうつ状態および脾臓と肝臓の障害に苦しんでおり、その苦痛が原因で発狂するのではないかという恐怖を抱くほどの重篤な意識混濁を起こすことがある」と見立てます。

メスマー医師の目的は、"彼女の病気の背後に潜むヒステリーを粉砕することによって視覚障害を治すこと"にありました。
それまでは、瀉血、下剤投与、石膏でできたヘルメットのようなものを頭にかぶせてしめつけたり、両眼に電気ショックを3千回移乗加えられ、動揺して痙攣→虚脱症状になったため何回も瀉血、、、、というかわいそうな状況でしたが、
メスマー医師の施術で回復していきます。
いっぽうで目眩に悩まされます。
眼が見えるようになることを望んでいたのは当然としても、なおりかけてくると、今度は治った後の自分はどうなるのかということに悩まされ...(と記載があります)

目が回復にするにつれ、ピアノのミスタッチが増え、彼女をさらに不安にします。皆にかわいがられるアイドルの座を失い、高い収入や女帝から賜った年金を失う可能性もあるのではと考え、そして周囲からメスメルの悪口を吹き込まれた父親が、娘の眼が見えるようになっても幸せになれないかもしれないという理由でこの主治医からひきはなすことを決断します。

メスマーの診療所に生活の場をうつした娘を連れて帰ろうとしますが、娘の拒否にあいます。
神経症的なまでに逆上した母親が金切り声をあげ、その光景を前に"盲目だったピアニスト"の娘は以前と同じ痙攣性の発作を起こします。娘を割れんばかりの大声で怒鳴りつけた母親は、娘の体をすさまじい勢いで掴み壁にむけて投げたと紹介されています。
ヒステリー状態になった母親から患者を助けようと診療所のスタッフが割って入りなんとかおさめます。
(・・・このエピソードだと病気の原因をつくったのも病気がぶり返したのは両親の影響なのではと想像できます)

治療を再開し、はっきり見えるようになったあとに父親によって彼女は自宅に連れて帰られ、以後メスマー医師のところにいくことはありませんでした。そして、盲目にもどり、一生そのままとなりました(他の資料でもそのようになっています)

この事件がきっかけでウィーンを去ったメスマー医師が向かったのはパリ。『ウィーンから来た・・・』大治療家/ペテン師はどこへ行ったかというとフランスです。

ここでも盲目、麻痺、中風、潰瘍、などが完治した患者らが、メスマーの医師の応援をはじめます。
また、メスマー医師に好意的な医師、弟子となる人の中には影響力を持つ人もいました。
のちにフランス国王となる伯爵の侍医であったシャルル・デスロンはその一人。

懐疑的立場の人たちは、"メスリズム"の諸現象は物理学的というよりは心理学的な現象であり、治癒は動物磁気によってではなく暗示と想像力によって起きる"と主張。

そして、デスロンは
「もし、メスマー医師の持つ唯一の問題が想像力の働きを活発にして健康を増進することであるならば、それはそれで素晴らしいことではないだろうか。もし想像力という薬が最もよく効くのであるならば、なぜその想像力という薬を用いてはいけないのであろうか」という静かな応酬をします。

(当時、フランスでは錬金術やオカルト師が暗躍して患者を食い物にするような人たちがいたため、中流知識層はメスマー医師らの活動が本能的に嫌い、信じたいと思っていませんでした)

調査委員会がーひきつけ、分利、痙攣、トランスなどーを観察はしたものの、患者が治癒することは事実であっても、その原因が動物磁気であるという根拠はなく、想像力、自然治癒、その他既知や未知の原因によるとしか考えられないという結論になります。

(さすが専門家は妥当なところへ、、、、といったところでしょうか)

この本じたいはメスマー医師の生涯を紹介するものでありますが、後半の栄枯盛衰のお話は割愛します。
(人間関係の烈しさにちょっとお腹いっぱい)


ちなみに......この本の後半には、17章 オカルト・サイエンス、19章 メスメリズムから催眠、そしてフロイトへと「その後」についての解説もあります。

18世紀後半の"科学"は神秘主義的と親和性が高く、ホメオパシーもこの頃にはじまっているんですね・・・。


さて。
その後、メスマーの取り組みを発展させたビュイセギュールは、分利のような烈しい状態におかなくても、同様の効果が得られることを確認します。
被術者本人さえ知らない心の深層に分け入り、"一見不条理に見える被術者の行動の陰に合理的な理由が潜んでいることを発見"することで、その後の精神医学の発展へとつながっていきます。

参考:こちらのブログに、関係図があってわかりやすかったです。

フランツ・アントン・メスメル(Franz Anton Mesmer, 1734-1815)
シャルル・デスロン(Charles Deslon, 1750年 - 1786年)
ピュイセギュール侯爵(Amand-Marie-Jacques de Chastenet, Marquis de Puyse'qur, 1751-1825)
ジャン・マルタン・シャルコー(Jan- Martin Charcot ,1825-1893)
H.M.Bernheim(Bernheim, Hippolyte-Marie, 1840-1919)
ジークムント・フロイト(Sigmund Freud、1856ー1939)


暗示的催眠を用いたフロイトが自由連想法に至るまで:19世紀の神経症と神経疾患の歴史
フランツ・アントン・メスメル
フランツ・アントン・メスメルが与えた文学的影響について――マリア・M・タタール『魔の眼に魅されて――メスメリズムと文学の研究』
ジャン・マルタン・シャルコーのヒステリー研究と人生
トラウマの形成維持と心的防衛機制の関係:シャルコーのトラウマ認識の視座

Franz Anton Mesmer Museum

ウィーンから来た魔術師―精神医学の先駆者メスマーの生涯 (ヒーリング・ライブラリー)
春秋社


Wizard from Vienna: Franz Anton Mesmer and the Origins of Hypnotism
Peter Owen Publishers


逆立ちしたフランケンシュタイン―科学仕掛けの神秘主義
新戸 雅章
筑摩書房
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