感染症診療の原則

研修医&指導医、感染症loveコメディカルのための感染症情報交差点
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ケンタッキーへの道7

2006-04-23 | 米国留学トホホ録
初めてのアメリカがケンタッキーだった自分は右も左も分からない状態でアメリカの生活を始めました。 車をレンタルしてアパートを探して、家具を購入してなど、全くの「異邦人」であった自分を助けてくれたのはノースカロライナ州出身のジェフ・ケラー研修医でした。彼は卒後3年目の研修医、病棟で「日本人が来るらしい」という噂を聞きつけて「さぞ困っているだろう」と思って自分が泊まっていたモーテルに誰に頼まれる事もなく . . . 本文を読む
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ケンタッキーへの道6

2006-04-18 | 米国留学トホホ録
前回、出てきたLouisvilleという町は、沖縄中部病院の感染症の恩師、喜舎場先生が感染症のフェローをされたLouisville大学のあるところでもありました。そこにVisa以外の事でも何回か行く必要がありました。例えば色々な資格試験もあったのです。さてLouisvilleにたどり着くためのドライブですが、日産の新しい車を買ったので安心していましたが、ある時、自宅のガレージでドアを閉め忘れて室内 . . . 本文を読む
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ケンタッキーへの道5

2006-04-07 | 米国留学トホホ録
いつまでもTourist visaでは生活も不便、研修も責任ある形で開始できないので、研修医の事務を扱うHousestaff officeのMs.Joice Delabarと早速、行動開始。車で2時間半ほどの距離にあるLouisvilleという町のVisaを扱う役所に行きました。そこで要求される書類や情報の一部を以下にご紹介します。いったい何に使うのか、、といった代物です。 ○卒業証書の英訳と成績 . . . 本文を読む

ケンタッキーへの道4

2006-04-06 | 米国留学トホホ録
さて。晴れて州立ケンタッキー大学の研修医として受け入れられた自分を待ちかまえていたのは留学の手続きの壁でした。小さなケンタッキー大学の内科は初めてアジアから研修医を迎えるわけですが、正直全く外国人研修医受け入れは不慣れでした。E-mailも無い、電話もあまり使えない時代にコミュニケーションの問題は大きく、宮古島で書類が来るのを待つ自分は焦燥感で一杯でした。そして結局、必要な書類は、間に合わなかった . . . 本文を読む
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ケンタッキーへの道3

2006-04-05 | 米国留学トホホ録
紆余曲折の中、1984年の春、晴れて国家公務員となった自分は宮古島の療養所に3ヶ月の間、赴任しました。小学校から教会、火葬場まである完結した閉鎖社会であった療養所の空気が色濃く残っているように感じたものです。職員官舎の塀には第二次世界大戦の米軍機による機銃掃射の後が、そのまま残っているほど。新しい園長先生が赴任されて間もないという事情もあり『検査室で可能な検査は検尿のみ』といった状態でした。総合病 . . . 本文を読む

ケンタッキーへの道2

2006-04-03 | 米国留学トホホ録
若さとはすごいもので、失業したという事実は全く自分にNegativeなインパクトを与えませんでした(父親は心配しましたが、、)。 「そうか、それなら、、」という事で都立養育院付属病院時代にお世話になった方のつてで千葉の精神病院に内科医としてバイトを始めました。片道1時間半くらいドライブの道でしたが全く苦にならず、ひたすら走りました。一方で何とか絶大権力に頼らずに国立の医療機関に所属する方法がないか . . . 本文を読む

ケンタッキーへの道1

2006-04-01 | 米国留学トホホ録
4月になりました。感染症の話題よりラーメンの方が注目をあびているという評価をいただいているmy blogですが、厳しい研修の日々の息抜きにしていただければ幸いです。感染症セミナーや講演情報などもちゃんと紹介してきます。 さて。米国で勉強したいという相談はが年々増えているので、新しいカテゴリーをつくってみました。 留学された方の中にはもともと外国で暮らした経験があるとか、試験勉強ふくめ何事も要領よく . . . 本文を読む