感染症診療の原則

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平静の心 と その周辺 (周辺シリーズ復活)

2021-01-11 | (ちょっと休憩)ほんとに休憩
連休最終日です。
各地で奮闘中の皆様が、お正月から今日までの間、少しでもゆっくり過ごせる時間がとれたかな・・・と心配とお祈りの1月半ばです。

青木編集長はよく、感染症医は気が短い人が多い、気が短くても務まるんだよ。たいていの病原体は短期間で「ここにいるよ」と教えてくれるからね・・といったお話を紹介します。
そういえば栃木特派員のTaro先生も短期とはちょっと違いますが、頭の回転が早くて、話しながらもう動いている(やっている)系です。

頭の回転が早いのはすごいことですが、いいことですが、短期決戦はいいとして想像を超えた長期戦だと誰でも疲れますね。
つらい、しんどい、苦しい時は余裕がなくなります。
SNSを見渡せば、ネガティブな表現、情報も少なくありません。
誰に向けてかわからないものも、余裕のない中での叫びのようにも見えます。

ぶつけられていい気持ちをする人はいません。
さらに重たい空気になります。

遠くから見つめている精神科や心理の先生が「そういったソースを見ないほうがいい、情報から離れましょう」とアドバイスをしているのは、不安な一般の人だけでなく、最前線で疲れている人たちにも向けてなのだ、と話してくれたことがあります。
辛い時には一度そこから距離を置く。それは決して逃げでも恥でもなく、この先も誰かの支えとなる仕事をするために、つぶれないために必要なケアということです。

カーッと熱くなるならそれを下げ、落ち込んでいるなら元のところにもどる。
自分の「平静」のポイントを見つめるチャンスは人生でどれくらいあるでしょうか。

対人援助職は「助けて」をいうのが苦手といわれています。
半径1m以内の安全圏で、語り合えるような家族や友人、同僚がいたら大切に。慰めとなる本や言葉があったら常にそばに❤️。

そのヒントとなるようなお話を、編集部内の資料を整理していて思い出し、またそれに関する新しい情報があったので2点紹介します。

まずはウイリアム・オスラー博士の「平静の心」これは講演集の書籍のタイトルにもなっています。
最近では、先にこちらの本を読む若い先生や学生さんも多いかもしれません。
 
オスラー 博士といえば!日野原先生の解説はやはり最初に読みたいですね。 

オスラー博士が所属大学をうつる際の告別講演を医学生に向けてした時のタイトルが「エクアニミタス」これはラテン語:aequenimitasで、この意味が「平静」、「心の静けさ」だそうです。 

日野原先生の解説_φ(・_・
ーーーーーーーーーーーーー
このアントニヌス=ピウスの最後をオスラーは学生に紹介をして、「諸君もこの様な平静の心を平生から持たなくちゃならないけど、それにはやっぱり準備がいる。第一は、〝あんまり人に期待をするな〟。期待をするなということと、それから〝忍耐しなさい〟。堪えなさい。それから、〝変わらない、優しい愛の心が必要である〟という。患者から気に食わない仕打ちを受けても、いや、本当にそれを苦しんでいるから、それに対して、本当に忍耐をしながら、答えるのに優しい言葉で答えなさい。その為には心の中が安定して、腸がもう、おなかがこうなっていてはどうしようもないですから、静かな湖の水面のような気持ちを平生から持つように、それを精神の習慣にしなさい」というわけです。 
(中略)
オスラーはもう一つ、平常どういう生き方をするかという。その生き方をすることについては、今日という日を非常に大切にしたんですよ。「また、明日がある」と、我々は思いますね。そうではない。「来年は本当に来るかどうかわからない」。私達の命というのは確保されていないんですから。ですから彼は「今日に生きなさい」ということを、非常に医学生に強調したんですね。そうして「未来というのは今日になるから、それは非常に望みを持ってもいいけれども、救いの日は今だ」と言うんですよ。
 
(お若い!日野原先生の写真つき対談記録より)
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そう言われても、落ち込んだりプンスカ憤ったりの習慣なのであります。
平静の心を平生から持つ・・・・どうやって?であります。
望みを持って、救いの日は今だ・・・・と思う習慣はどのように?であります。

2つ目の話題です。
「平静」について、オスラー博士よりも一般の方にも知られているのがライン・ホールド・ニーバー博士です。アメリカの神学者です。

通称:平静の祈り、ニーバーの祈りと言われます。
依存症の回復プログラムなどを通じて知る医療者もいるでしょう。

Serenity Prayer (Wikipediaより)
日本では以下の文章が紹介されますが、実際には全体はもっと長い祈りとなっています。

God, give us grace to accept with serenity
the things that cannot be changed,
Courage to change the things
which should be changed,
and the Wisdom to distinguish
the one from the other.

神よ、変えることのできないものを静穏に受け入れる力を与えてください。
変えるべきものを変える勇気を、
そして、変えられないものと変えるべきものを区別する賢さを与えて下さい。

です。

公益財団法人 日本クリスチャン・アカデミー機関誌「はなしあい」2020年11・12月号(617号)で、日本基督教団 経堂緑岡教会の増田牧師が、2020年9月に出版された『平静の祈りーラインホールド・ニーバーとその時代』の紹介の中で、祈りの言葉が変わっていることを紹介しています。

もともとは、

「変えることができないことを受け入れる平静さを与えてください」
とされていた言葉が、

平静さをもって受け入れる恵みを与えてください」
となっていると。
祈りの文はもともといろいろあるとのことですが、英語は以下の様です。

God, give us grace to accept with serenity the things that cannot be changed, courage to change the things that should be changed, and the wisdom to distinguish the one from the other.

上記のニュースレターでは、己の限界を認める「謙遜」と、そのような魂に与えられる「恵み」に支えられているというお話が紹介されていました。

外側に向けた不安や怒りをもういちどとらえなおす。

まずは「時間」が与えられますように。

再び、、のステイホームはそのチャンスかもしれません。

以上、休憩ネタでした。

 

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