Dr. WAKASAGI at HEI-RIVER(閉伊川ワカサギ博士)

森川海をつなぐ学び合いの活動を紹介します

「函館発信の函館何でもサイト」に「里海探偵団」が紹介されております

2011-01-29 | 里海探偵団
「函館発信の函館何でもサイト」に,里海探偵団の記事が紹介されている。http://okemoto.net/index.html
ここに経緯を表し,転載させて頂く。
里海意識が函館にも根付き,海や水産の価値がより一層高まることを期待したい。

  里海探偵団が行く!
  育てる・調べる海の幸
 
 
  寺本潔・佐々木剛・角田美枝子[編著]
         
    農文協 発行

   函館市中央図書館蔵
 夏になると海は家族ずれや友人同士が海辺で海水浴をしたり、もぐって些細な海の幸を味わったことがある。今は海は堤防や護岸ブロックにさえぎられおまけに密漁禁止の看板が立てられ米軍基地同様である。
海がさえぎられて海の環境も魚食文化もこれでまもられるわけはない。
人の居住地近くの海を里海として、教育の場として親しんでいこうという本。
学校では社会、理科、総合学習で海や魚について学ぶが、教育指導要領にはないに等しく海について学ぶ機会はすくない。
この本では日本各地での学校が取り組んでいることを紹介している。
かきの種付け(瀬戸内海)、もずく養殖の体験(沖縄)、海苔の養殖(東京お台場)いわしの煮干づくり(四国)、わかめ養殖の体験(岩手)などを紹介している。
日本各地で(沖縄でさえも)子供たちが海や海辺やまして海に住む生物と親しむ機会が少なくなり、それを克服する試みがされ始めている。
海に囲まれたお台場の海浜公園の小学校では「海水ビオトープ」をつくりあめふらしややどかり、タマキビガイなどをかって観察している。
海藻押し葉づくりによる環境教育も紹介している。
最後の章でアメリカの海の自然科学・環境教育プログラム(MARE MarineActivitiesResouces&Education)の実践を海洋リテラシーを紹介している。
それには最重要原則として
①地球には多くの特徴を兼ね備えた大きな海がある
②海やそこに生きる生物は地球の特徴を形作っている。
③海は天候や気候に大きな影響を与える
④海のおかげで地球には生物が生息できる
⑤海は多種多様な生物や生態系を支えている
⑥海と人間は切っても切れない関わりをもっている
⑦海の大半は探検されていない
が定められており、海洋教育に携わる教育者はMarine Educatorと呼ばれ
アメリカ海洋教育者協会(NMEA)がある。
アメリカでの海洋についての意識は環境にとって必要であるが多いが、日本は食糧生産の場としての意識が強いという認識の差がある。
アメリカでは大学が小中学校に出かけて海洋教育を行っているのも紹介されている。
この本を読んでいると、函館では海洋水産都市構想が掲げられ、学者先生等の海洋や海資源の活用が叫ばれ、資金が投入されているがもっと身近な里海意識の醸成、着実な海洋教育が行われなければならないのではないかと思われる。

武士道<BUSHIDO>を読む

2011-01-29 | 水圏環境教育
水圏環境教育と武士道はいったいどんな関係があるのだろうか?

水圏^環境教育は,幅広い見識をもち,責任ある決定と行動ができる国民の育成を目指している。その上で,水圏環境と一口にっても地域性や国民性によって捉え方が異なっており,そのことを理解した上で,責任ある決定や行動が必要であるとしている。つまり,「自分にとっての水圏環境の認識があるように,同時に他地域,他国の人々にもそれぞれ水圏環境に対する独自の認識があるということである。このような水圏環境に対する認識の違いがあることを理解した上で,幅広い見識を持って責任ある決定や行動を行うことが必要である。」

このことは,武士道の第6章,第7章にあるように礼儀,誠実といった部分に相当する。第6章の礼儀には,「外国人は日本人は礼儀正しいと言って驚くが,もし礼儀が上品ではないからと評判を恐れるために行う礼であれば,それは徳ではない。本当の礼儀とは他人を思いやり,尊敬するために実行するものである」と説く。そして,この礼儀はキリスト教で言えば,愛と同義に近いとする。聖書の愛を礼に変えると「例は寛容であって人の利をはかる。礼はねたまず。誇らず,たかぶらず,非礼を行わず,自分の利を求めず,軽々しく怒らず,人の悪を思わない」と,言えるとしている。

また,第7章誠実では,「礼儀の中に,誠実がかけていたならば,それは茶番である」「この世のあらゆるものは,誠実に始まり誠実に終わる。誠実はあらゆるものの根源であり,誠実が無いとすれば,そこにはもうなにものもあり得ない」とし,誠実さがなければ,何事もうまくいかないと説いている。

新渡戸稲造は言うように,水圏環境教育を推進する上で何よりも誠実がなければ何事も解決の道はないということである。礼儀と誠実は,高度経済成長を追い求めてきた私たちが忘れていた言葉ではないだろうか?今一度,原点に帰って日本人のあるべき姿を問い直す時期に来ているのであろう。